13:仙郷を出る

 その後しばらくして、結局リシュとロアンは仙郷を出ることになった。

 ジュシは『いやがらせ』の手をゆるめず、正直、面倒くさくなったということもある。しかしそんなことよりも、アコが双子を庇ったことで『アコ勢力 対 ジュシ勢力』の争いが、本格化してしまったのだ。「もともとだ」とゾラは笑ったが、それは双子の本意ではない。

 アコやゾラ、親しくしていた仙たちと分かれるのは寂しかったし、まだまだ彼らから教わりたいことも沢山あった。ロアンは仙郷の巨大な書庫から離れることを、割と本気で口惜しがっていたくらいだ。


 しかし、双子は決めた。


「本当に、行くのね」

「うん。今まで、ありがとうございました」

「色々とアコには、迷惑もかけてしまったし……」


 別れを惜しむアコに、双子は努めて笑い、礼を言った。


「迷惑なんてとんでもない! 私も、あなた達と出会えてよかったわ。……本当に、そう思います」

「元気でな!」


 アコの後ろで、ゾラも笑う。


「それじゃあ……」

「……行くね」


 リシュとロアンはアコの抱擁から離れ、仙郷に背を向けた。行く先は決まっていなかったが、まあ、なんとかなるだろう。あたり前のように手をつなぎ、歩きだす。痛みを気にすることもない。痣が染みついてしまった手のひらに、アコはいい顔をしなかったが、リシュもロアンも気にしなかった。


「リシュ! ロアン!」


 その声にふり返ると、アコがひどく思いつめたような、今にも泣き出しそうな悲痛な表情をしていた。そして、その場にうずくまってしまったのだ。


「アコ!」

「どうしたの?」


 驚き、駆け戻ってきたリシュとロアンを見あげ、アコは金魚のように口をハクハクと開閉する。そして大きく息を吐くと腹を括ったらしく、意中の言葉を絞り出した。


「リシュ。ロアン。ごめんなさい。……これは、あなた達に言おうか言うまいか、ずいぶんと迷ったのですが」

「……?」

「どうしたの?」


 何か、良くないことだろうか。双子は不安に駆られたが、しかしアコは意外な名前を口にした。


「あなた達は、『ハナ』という仙を頼って仙郷をめざしていると、言っていましたね?」

「『ハナ』だって?」


 ゾラが驚きの声をあげる。うすうす感じていたことだが、仙にとって『ハナ』という名前は何か特殊な意味を持つらしい。


「う、うん」

「でも、五十年くらい前に、ハナは仙郷から出て行った、って聞いたけど」

「そうです。ハナは、自分の足で、此処を出て行きました。今のあなた達と同じように」

「……」

「……」

「私は、あなた達は『ハナ』と会うべきだと思います」

「おい! アコ!」


 慌てたゾラが、アコの肩をつかんだ。その焦りようを見るに、『ハナ』という名前はあまり良い意味ではないのかもしれない。それでも双子にとっては『きっかけの手がかり』だ。


「どうして?」

「ハナは古い仙です。私などよりも、ずっと。一体いつ頃の生まれなのかも知りません。仙郷での地位も徳も力もありました。……ですが、ハナは地仙となった」


 アコは一度、言葉を切った。そして、大きく息を吐く。


「ハナは、『天のきまぐれ』なんです」


 双子は息をのんだ。


「……リシュと、同じ?」

「確か、すごく珍しいって……」

「はい。ものすごく、珍しいです。私もこの五百年で知っているのは、リシュとハナの他には一人だけです。私が知らないだけかもしれませんが」

「五百年で、三人……」


 それだけ珍しく、しかもハナが有名な仙だったのなら、仙郷でリシュたちの耳に何も入らなかったのは不自然だ。やはり何か事情が、しかも公にしたくない類の事情があるのだろう。


「ハナは、どうして仙郷を出ていったの?」


 アコは首を横にふった。


「何故、ハナが地仙となる道を選んだのか。推測はできても、真のところは分かりません。確かに地位も徳も力も持っていたのですが、同時に本当に、本当に変わり者で。私には、とてもとても……」

「……」

「……」

「誰かの口から話を聞いて、ハナを理解し判断するのは無意味です。何と言いますか、『そういう仙』でした。他人には、なかなかに理解の及ばぬ方なんです」


 ここまで言われるとは、いったいどれほどのものなのだろう。


「それは……会っても、話しができるのかな?」

「……だよな」

「そうですね。どうでしょう。ですが、それでも私は、あなた達はハナと会っておいた方が良いと思います。リシュと同じ『天のきまぐれ』で『地仙』だから、というだけではありません」

