塩をむすぶ
空付 碧
イとオの発音が苦手
「敵に塩を送るという言葉の由来ですが」
歴史が好きな顧問は言う。こちらは、「暑いだるい眠い」の状態で、なぜお盆である今日という日に集合をかけられたのか分からない。
「かの武将たちが合戦をしていた時、夏場で塩が足りず兵力が落ちていったそうです。その時に相手方が、敵であれど自分たちの合戦が理由でなく負けてしまうのは惜しい、まずは体力をつけて戦おうではないか、と塩を送ったことが由来です」
数人の部員はほーっと声を上げる。炎天下の中、野球部は声を上げて走っている。
「好敵手であればあるほど、きちんと対峙して戦うのが醍醐味と言うことでしょう。それを踏まえて、今日は新しい部員を紹介します」
前置きが不穏だったが、入ってきた“部員”に驚愕する。
真夏の日本に、ごつい宇宙服を着た人物が入ってきたのだ。
「こちら地獄からお越しいただいた、藪入りの人です」
「はジめまシて」
ヘルメットがぺこりとお辞儀をした。ツッコミどころが多すぎる。
「なんで宇宙服?」
「先生の自前です」
「先生、宇宙服持ってたんですか!?」
部長は目を輝かせている。そういえばこの人は宇宙が好きだった。
「何でも持ってるのが私です」
「中の人は誰?何年生?」
先生をスルーして、宇宙服に聞いてみる。
少し困ったような素振りをしていた。代わりに顧問が自慢げに言う。
「学校の人間でもなければ、心臓が動いている人間ではない。きちんと地獄からお越しいただいた人だ。みんな仲良くするように!」
「なんでそんな楽しそうなんですか」
僕は言う。ヘルメットの真っ暗な面が怖かった。
「そもそも、なんでちっさな学校のちっさな部活に、地獄から好敵手が来るんですか。ここ放送部ですよ」
「鋭い」
顧問は拍手をしている。つられて、宇宙服も拍手をしていた。このヒトは、状況を分かって拍手しているのだろうか。
「一言にすれば、我々をのろいに来たらしい」
「は?」
ヘルメットを触りながら、ヒトは頷く。
「だが、こちらに来てこの暑さに体力を削られたそうだ」
「は?」
今度は、手袋をもじもじと触る。
「地獄ノ方が、涼シイです…」
「帰れよ」
思わず口をつくが、悪態をつくどころか照れたような様子を見せる。のろいってこんなに簡単でいいのだろうか。
「感謝シてます」
「うむ。せっかくだから、文化にも触れてもらおうと思ってな。今日お呼びした」
「ヨロしク、オねがイシます」
もう一度頭を下げるヒトは、発音も怪しい。放送部に来ていいのだろうか。
「先生の家って、この間稲荷狐遊びに来ていませんでしたか?」
「何でも来るのが私の家です」
「本当に危ないですよ、まったく」
「なんて呼べばいいですか」
部長が、宇宙服に声をかける。
「薮ト、オ呼ビくださイ」
「よろしく、藪さん」
「のろいはいいのか?」
「今年は、やめてオキます」
薮さんは、発声練習本を手に取った。僕たちもそれぞれ練習を始める。
「あ、え、い、う、え、お、あ、お」
「あ、え、イ、う、え、オ、あ、オ」
「いとおの発音が苦手なのか」
「はイ」
宇宙服のどこから音を出しているのだろう。発声が終わり、早口言葉で口をまめらせ、少し休憩をする。
「水分補給とか大丈夫なのか?」
「コノ中ニ入ってイるト、平気です」
「へぇ」
かばんから、昼ご飯を取り出した。今日はばたばたしたから、おにぎりだけだった。
「午後から朗読の練習だけど、本読んだりする?」
「竹簡なら、少シ」
「いつの時代のヒトだよ」
「覚えてイません」
アルミから塩むすびを取り出す。
すると、急に藪が部屋の隅まで後ずさった。
「え、どうした?」
「ソソソソれは、なんですか?」
「塩にぎりだけど」
「すててくださイ」
「え、なんで」
「コワイ」
「え?」
「……コワイ」
一気に空気が変わった。怖い、と言った藪が、かなり怖い。
「ちょっと先生呼んでくる」
「ステテクダサイ」
抑揚のなくなった生き物、生き物と呼んでいいのかわからない宇宙服が、少しずつ近づいてくる。
「食べないから、食べないから」
急いでかばんに突っ込んだ。塩にぎりが見えなくなると、藪はぴたりと止まった。
「私は、あれが、キらイです」
「そうか」
ダラダラと汗が止まらない。早くここから解放されたかった。
けれど、動けない。藪からの圧が、恐ろしい。
「あれは、握リ飯ですヨね?」
「わかってて、何だって聞いたのか……?」
「どうした!」
「先生」
そして、一気に空気が変わった。明るくなった気がする。
「みんな無事か!?」
僕を見た後、藪さんのほうを見る。
「よかった、なにがあった」
「先生、」
怖い、と言いたかったが、先に藪さんが崩れ落ちた。
倒れた、ようだった。
「あぁ、藪さん、疲れたね」
先生は躊躇なく、宇宙服を触って横にさせる。
「で、どうした」
「それが、昼ごはんの塩にぎりと食べようとしたら」
「あ、ああ、なるほど、そうか」
先生はパイプ椅子を持ってきて、向かいあって座る。
「おにぎり、またはおむすびっていうじゃないか」
「はい」
「由来は、神の恩恵をもらうためのものだということなんだ。それに、塩だろう?」
「……はい」
ちらりと、宇宙服を見る。
「地獄のものを拒否する、マジックアイテムってことだな」
「塩むすびって、そんな魔力が」
「一緒に食べれたらよかったなぁ!」
はは、と笑う顧問は、あまりにも危機感のない人だと思ったが、止められそうにもないと思った。
意識が戻った藪さんは、ひたすら謝って帰っていった。
それ以来、肝試しなどの行事に行くときは、塩むすびを持っていくようになった。
塩をむすぶ 空付 碧 @learine
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