31:暗い警鐘

 蒼湖の底で、ロアンは大鯨の背に腰かけていた。

「クジラ殿の上に乗るなんて」と、はじめは遠慮していたのだが、彼と話をするには其処が最も都合が良いということに気づいてからは、ロアンの定位置となっていた。


『ははぁ、なるほど。それで最近、こちらへ来ることが多いのか』

「だって、攻撃の術なんて……覚えたくないです」


 シノに攻撃術の修行を強要され、辟易したロアンは逃げてきたのだ。クジラ殿と話していれば、彼女も簡単に手を出せない。話すといっても湖の底、深い水の中だ。ロアンは水を除けた空気の内で細々としゃべり、元より水中に暮らす大鯨は、術で意思を伝えてくる。この独白のような会話が、ロアンはとても好きだった。

 ぼやいたロアンを、大鯨は笑った。


『それほど嫌なのか。すでに件の、雨を降らせる術は使えるのだろう? だが約束の五年までは時間がある。シノはお前に、より上位の術を教えたいのだろうて。お前ほど水の術に愛された者は滅多にない。彼女の気持ちも、わからんでもないが……』

「防御や召喚の術なら、ありがたいけれど。でも、彼女が教えようとするのは攻撃の術ばかりなんです。しかも大波をおこして岸へぶつけるとか、大量の水の矢を降らせるとか……『殺すための術』ばかり」

『それは、それは……』

「俺は、リシュを傷つけたくなくて、修行に来たんです。確かに上位の術には興味もあるし、力は使う者次第だとも思うけど、それでも誰かを殺すための術は学びたくないです」

『それが解っておるのなら、大丈夫だと思うがね』

「駄目です。頭で解っていたとしても、俺は、それほど強くないから……」

『……ロアンは、意外と頑固よの』


 頑として譲らないロアンの姿に、クジラ殿は呆れを見せた。むぅ、と口を尖らせたロアンは、片割れの姿を思いおこす。


「約束の期限はまだ先だけど……早く、ロウザンに帰りたい。リシュに、会いたい」

『……』

「クジラ殿と話せなくなるのは、ちょっと寂しいですけど」


 そう言ってはにかむロアンを見て、大鯨は一抹の不安を覚えた。ロアンの水属の才は本物だ。否が応でも、いずれは『殺すための術』も識ることになるだろう。それはもちろん、今、シノから学ぶ必要はない。

 ただ、ロアンがそういう術を嫌がる根底には、いつも彼の双子の片割れの姿が垣間見えた。彼にとって彼女の存在が、少々大きすぎるようにも思うのだ。どこか、違和感がある。


『ロアンは、そのリシュとやらが、余程大切なのだな』

「はい。何よりも」


 ロアンは迷いなく断言する。彼のこれまでのこと、彼が『鬼』に成った経緯は聞いた。その後悔の原因を『リシュに死んでほしくなかったこと』だというロアンの言葉は、おそらく嘘ではないだろう。ロアンは、リシュのことが何より大切で、しかし彼女を失うことを、『必要以上に』恐れている。それが悪いことだとは思わない。ロアンが鬼として狂わないために、必要なことでもある。ただ大鯨には、それだけでないように思えた。


 それに、ここは『ソウコ』だ。

 ソウコの主の気性を考えると、そして彼女のロアンへの執着を想うと、じわりとした不安が浮かんでくるのも事実だ。しかし己には、見守ることしかできない。

 まさに、そう考えた時だった。


『おや? ………………』

「クジラ殿?」


 ロアンは問いかけたが、返事が返ってこない。大鯨が突然、その意識を閉じてしまったのだ。何があったのだろう? ロアンは不安げに周囲を見渡すと、彼の黒光りする背を撫でた。


『……ロアン』

「クジラ殿! 良かった。……どうしたんですか?」

『ロアン。……上へ戻りなさい』

「え?」

『早く。シノの所へ。おそらく三ツ島の地下道だ』


 湖にはいくつもの小島が浮かんでおり、三ツ島はそのうちの一つだ。「水上からは三つの島に見えるが、水面下で繋がっている」という、少し変わった構造をしている。迷路のように複雑に入り組んだ洞窟が走っており、ロアンも修行の一環で通ったことはあるが、普段は誰かが近づくような場所ではない。


「ちょっ……クジラ殿?」


 その大きな身体を揺らし、彼はロアンを振り落とした。水中へと放り出されたロアンは、慌てて体勢を立て直す。


『急げ! 早く!』

「何が……」

『すまない。私の口からは、とても説明できぬ。だが、急げ!』

「……」


 クジラ殿には何が視えているのだろう。いずれにせよ、のっぴきならない至急のようだ。ロアンは頷くと、三ツ島へと急いだ。

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