22:迷いと葛藤
ロアンは案の定、シノの元へ修行に出ることを盛大に拒んだ。
かなりの勢いで嫌がり、リュウとハナの話にも、全く耳を貸そうとしない。彼らは説得しようと試みたが、ロアンは梨の礫で、それどころか、どこかに姿を隠してしまった。
リシュも、はじめはロアンと同じく反対していたが、こちらは師匠二人の言葉に耳を貸した。一見、自分のほうが頑固に見られることが多いのだが、実際には、へそを曲げたロアンのほうが、ずっと頑固で人の話を聞かないのだ、とリシュは肩を落とした。
ハナもリュウも、これには閉口するしかない。十年以上、同じ屋根の下で暮らしてきたけれど、それでも知らない一面というものはあるものだ。どちらかというと頑固だとは思っていたが、隠れてしまうほど機嫌を損ねた姿は初めてだった。
「まさかロアンが、こんなに頑固とはね」
「ちっ……本当に殴って連れて行くか」
ハナは乾いた笑いを漏らした。リュウは今にも実力行使に移りそうな勢いだ。
「小さな頃から『こう』なの。いつもは緩くて、結構いい加減なのに。『どうしても嫌だ』という一線だけは、頑なに譲らなくて……」
リシュもため息をついた。こうなるロアンは久しぶりだ。今もどこかで狭い所に、はさまっているのだろう。
「私、ちょっと探してきます。とにかく一度、ちゃんと話をしないと」
「どこに行ったのか分かる? その、気配が……本当に無いけど」
不安顔のハナに、リシュは頷いた。ロアンは本格的に隠れようとしているのだろう。しかし、他では役に立たないリシュの特技は健在だ。
「たぶん。……書庫の本棚の隙間とか、街の屋台の間とか、橋の下とか、そういう所だと思います。大丈夫。隠れたロアンを見つけるのは、私の日課だったので」
「……猫か。あいつは」
「リュウ……」
「そんなもんです。本当、拗ねると面倒くさいんだから!」
リシュはぼやくと、足早に屋敷の門を出たのだった。
ロアンは街の中を流れる小川の端に、ひとり座り込んでいた。橋と植木の間に、ちょうど隠れるように縮こまっているのは流石なものだ。リシュは後ろから声をかけたが、気がついているだろうに見向きもしない。完全に、へそを曲げている。
リシュは小さくため息をつくと、ロアンの隣に腰をおろした。こうなると、下手に声をかけるのは逆効果だ。ただ黙って水の流れを眺め、ロアンが落ちつくのを待つしかない。
座った時は日陰だったのに、陽の光が目に眩しくなってきた。……という頃になってようやく、ロアンは観念したように口を開いた。
「リシュは、嫌じゃないのか?」
「……嫌に決まってるでしょ。でも、リュウやハナの言うことも、解るもの」
「そんなの……」
「ロアンは、ろくに話を聞いていなかったでしょ」
リシュとてロアンと離れるのは辛い。しかしリュウとハナの言葉には、納得できるだけの理屈があった。何より『二人が自分たちのことを考えた結果』の提案だと感じたのだ。リュウとハナの都合ではなく、リシュとロアンの望みを叶えるための最良策、それを示してくれている。しかも、無理やり連れて行くのでもなく、前もってロアンに話を通そうという配慮のしようだ。
「この先、永遠に、離れ離れになるわけじゃないでしょ? 長めの出稽古とか、街の学舎に通うと思えばさ」
「期間が決まっている学舎とは違う。どれだけ長くかかるか、全く分からないだろ」
「それは、そうだけど。だったら期限を設けてもらうように交渉するとか、やりようはあるでしょ。リュウもハナも、どうすればロアンが水属の術を使えるようになるか、考えてくれた結果じゃない」
「む……」
「ロアンは水属で、だけどリュウは火属で、きちんと教えるのに向かないからって。わざわざ水属の強い人を、紹介してくれるんでしょ?」
「…………」
長い沈黙の後、ロアンは小さく息を吐いた。
「わかってるさ。頭では。……これは、その、感情が追いついていないだけだ」
「……うん」
リシュも頷く。
「それが、俺たちの望みを叶えるのに最善だってことは、解る。そうするのが、最良だってことも。……解ってる」
「ロアン……」
リシュはそれ以上何も言わず、水面に視線を戻した。ロアンは賢い。リシュは頭で考えていても結局、感情で行動することが多いが、ロアンは逆だ。たとえ感情では納得しきっていなくても、それを律して合理をとることができる。少々時間はかかるかもしれないが、ロアンは水の皇鬼の元へ、修行に出ることを選ぶだろう。
ふと淋しさを感じて、リシュは自らの手前勝手さに呆れてしまった。ロアンに修行に出て欲しいのか欲しくないのか、これでは分からない。その感情を募らせることに怯えたリシュは、勢いよく立ちあがった。そしてロアンに気取られないよう、顔を伏せる。
「先に、戻ってるね」
逃げるように走っていくリシュを、ロアンは追わなかった。
「……だから、嫌なんだよ」
