第3話 「は、腹を……腹を切りますぅ……」
シンクロニシティ=シンフォニー……エス=エスの青色担当“リリ”。ファンからの愛称は“りりち”。
メンバーの中でも小柄で細身ながら、その身体を目一杯躍動させるアクロバティックなダンスでファンを魅了する女の子。そのダンスの裏に見えるストイックさもまた知られるところで、そんな健気な姿を見て一層虜になる人も多い。
特徴かつチャームポイントは丹念に手入れが施された黒髪のツインテールとツンとしてぱっちりした猫目、白い歯を見せてにかっと笑う“りりちスマイル”。総合的に美少女と評して余りある容姿が落ち着いた性格と相俟って猫っぽい雰囲気を漂わせる。
落ち着いたとは言ったものの彼女のクールさは決して塩対応の類のそれではなく、惜しみないファンサや丁寧な言葉選び、それからにこやかな表情でファンとの壁を感じさせない絶妙な個性を生み出している。猫は猫でも人懐っこい看板猫といった感じ。
好きなものはホットケーキ、ひなたぼっこ、ゲーム、アニメ。嫌いなものはホラー映画、虫全般、セロリ。
そして、そして。言うまでもなく、私にとっては、この世で最も愛してやまない……推し。全人類と彼女とを秤にかけても彼女を選ぶだろうくらい、私はりりちを愛している。ビッグラブ。
そして今、学生服の上にパーカーを纏った姿のりりちが、二人っきりのカラオケで、私の目の前に座っている。
……うん、取り敢えずやることがあるね。スーツを着ていたって私にとっては慣れたものなので、完了まで3秒とかからないよ。
何かを言う前にソファから降りて、テーブル横の床に正座。それから手をついて、頭を。
「ちょちょちょっ、何してるんですかっ!」
「だって」
「“だって”じゃないですよ?! 何を自然な流れでドゲザしようとしてるんですか?!」
「だってだって、お……」
「……お? いいですから、座って」
「推しと同じ高さのソファになんか座ればぜん!!」
食い気味に発した言葉の、その最後の方は溢れた涙と鼻水がないまぜになって濁ってしまった。けど、何をどう考えても
広く我らの国の民に私は周知したい。アイドルがステージの上に立つのは、彼女らが最も輝くのがその場所、その高さであり、
しかし同時に、ステージというものはそのものずばり、
それなのに、こともあろうに私はりりちと同じ高さのソファに座って、なんだったらちょっと足を組んじゃったりして、挙げ句の果てには呑気にアイスティを飲んじゃったりしてしまった。
ギルティ。圧倒的ギルティ。古今東西ありとあらゆる法的規範に則ったとして、偉そうな白い口髭を蓄えたおじいちゃんっぽい人がガンガンと木槌を叩いて述べる言葉は一つしかない。
故に、せめてもの誠意として土下座をしようと思ったんだけど、寸前でりりちに肩を抑える形で止められてしまった。これは、もう。
「は、腹を……腹を切りますぅ……」
「はら?! 落ち着いてくださいってば!」
「お、お墓には、“
「長い! あとビミョーに具体的で重たいです!!」
「出来れば毎年お盆のお供物にはエス=エスのシングルをお願いします……」
「お供物の要求までちゃっかりしないでください! もう、“ユキ”さんってば!!」
上げることなんて叶わない私の頭に降り注いだのは、推しから発せられたありきたりだけど確かな私のハンドルネーム。
思わずパッと顔を上げると、慌てた様子のりりちと目があった。
「わ、私の名前……覚えててくれたの?」
「……まぁ、当たり前です。界隈全般的に言える事ですけど、エス民も女オタは多くないし。その中でもユキさんはずっと前からわたしを単推ししてくれてましたし、それに……とにかく、そんなところです」
「推しから、りりちから認知貰っちゃったよお……」
「別に、そんな……当然のことですってば」
「し、死のう。今すぐ死ねばこの幸せが永遠に」
「なんでそっち方向に行くんですか?! いいから落ち着いて、とりあえず座ってください!!」
殆ど無理矢理といった形で立たされて、そのままソファに座らされる。優しい……年上なのにみっともなく泣いちゃった情けない私に、りりちはこんなに優しくしてくれる……。
「好き……りりち愛してる……」
「うぁ……もう、握手会とかで会う時とキャラ違いすぎません? いつもはもっと、こー……清楚? な、感じなのに」
半ば呆れた様な言葉を漏らすりりちだけど、そんなの答えは決まりきっているようなもの。
やっぱりファンというのは、アイドルとは切っても切れない縁があって、例えばファンが何かをしでかした時、その悪評は回り回ってアイドルに影響を及ぼしたりするのだ。“炎上したアイツ、アイドルオタクらしいぜ。きっとロクなアイドルじゃないんだろう”……的な。
だからこそ私は自分を律して、周囲からまともな女性として見てもらえるように努力してきた。清潔感がありそれでいて流行を抑えた服も、派手すぎずかといってナチュラルすぎないメイクも、オタクっぽさを抑える様な落ち着いた喋り方も、何もかもは“小仁熊さんの様な人が好きなリリってアイドルは、きっと素晴らしいアーティストなんだろうな”と思ってもらう為。……ちょっと、言いすぎたかもしれない。
それになにより、なによりだよ。
「りりちに嫌われたくなくて、滅茶苦茶頑張ってるから……」
「そんな……はぁ……」
「あ……わかったかも」
「何がわかったんですか?」
「これ、ドッキリか何かなんでしょ! カメラ、カメラがどこかに!」
ばばっと当たりを見渡して部屋の中を隅々まで見渡してみる。一見して怪しそうには見えないけど、素人目にはわかんない様巧妙に隠してあるに違いない。ほら、あの壁紙の変なキャラクターの目のところとか!