「それじゃあ……」

「……何故?」


 アコは躊躇いがちに口元を結んだ。おそらくは、こちらが『公にしたくない事情』なのだろうと、双子は思った。


「ハナが今、どこで何をしているかは分かりません。ですがハナは、とある『皇鬼』と並んで、仙郷から出て行ったんです。……あなた達のように」

「……」

「……」

「『皇鬼』って確か、鬼のなかでも、ものすごく強い『上の位の鬼』だよね?」

「ああ。それこそ数も少なくて、四人とか五人しか居ないって」

「仙郷での学びが、役にたっているようで何よりです」

 

 妙なところで師匠風を吹かせるアコだ。双子は考えた。仙と鬼が親交を持つのは不思議なことではない。それは自分たちが良くわかっている。しかし皇鬼ともなると、果たして対等に付き合えるのだろうか


「ハナと、その皇鬼は、仲良しだった。ってこと?」

「そうですね。よく一緒につるんでいました。仙郷は、あまり良い顔をしませんでしたが」

「そうなの?」


 リシュの問いに、アコは苦笑いを返した。


「鬼や貴鬼ならまだしも、『皇鬼』ですからね。ハナの身を心配していたということもありますが、その気になれば、この仙郷を壊してしまえるほどの力があります」


 やはりそうなのだ。双子は押し黙ったが、ゾラが横から口を出す。


「というより実際、そうなりかけたんだよ。どっかの馬鹿が、リュウ……その皇鬼のことな。そいつの逆鱗に、下手にちょっかいを出したおかげでな」

「そうなの?」


 その皇鬼の名前は『リュウ』というらしい。


「ああ。暴れるリュウを前に、俺たちは手も足も出なかった。ハナがとりなしてくれなければ、この仙郷、いやライ山そのものが無くなっていたかもしれない。それほどの力だった」


 ゾラは大げさに身震いをしてみせた。茶化しているようにも見えるが瞳の色は真剣で、当時のことを思い出したのかもしれない。

 リュウという皇鬼の力は、それほどまでに桁外れなのだろう。双子は目前にそびえる山々を眺めた。『これ』を壊す、という思考自体が出てこない。


「口では色々御託を述べちゃあいるが、ここの連中はその皇鬼を、今でも恐れているんだ。だから彼と親交の深かったハナについても話題を避けている。……ぶっちゃけ、お前たちがジュシから目の敵にされていたのは『ソコ』だよ」

「天のきまぐれと……」

「……鬼の組み合わせ?」


 呆気に取られたリシュとロアンだが、思い返してみると腑に落ちることも多かった。彼らは遠くからの嫌がらせには忙しかったが、それだけだ。なにかと中途半端だったのだ。リシュはハナではないし、ロアンも皇鬼ではないのだが、彼らが双子を『ハナと皇鬼』と重ねて見ていたというなら頷ける。見事なまでの、とばっちりだ。


「でも、ハナと皇鬼が一緒に仙郷を出て行った、というのは?」

「ハナが仙郷を出たのは、リュウが暴れたすぐ後なんだよ。リュウを宥めたその足で、一緒に出て行ったんだ」

「それって、ハナがリュウを庇ったってこと?」

「さあな。なんせその少し前まで、ハナとリュウは盛大に闘ってたんだぜ? 俺には分からん。『意味のわかる言葉』が返ってくるかは怪しいが、ぜひ直に聞いてみてくれ」


 これは、本格的に会話が成り立つのか不安になってくる。双子は眉根を寄せたが、アコは否定した。


「いいえ。確かに彼らのことは分かりません。分かりませんが、私が言いたいのはハナとリュウは『それでも一緒にいて、並んで出て行った』ということです。リシュとロアンの『望み』を叶えるきっかけになるかもしれない。……そう思ったんです」


 アコの言わんとしていることを悟り、双子はハッとした。


「仙と鬼でも……」

「……傷つけあわずに済む方法が、ある?」


 リシュとロアンは、手のひらに残る痣を見つめた。これまで誰に訊ねても、芳しくなかった双子の望みに、小さな光が見えた気がする。


「かもしれない。ですけどね。ですがあなた達は『天のきまぐれ』と『鬼』です。ハナとリュウと同じ。そして、それでも共に在ろうとする。それだけ共通点があるのなら、ハナに話を聞いてみるだけの価値はあると思うんです。ですが……」


 アコは言葉を切り、そして続けた。


「ですが、ハナが何処にいるのか手がかりはありませんし、会えたとしてもまともに話ができるかどうか。さらに隣には凶暴な皇鬼がいる。仙であっても鬼であっても、命と胆力が持ちません。危険すぎます。……ですが、リシュとロアンならもしや、とも」