残ったロアンは肩を落とし、そう独り言ちたのだった。
※
「リシュ? どうしたの!」
独り戻ってきたリシュを見て、ハナは跳びあがった。「ロアンを探しに行く」と、出て行った時には淡々としていたのに、今にも泣きだしそうな表情だ。否、すでに泣いたのかもしれない。赤みがかった弟子の目尻を見て、ハナは不安げに眉を寄せた。
「ハナぁ……」
そのままぶつかるように胴へ腕をまわしてきたリシュを抱きとめ、ハナは困惑の表情をリュウへと向ける。「知ったことか」と言わんばかりに肩をすくめた皇鬼を横目に、彼は弟子へと問いかけた。
「リシュ。ロアンとは、会えたのかい?」
「……」
彼女は黙ったままで、ただ首を縦に振った。
「どうしたの。喧嘩でもした?」
「……」
今度は首を横に振る。そしてハナの胸元に顔をうずめたまま、動かなくなってしまった。
何がどうなっているのか、訳がわからない。師匠は大人しく弟子の背をさすり、なだめるしかない。一方、皇鬼の見解は違ったようだ。
「……実際にロアンが居なくなることを想像したら、怖くなったんだろ」
遠慮のない指摘に、リシュはびくりと身を強ばらせた。リュウの言うとおりだ。ひとたび考え出してしまったら、それはとても淋しくて、何より恐ろしいと思ってしまったのだ。ロアンには偉そうなことを言っておきながら、情けない。
「ゔ……」
「……そうなの?」
リシュは渋々、ハナから離れた。再び滲み出てきそうな涙をこらえ、鼻をすする。
「そっか……」
普段は気丈に振る舞っていて分りにくいが、こういう可愛らしい弱さを持っているのは、とても『らしい』と思う。そしてロアンがあれほど修行に出ることを拒絶した『本当の理由』が、腑に落ちたような気がした。
「ハナ。リュウ。ロアンの修行は、たぶん、何年もかかるものでしょう?」
あまり見ることのないリシュの弱々しい問いに、ハナたちは顔を見あわせる。しかし、ここで気休めを言うわけにはいかない。
「まあ、そうだね」
「ロアン次第ではあるが、それでも一年や二年で終わるものではないことは確かだな」
「だよね」
リシュは肩を落とした。じわじわと、大きな瞳に水が溜まっていく。
「……よく考えたら、今まで、ロアンとそんなに長い間、離れていたことが、なくて、そう、思ったら、」
しゃくりあげながら訴えるリシュの頭を、ハナは愛おしげに撫でた。
「……はあ。恥ずかしいよね」
「そんなこと。リシュとロアンは、そうやって生きてきたんだもの。仕方がないよ」
こんな言葉は、飴玉よりも役に立たないだろう。そう思っていると、意外なところから声がかかった。リュウだ。
「そうそう。ハナの放浪癖に比べたら。気まぐれに、いつの間にか、突然姿が消えている、なんていう事はないんだ。理由も、期限があることも判っているんだから。良心的だ」
どこか含みを持たせた言い方に、うぐぅぅ、とハナが喉を鳴らした。
この十年の間にも幾度かあったことだが、ハナには突然、放浪の一人旅に出る『クセ』があるようなのだ。本当にある日突然、何の前ぶれもなく居なくなる。
初めて『それ』に遭ったときには、リシュもロアンも度肝を抜かれた。なにしろ、ある日の夕方、晩飯の用意をしていたリシュに、「ちょっと出てくる」とだけ言い置いて、そのまま姿を消してしまったのだ。双子は辺りを探し回ったが、見つからない。次の日も、その次の日も帰って来ず、リシュとロアンはハナの身に何かあったのではないかという不安と心配に、途方に暮れてしまった。
結局ハナが、リュウに引きずられるようにして帰ってきたのは、それから一月もあとのことだ。「いや、ちょっと海が見たくなって……」と言うのが、その時の彼の言い分だ。
そう思うのは自由だ。しかし何故あの状況で、ふらりと旅に出るのだろう?と、双子は本気で訝しんだのだった。
「リュウ。ひどい言い草だな」
「ふん」
リュウも、このハナの『クセ』には心底まいっているらしく、とはいっても双子の心配とは少し違って「どうして自分も連れて行かないのだ」という僻みのようだが、事あるごとに文句をつけていた。
リシュは思った。確かにロアンは、ハナの放浪癖とは違い『突然いなくなる』わけでも、『行方が分からなくなる』わけでもない。期間こそ定かではないものの、修行に目処がたてば『戻ってくることは確か』だ。
気持ちの落としどころを見つけたのだろう。みるみる表情を明るくしたリシュに、少しだけ複雑な表情を向け、ハナは胸をなでおろした。たとえ自分が引き合いに出されたとしても、この娘がしょげて泣いている姿は、見るにしのびない。リュウも似たようなものなのかもしれない。彼はしばしば、リシュを怒らせる。茶化したりからかったりして、なにかとちょっかいをかけるのだ。しかし今はその様子がない。珍しいことだと、ハナは思った。
「あとは、そうだな。さすがに一年二年では済まないだろうが、『修行が終わるまで』という区切りではなく、五年、七年と、はじめから期限を設けてしまうか、だな」