「あるわけないじゃないですか。第一このお店を選んだのユキさんですよね」
ちょっと呆れた様な声が聞こえて、目を遣ればじっとりとした視線を送ってくるりりちが居る。そ、それもそうか。何処に行くかわかんないのに、カメラなんか仕掛けられるわけないか。
でも、ああ、こんな。
「ジト目のりりち……やば……こんなの私知らない……」
「なんかミョーな言い方しないでください」
「超レアな表情見られるなんて……夢? 夢を見てる? ちょっとつねってみてもらっていい?」
「え、え?」
「お願いします、後生ですからっ」
「ごしょーって……こう、ですか?」
恐る恐るといった体で伸びてきた小さな手のひら、その細い指先が触れて、その後で弱々しく私の頬は摘まれた。
り、りりちの指が私の顔に触れている。握手会で幾度となく触れて、その度にその小ささに、細さに、白さに感動してきた、あの手が……!
なんだか、摘まれているはずのほっぺも痛くないし、やっぱり。
「夢、夢なのかな……痛くないもん」
「え、いやほら、摘んでますよ?」
「全然優しい……もうちょっと強く出来る?」
「こう?」
「もう一声」
「……えいっ」
その時、
「ふぉあぁぁっ! い、いたひぃぃぃっ! 夢じゃないよぉぉぉお!!」
「うわっ! 急に大きな声出さないでくださいよ!!」
「カラオケだから! ここはカラオケだから、大声出しても大丈夫!!」
「そーゆー問題ですか?!」
頬に感じた痛みが、これこそは現実のものであると示してくれた。その事実に感動してしまったばっかりに、頬をつねっていたりりちの指はパッと離れてしまった。ああ、そんなぁ……。
でも、さっきまでりりちが触れていてくれたほっぺに自分の手を添えてみれば、なんだか体のどこよりもあつく感じる。温もりが残ってるのかもしれない。
「幸せ……幸せだよぉ……」
「オオゲサです。ほら、これ飲んでください」
「あ、ありがと……やさしい……らぶ……」
そう言いながら、隣から差し出されたアイスティを両手で受け取ってストローでずるずる啜る。ああ冷たい、ちょっと落ち着いてきたかも……と、思ったんだけど。
ん? 隣から差し出された?
落ち着いたが故に気付かされた……否、見てみぬふりをしていた事実に気付いてしまった。
聞こえてきた声の距離感、ほんの僅かタイツ越しに感じる誰かの柔らかな肌の感触。
恐る恐る横へと視線を向けると、そこにはさっきよりグッと距離が近づいたりりちが私のすぐ隣に腰掛けていた。いわゆるガチ恋距離。
長いまつ毛、大きな瞳、小さい鼻、艶々のくちびる、きめ細かい肌、美しい黒のツインテール。りりちの尊い何もかもが、私の視界を占有している。その割合、およそ七割。ははは。
あー、魂が抜けるー、もうだめだぁ。
——————————————————
三話までお話をご覧くださりありがとうございます。
基本的にはこのお話の様に、オタクとアイドルがわちゃいちゃしていく百合ラブコメです。
傾向としてはりり×ゆきで、雪奈が凛々夏に百合的な意味でぼこぼこにされるお話です。チカンしたくせに可愛さでごり押すアイドルに翻弄されるゲボク的なオタク。
そんな二人の関係性がお気に召されましたら、レビューの☆など各種評価をいただけると励みになります。
どうか二人の物語を応援いただけましたら幸いです!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます