第5話 「……まじ?」

 唐突に呼ばれた私の名前にびっくりして視線を向けると、りりちはまだ困った様に眉を寄せていた。けど、その口元は小さく微笑んでいて……それは当然、涙目の私の顔が面白くって笑ってるとかじゃない、何かを覚悟した様な、決意した様な、そんな表情に見えた。



「元々、ユキさんの事は……えっと、いいなって思ってたんです」


「い、いいなって……」


「……あ、そういうイミじゃないですよ」


「はいぃ……」



 別に、勘違いしてないし。“いいな”とか言われたからちょっとドキッとしただけで、それだけだし。じゃないんだから、そんなこと思った事もないですし。



「ユキさんって、ボディラインすっごいメリハリあるじゃないですか」


「まぁ、えっと……うん……」

 

「それがやっぱり、わたしには欠けてるもので、手に入れたいもので……」



 親などにはデブとか痩せろとか言われる私だけど、自分では“出るところが出ている体型”だと思ってる。胸やお尻周りに脂肪がつきやすくって、服を着るとやたらと太って見える損な体型。この話をすると、男性からはなんともいえない目で見られ、女性からは刺すような視線を頂戴する事になるので、自分から話す事はないけど。


 毎日20分は最低でも行うフェイスマッサージのおかげで頬から顎のラインもしっかり整ってるし、地道に続けてるトレーニングで腕やお腹周りを含めて余計なお肉もそんなにはついてない。当然BMIだってどうにか普通を示してくれてる。


だから、太ってはいないと言えるラインに収まっているつもりなんだけど……正直、自分の体型についてはかなりのコンプレックス。


 出っぱる胸のせいで何も知らない人にはやっぱり太ってると見られるし、そう見られなかったとしても……あんまり、碌な思い出はない。


そもそも胸自体もかなり重くって、あんまりに肩こりが酷くて調べたら、私の両肩には大きめのメロン二つ分以上の重みが加わっているらしい。それ以外にも、落とし物をしても気付きにくいし、足下が悪くなっていてもわかりにくい。


会社のレクで登山に連れて行かれた時は最悪で、泣きそうになりながらりりちの事を必死に脳裏に思い描く事で登頂を果たしたほど。ちょっとでも油断したら前履けたデニムがすぐ入らなくなるし、胸が当たってテーブルの上のものをひっくり返したりした日には死にたくなる。


 思わず日頃のあれやこれやが溢れてしまったけど、それくらいのコンプレックスなんだ。


 ……でも、りりちはそんな私を見て、“いいな”って。ちょっと、ううん、すっごく嬉しい。でも今はりりちの話をしているわけで、喜ぶのなんかは帰ってベッドの上ですることにしよう。



「だから、現場で会った時もずっと見てて。それで嫉妬というより、憧れたっていうんでしょうか。……ないものねだりの方が正しいかもしれません」


「そんな、そんなこと、うぅ」


「だから電車で初めて見かけた時もすぐに気付けたんです。実はよく使ってる路線も一緒だし、降りる駅も隣同士だったんですよ?」


「へぇ?! そ、そうだったの?!」



 衝撃の事実、発覚。たった一駅、されど一駅。私とりりちがそんな近くに住んでいたなんて、全然気付かなかった。……確かに、彼女が通っている高校の事を思えば、通いやすい場所なのかな。


 普段からもっと周囲に目を配ればよかった。スマホでりりちの画像を眺めてにやにやしてなければ、すぐそこにいる本物に気付けたかもしれないというのに。


 それにしても……私という人間の外見はよく言えば小綺麗だけど、悪く言えば平凡だ。


 会社で怒られない程度の明るさに染めたピンクブラウンのミディアムボブ。


二重なだけで、そう珍しいとも言えないたぬき顔。


背だって平均をちょっと超えるくらいのものしかなくって、外から見える特徴といえば本当にコンプレックスの体型くらい。それでも満員電車に乗れば埋もれてしまう様な人間が私だと思う。



「うーん、よく私に気付けたねぇ」


「さっきも言った通り、エス民としてのユキさんはよく見てましたし。あとは結構、女オタの人ってメッシュとかインナーとかで髪にメンバーカラー入れてくれる人多いんですよね」