 有力な手がかりであることは確かだが、伴う危険が大きすぎる。だから言うか言うまいか迷っていたのだ、と詫びるアコを横目に、ゾラがとんでもないことを切り出した。


「俺、居場所だったら、心あたりがあるかも」


 アコと双子はゾラに詰め寄った。


「ゾラ! どういうこと?」

「ハナが何処に居るか、知っているの?」

「なんで黙っていたのよ!」


 その勢いに気圧されながら、ゾラは双子を押しのけた。


「待て待て待て! ハナの居場所を知っている、という意味じゃない。俺が言っているのは心あたり! それに、ハナじゃなくて皇鬼! リュウの方だ!」

「皇鬼……」

「……リュウの居場所?」

「ああ。先日ソムルへ行ったんだが、ロウザンの一画に鬼たちが集まって暮らしていると噂になっていたんだ。そこを仕切っているのが皇鬼のリュウだ、という話だ」

「ロウザン……」

「……ソムルの大国。ニジョウの北にある国だよな」

「あくまで噂話だが、本当にリュウがロウザンに居るのなら、ハナも一緒にいるかもしれないだろう? そうでなくても、何かしら知っている可能性は高い。闇雲にハナを探しまわるよりはいいんじゃないか?」


 ゾラは得意げに語ったが、アコ達は微妙な視線を向けた。


「確かに……」

「……でもそれって」

「ゾラ。先ほどの話を聞いていましたか? ハナが一緒にいれば良いですが、そうでなければ皇鬼と交渉して情報を聞き出す必要がある、ということですよ?」


 確かにそうだ、と肯定しつつも、ゾラはどこか楽観的だ。


「でもリュウは、どちらかと言うと『話の通じる鬼』だと思うぞ」

「それはハナが間に入っていたからですよ。あとは単に、あなたが上位の武仙で戦う力を持っているからです。『いざとなれば戦うことができる』と思えば、余裕もできるでしょう」

「む……」


 確かにロアンが鬼だということを気にしなかったのは、圧倒的に武仙が多かった。『力があるから強者とも対等でいられる』というアコの言葉は、言われてみれば最もなことだ。


「いきなり皇鬼と渡り合って、しかもハナについて話を聞こうとするなんて、命知らずもいいところです。仙も鬼も『不死』ではないのですよ」

「むう」


 アコの反論に、ゾラは押し黙る。リュウにハナの話を聞くことが、どうして命知らずになるのかはよく分からなかったが、すでに双子の気持ちは決まっていた。


「ロウザンへ行く」

「ああ」


 リシュとロアンは息巻いた。不安はあったが、迷いはない。

 たとえ危険であっても、他に手がかりはないのだ。それに双子の望みのためには、ハナだけでなくリュウにも話を聞く必要があるように思った。ロウザンとやらに行ってみて、ハナとリュウが居なければ、そのときは別の方法を探せばいい。あてもなく彷徨うより、たとえ噂でも目的がある方が幾分ましだ。


「それに鬼が集まって暮らす街って、ちょっと見てみたいよね」

「確かに。それは俺も興味がある。皇鬼は、正直ちょっと怖いけど」

「敵わなさそうだったら、逃げればいいよ」

「なんで戦う前提なんだよ。この脳筋!」

「そもそもどうなるか分からないんだから、覚悟だけはしておいたほうがいいでしょ! そのときは、ロアンも手伝ってよ?」

「絶対に嫌だ……!」


 リシュとロアンは喧々諤々、今度こそライの仙郷を後にしたのだった。



 しんみりと双子の背中を見送りながら、ゾラはアコに心中をこぼす。


「なあ、アコ」

「何ですか?」

「俺、あいつらならハナとリュウとでも、『まともに会話ができる』と思う」

「ええ。不本意ながら、私もそう思います」





 こうしてリシュとロアンはライの仙郷を出て、ソムル国のロウザンを目指すことにした。半ば追い出されたようなものだったが、双子の足どりは軽かった。

 アザイを旅立った時は、仙と鬼について右も左もわからず不安だらけだったが、今は違う。少なくとも基本的な知識を得たことで『分からないまま』の恐怖は減ったのだ。天のきまぐれは例外も多いとアコは言っていたが、それならば『例外』を知ればいい。何より幾度も否定されてきたリシュとロアンの望みに、一纏の希望が見えたのだ。この機を逃す理由はない。

 皇鬼が相当に強く、恐ろしいらしいこと。ハナという地仙が、相当な変わり者らしいこと。ハナとリュウを探すことに畏れがないわけではなかったが、それよりも二人に会って話を聞きたいという想いが勝った。ロウザンという鬼の街がどういう場所なのかすら知れない。それでもリシュとロアンの心は浮足立ったのだった。



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