14:ロウザンへの路

 ロウザンは、ソムルの東方にあるらしい。オルトの山地ほどではないが、山深い土地のようだ。今時期だと順調に進んでも、二月ほどの距離だという。

 

 オルト領から国境を超えてソムルへ入った際、役人が丁寧な口調で教えてくれた。『大国ソムル』と言われるだけあって、見た目には厳つい役人も親切だ。「治安が良い国なのだな」などと、双子は思っていたのだが、どうやら彼らの対応の要因が自分たちの手形にあると知って驚いた。

 どうやらそれは、国の要人や軍の上層部など『特殊な立場』にある者に発行されるような、特別な手形だったらしい。


「これ、大丈夫か?」

「うん。使うの、ちょっと怖いね」


 この手形があれば、ニジョウ国以外でもある程度の特権が与えられると聞き、双子は逆に怖くなった。その効力に驚き、本気で戸惑っている様子の双子を役人たちは訝しんだが、細かく追求しなかった。『そういうこと』も含めて、特殊な手形なのだろう。


「おじいちゃんって……」

「……さあな」


 祖父が多くの武人から『エイケン老子』と尊称で呼ばれ、かつてニジョウの国軍で地位があったらしいとは知っている。しかし他国でも通用するような手形を、あの短期間で用意できるなど、普通ではありえないことも分かる。


 双子はしみじみと、手のひらに収まる木の札を眺めた。それこそ見た目は『普通』の手形で、名前や年齢、出身地などが記されている程度だ。ひとつ違って見えたのは、手形の裏面だった。

 手形の裏には通常、それを発行した行政、つまり保証元の名称と印が入る。以前、双子が持っていた手形には『アザイ領』と大きく書かれていたのだが、今の手形にはそれがない。代わりに何やら複雑な意匠が刻まれていた。ロアンやカイが大好きなミミズののたくったような文字にも見えるし、華や鳥の羽根を模した紋様にも見える。

 ロアンですら知らないと言う。そうすると文字ではなく何か、つまりこの手形が特殊なものであることを示すための『印』なのだろう。


 寿命がない仙と鬼の身元保証の有無など、そもそも可笑しな話だ。しかし人の世と関わって生きていくことを決めたリシュとロアンにとって、この手形は恐ろしくもありがたい物だった。祖父が何を思ってこのような手形を用意したのか。その真意を直接訊ねることはできないだろう。

 それでもいつかアザイに帰ろうと、双子は心に留めた。


 ※


 リシュとロアンは船に乗った。

 ソムルは湖や河川が多いという。陸路より水路が発展しているようで、特に大きな荷を運ぶ際や長距離の移動には、船を使うことが多いらしい。案内された船着き場には、大中小とその大きさや形、見たこともないような船たちが身を寄せ合っていた。


「すごい。あんなに大きな船、はじめて見た」


 リシュが思わず感嘆の息を漏らすと、ロアンもうなずいた。


「きっとソムルが豊かなのは、この河と水運があるからなんだろうな」


 少し離れた波止場では、大きな船から大量の荷が降ろされていく。あれだけ積んでも船が沈まないのかと疑問に思うほどの量だった。あれが食糧だとして、山ふもとの村なら優に半年は食べていけそうだ。

 リシュは努めて何気なく、船が揺らす水面へ視線を落とした。


「この水を、ユザまで運べたらいいのに」

「そんなこと……」


 できはしないと分かっていても、双子はそう思わずにいられなかった。水不足が原因で戦が起こる国もあれば、水にあふれている国もある。

 しかしどうやら、水が多いというのも良いこと尽くしではないらしい。確かに水不足にはならないが、そのぶん水害は多く、大雨が降ると河が切れて田畑や家屋が流れたり、水を含んだ山が崩れて村が埋まることもある。水運は便利だが天候次第で、船が出せなくなると物資の流れが完全に止まってしまう土地も出てくるそうだ。


「水を介した病も多いしねぇ」


 そう困ったように口にしたのは、船の上で知り合った妙齢の女性だった。浅黒い肌に日に焼けた赤い髪を揺らしたその人は、なんでも先日姪っ子が生まれたとかで、弟夫婦を訪ねていくそうだ。祝いの土産とおぼしき大きな包みを抱えている。

 彼女はどうやら、幼くはないが大人でもない、そんな年頃の双子が二人だけで旅をしている様を見て気になっていたらしい。リシュが「ユザに……」と口にしたのを耳にして、例の勘違いと共にお節介を焼いたようだった。