「うん? でも私は会社で怒られちゃうから、青色入れられてない……けども」


「だから、ってやつです。私単推しで居てくれるくせに、そういう事は全くしないから髪色が印象に残ってたんだと思います」


「な、なるほど……」


「後はユキさん、ホントたまにスーツで現場くるじゃないですか。だから、少し見覚えがあったってのもありますね」



 け、怪我の功名……いや、塞翁が馬、棚からぼたもち? とにかく私は、によって、りりちに覚えていてもらう事ができたみたい。


 でもこれは私の手柄なんかじゃなくって、ファンを覚えていようと努めたりりちの努力によるもの。またひとつ、好きな理由が増えちゃったなぁ。


 まだ私の目元は濡れてるけど、鼻水はいつの間にか治ってくれたみたいで、多分これから始まる本題は十分耳を傾けられそう。りりちの悩み、そこから繋がった私について。


 正直、私が守るべしとするオタクの領分は越え過ぎているとは思う。けど、けどさ。


 今にも泣きそうな女の子を前にして、放っておくなんて、それ以前の問題でしょ?



「……私を電車で見かけて、どうしたの?」


「最初は眺めるだけだったんです。“いいなぁ、どうやったらあんな風になれるのかな”って。もちろん私からどうこうってつもりは全然なくって、ただ眺めてただけで」


「うぐ、なんか恥ず。……後半についてはわかるよ。アイドルとオタクが近づいても、大抵ロクなことにはならないからねぇ」


「全部が全部とは言いませんけど。……それである日、いつも通りの満員電車で他に行く場所もなくって」


「うんうん、私が乗る時間ってなったら、混んでることも多いよね」


「ユキさんの目の前に立ってしまったんです、わたし」


「……まじ?」


「まじです」



 そんな大チャ……いや、えっと、かけがえのないひと時を私は逃してしまっていたというのか。嘘だ、し、信じられない。何ヶ月か前の私よ、責任をとってくれ。介錯ころしてやる。


 己の愚かさに愕然としつつも、それがいつ頃かと訊ねると、大体2、3か月前だとりりちは教えてくれた。


 えぇっと……脳みそという箱をひっくり返して朧げな記憶を確かめてみれば、そのちょっと後ぐらいに、りりちのパフォーマンスが落ち着いたって話をオタ友とした気がする。それからやっぱり……私がチカンに遭うようになったのもそれくらいだった筈。


 自白したんだから疑ってはいなかったけど、やっぱりりりちが私のお尻に手を伸ばしていた存在だったんだなぁ。でも、どうしてなんだろう。



「ユキさんに近づいて、バレたら恥ずかしいけどしょうがないなーくらいに思ってたんですけど……その時たまたま電車が急停止して、堪えきれなくって思いっきりユキさんに思いっきり抱きついちゃって」


「いっ……うぉっ……そうなんだぁ」


「そしたらなんか、なんていうか、ふわふわしてるユキさんに触れて安心できたっていうか、落ち着けたっていうか……」


「癒しになった、的な?」


「まぁ、そんな感じでした」



 思い出せ。数ヶ月前の、確かにあった筈であるりりちとの接触事故、その感触を……!


 ……ダメだ、わたしの脳みそがぽんこつだからっていうのもあるけど、電車に乗っている時はスマホの画面に映るりりちに集中してて全然思い出せない。おお、おぉお……!


 別の意味で泣きそうになったのをぐっと堪えて、今度こそいま目の前にいるりりちに集中する。ああでも、勿体ないよぉ……。



「そ、そうだったんだぁ……へ、へぇ……」


「抱きついちゃって、でも相変わらずの満員だから離れられなくて。そうこうしてるうちに、そろそろバレちゃったかなーって思って、ユキさんの顔を見てみたんです」


「私の……そ、それは、まさか」


「ぜんっっっ……ぜん、無反応。イヤホンして、スマホに集中して、おまけになんかニヤニヤしてて……ホントに、あの時は心底びっくりしました」


「誠に申し訳ありませんでした、やはり腹を」


「切らないでください。……今になって思えば、多分あれ、私の写真か映像を見てくれたりしたんですよね」


「左様にござる」


「割と真面目な話してるんですけど」


「ごめんなさい」



 コンプレックスを認めてもらえて、予想外の事実を聞かされて、頭がバグってしまった私をりりちがやんわり嗜めてくれる。嬉しさと悲しみで脳みそがぐるぐるになって、なんだかふわふわした気分になってしまった。


 もう良いんじゃないかな。これ以上は私の魂が保たないよ?


 けど、りりちとしてはまだ語りたいことがあるらしく、じーっと私の様子を伺った後で言葉を続けた。う、見つめられると心臓が、今度は心臓が保たないよぉ。

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