「そんなことができるの?」
「さあな。シノとの交渉しだいだ。なにしろ向こうにはまだ、何も話を通していないんだぞ。拒否される可能性もあるし、ロアンを見て『嫌だ』と言ってくるかもしれない」
「それは……」
それはそうだ。あくまでも、今はハナとリュウの提案でしかない。そもそも皇鬼に修行をつけて欲しいなど望んで、その通りになる類の話ではないはずだ。
リシュはふと、もっと根本的な別の不安を抱いた。
「ねえ、そのシノという皇鬼は、どんな人なの?」
ハナやリュウが、ロアンの修行先にと名前をあげるくらいだ。話のできない相手ではないのだろう。しかし、そうは言っても相手は皇鬼だ。果たしてロアンが、まともに教わることのできるような相手なのだろうか。
リュウは是とも否とも言えない、じつに微妙な表情でもって答えた。
「話はできる奴だが、会ってみないと何ともだな。アレは、異常にこだわりが強いから。一途と執念深さが同居しているというか。ロアンのことを気に入れば、まともに相手をするだろうが、気に入らなければ殺そうとしてくるかもしれん」
「え……好き嫌いの問題、なの?」
リシュは呆気にとられた。こだわりや執念深さはリュウも引けをとらないのでは……という考えが頭をよぎったが、ここは黙っておく。
思うに『そういう性質の鬼』が、他より強くなるのだ。ライの仙郷では仙たちもずいぶん『俗っぽい』と感じたものだが、ロウザンで暮らすようになって『鬼はそれ以上に、俗っぽい』ということを知った。しかも『人らしい俗っぽさ』を残している者ほど、やがて強くなり、貴鬼と成ってゆく。
仙の世界も鬼の世界も、生きている人の世とそうそう変わりがないのだろうと、リシュは常々思っていた。その違いは『死んだことが有るか無いか』に過ぎない。まあ、その『違い』こそが、途方もなく大きいのだが。
「うーん。そうだね。確かに少しばかり気性と好き嫌いは激しい人だけど、実際に話してみるとなかなか楽しい人……だよ?」
ハナが言いよどむということは、そういうことだ。リシュは少々、不安になってきた。
「そう、なんだ」
「何というか、そうだなぁ……。うん。たとえばリュウにとって、他人は『大切』と『それ以外』に分かれていて、『大切』に害が及ぶと怒るだろう?」
なかなか乱暴な言われようだが、言わんとすることはわかる。
リュウにとって、世界は『大切なもの』――これは主にハナのことだ――と、『それ以外のモノ』で出来ている。ハナ本人とハナが大切にしているものだけが特別で、重要で、それ以外は意に介さない。それらを害する相手には容赦がない。おそらく仙郷でゾラが言っていた『リュウの逆鱗』というのは、ハナのことなのだろうと思う。
以前、ハナに毒を盛ろうとした鬼がいたのだが、それを知ったリュウは、有無を言わさず消し炭にしてしまったのだ。事情も言い分も、相手が口を開く暇さえ与えなかった。それは、日頃の彼とは全く別人のようで、その冷たさに双子は背筋を凍らせた。『これが皇鬼という存在なのだ』という体感と、恐怖だった。
背筋の寒さを思い出し、リシュはうなずく。
「で、シノにとって他人は『好き』と『嫌い』と『興味がない』に分かれているんだよ。特に『嫌い』に対しては、リュウ以上に容赦がないんだ。そこに居るだけで、殺されかねない。そうなったら、……逃げるしかないね」
「……逃げられる?」
「私とリュウが頑張るよ。……とまあそういう、ちょっと『繊細な気性』のご婦人なんだ。でもこの件はリュウを介するからね。彼女も表立ってリュウと事を構えるつもりは無いと思う。だから、ロアンが彼女の『嫌い』に分類されさえしなければ、なんとかなるはずだ」
「だな。駄目なら他の手を考えよう」
「そう、だね」
どこか釈然としないものを感じながらも、リシュは相槌を打った。
「とにかくまずは、ロアンの意志だ。ここでシノの機嫌を疑っていても埒が明かない」
リュウは吐き捨て、連れ戻しに行こうと腰を上げる。しかしそれを押しとどめ、リシュは首を横に振った。
「ロアンは、『行く』と言う、と思う」
「……そう」
「うん。だから、私も覚悟を決めないと。ねえ、ハナ。リュウ。ソウコへ行く時は、私も一緒に行ってもいい? どんな人なのか、会ってみたい」
こうしてロアンは、シノの暮らすソウコへ修行に出ることになった。リシュはロウザンに残り、ハナの元で修行を続ける。ソウコはソムルの西の端で、ロウザンは東の端だ。移動の術を使う実力があればあっという間だが、そうでなければ気軽に行き来できるような距離ではない。
リシュもロアンも、心にわずかな閊えを残したまま、それでも覚悟を決めたのだった。
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