 双子がロウザンをめざしていること聞くと目をみはり、「それはまた遠い所まで行くのねぇ」と、ソムルのことを口やかましくも色々と教えてくれる。そして意味深に「時期があまり良くないわねぇ」と。気の毒がった。


 国境の役人も言っていたが、この時期にロウザンまで行くには、二月はかかるという。というのも、ロウザンに向かう途中で、水路が使えなくなってしまう場所があるというのだ。水の豊かなソムルだが、相手は自然だ。河の水位が十分な時期ならば、直接ロウザンの入り口まで船で行けるし十日もかからないらしい。しかし年のうち数月は水が減り、船が通れなくなる。それがちょうど、今時期のことだという。

 どうしても陸路で行かざるを得ず、その道も悪路が多いので人の行来は減る。そのためロウザンは他と比べて人の手が入っておらず、ソムルでも辺境の地だということだ。


「最近、妙な噂もあるしねぇ。気をつけるんだよ」

「妙な噂?」

「気をつける。ということは良くないこと?」


 もしや、件の『鬼の街』についてだろうか。双子は期待して耳を傾けたが、彼女は「しまった!」と言わんばかりに口ごもった。


「いや、その。なんでもロウザンに、あんた達みたいな子らに言うのもなんだけど、大きな『遊び場』、その、まあ、『悪所』ができた。っていうんだよ」

「遊び場……」

「……悪所」

「つまり、賭場とか……」

「……大人の男の人が通う、そういう?」


 女性は、あからさまにほっとした表情を見せた。『ソレ』について詳しく説明しなくても話が通じたことに、安堵したのだろう。


「ああ。旅人が拐されて連れて行かれた、なんて話もあるよ。人がいつの間にか消えるんだと。国のお偉い方が出入りしているって噂まであるし、とんでもないことだよ!」


 彼女は憤慨して悪態をつく。ぶつぶつと文句を言い続ける姿を横目に、双子は顔を見あわせた。『鬼の街』と『悪所』。人々の印象としては、大差ないかもしれない。ゾラの言っていた噂が、鬼ではなく悪所の話だった可能性もあるのだ。双子は立ち淀んだ。あくまで噂として、不確かな情報だと納得してここまで来た。それでも、期待する気持ちがなかったわけがない。「空振りかもしれない」というじんわりとした嫌な予感は、双子に眉を寄せさせた。


 どう捉えたのか知れないが、彼女は気づかわしげにリシュの肩を軽くたたく。そして、

「ま、どこまでが本当で、どこまでが噂なのかは分からないよ。気をつけるに越したことはないが、心配しすぎなくてもいいさ」と、笑った。

 そしてしばらく、あれやこれやと話し続け、いくつめかの波止場で船を降りていった。


 リシュとロアンは、ぼんやりと緑の流れを眺めた。土が変わったのだろうか、黒っぽく揺れていた河の水は、いつの間にか色を変えている。


「どう思う? ロアン」

「まあ、行ってみないと分からないんじゃないか? ゾラの言葉も、さっきの人の言葉も、あくまで噂だろ?」

「それは、そうだけど」


 ロアンのもっともな言葉に、リシュは口を尖らせた。


「ちぇっ。ロウザンまで船で行ける時期なら良かったのに。差がありすぎよ」

「自然が相手だ。仕方がないさ。それに、それだけこの国では河と水路が重要視されているってことだろ? 水の流れの如何で、土地や街の発展にも差が出るんだ。……面白い」


 かわってロアンは、どこか楽しそうだ。知らない土地を見たことで、彼の知識欲がくすぐられているのだろう。リシュは肩を落とし、ますます口を尖らせたのだった。



 船の旅は順調だった。予定より一日早く陸路へ入った双子は、それが『悪路』と言われていた意味を、早々に思い知ることになった。確かに悪路としか言い表しようがない。道が整備されているいない以前の問題で、まるで『獣道』だったのだ。

 近隣に暮らす人々が、細々と使っているだけの道なのだろう。わずかに踏みしめられた跡が残る程度のもので、とにかく分かりにくい。山には慣れているリシュとロアンでも、往々にして苦労した。道なりに進んでいたと思えば他所に抜け、本物の獣道かと思えば本道だったりする。双子は幾度も迷いに迷い、道を引き返しては進み、曲がりに曲がった。


 結局、リシュとロアンがロウザンに辿り着いたのは、ソムルに入って三月も後のことだ。吹く風は、そろそろ肌寒くなっていた。

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