11:洗礼と返礼

「ひとまず、私が暮らしている所へ案内しますね。道と建物の位置を、よく覚えてください。此処は本当に広いから。迷うと大変な目に遭いますよ。気をつけてください」


 すたすたと歩きだしたアコを、双子は追いかけた。ライの仙郷はライ山にあるので、もちろん山道だ。しかしその山道は、複雑に曲がりくねり、入り組んでいた。しかも途中でいくつもの建物が立ちふさがるのだ。先へ進むには建物の内部を通り抜ける必要があった。確かにこれでは、慣れない者は確実に迷うだろう。


 例の視線の気配は、今も続いていた。その主らしき姿は、堂々と見てくる者、柱の影から出てこない者、と様々だ。仙主との話がついたらしいと見て取って、今後の動きに注目しているのだろう。しかし、いくつめかの建物の廊下を歩いていた時、ふいに横から声がかかった。


「お! アコ。そいつが例の『天のきまぐれ』か?」


 見ると、そこらの畑でも耕していそうな装いの凡凡とした男が立っていた。全くもって、らしくない風体だが、此処にいるということは彼も仙なのだろうか?

 その男を認めると、アコはこれ見よがしにため息をついた。


「戻っていたのですか、ゾラ。またそのような恰好をして。……何か御用ですか?」

「ああ。ちょうど畑を手伝ってきたところなんだ。ちょっと待て。……これで良し、っと」


 双子は目をみはった。ゾラと呼ばれた男が『何か』すると、野良着姿はあっという間に消えうせて、美しい衣を纏った『仙』が現れたのだ。服だけでなく、髪や肌も小綺麗になっている。


「おや。天のきまぐれ殿は、仙術を見るのは初めてかい?」

「セン……ジュツ?」


 仙郷に来てから何度目か、もうわからない。『知らない言葉』の出現に、リシュは頭を悩ませた。いや、どこかで、カイさんあたりが言っていたかもしれないが。


「応。まあ、言葉どおりさ。仙が使う不思議な術。仙の術。つまり仙術だ。今みたいに服や見た目を変化させたり、天候を操ったり、……鬼を殺すための炎を出したり」

「ゾラ!」


 アコが止める間もなく、ゾラはロアンに飛びかかった。それは結構な速さと威力を持った蹴り技だったが、紙一重でロアンは躱す。美しい彫刻が施された床板が、無残に割れて散らばった。


「へぇ? やるじゃないか」

「俺は、あなた達と戦うつもりはないです!」

「そうです、ゾラ! 仙主からも説明があります! やめて下さい!」


 戦う意志がないことを主張したが、ゾラはにやりと笑って肩をすくめた。


「そんなこと言われたって、『言葉じゃ納得できない』奴は多いと思うぞ?」

「それは……」


 すると、返答に窮したアコの代わりに、リシュが一歩前に出た。


「じゃあ、私が相手になります」

「リシュ? おやめなさい! 彼は……」

「『言葉じゃ納得できない』それはその通りだと思うもの。私だって、『ロアンが鬼だから』『私が天のきまぐれだから』って勝手に言われて、それで邪険にされても納得できないんだから! 話し合いの喧嘩でどうにもならないなら、殴り合いの喧嘩よ! 大丈夫。仙は簡単には死なないんでしょう?」

「馬鹿! この脳筋バカ!」


 ロアンが頭をかかえて叫んだが、リシュは不敵に笑う。


「大丈夫!」

「よっしゃ! やってやらぁ!」


 そうしてリシュとゾラは、盛大な殴り合いを繰り広げた。騒ぎを聞きつけた仙たちが、かたずを飲んで『観戦』する中、リシュが左の腕を折り、ゾラが右の脚を折ったところで決着と相成ったのだった。



「リシュの馬鹿! 阿呆! 考えなし! この脳筋!」


 触れるに触れられないロアンは、リシュの周りでおろおろしていた。しかし口では悪態をつき続けている。

 リシュはアコに手当てをしてもらいながら「だって……」と口を尖らせた。仙の身体は放っておいても怪我は治るが、『より治りを早くする仙術』というものがあるらしい。大きな怪我を負った時には役に立つため、一般的かつ基礎的な仙術ということだ。


「アコ。俺にも……」

「うるさいです。ゾラ。あなたは自分で出来るでしょう」


 ぞんざいな扱いを受け、ゾラは「ちぇっ」とそっぽを向いた。


「第一どういうつもりです? このような真似をして!」

「言ったとおりさ。仙主がどんな説明をしたとしても、言葉だけではこいつらが仙郷に滞在することに納得できない奴は多いだろうよ。なんつったって『鬼と天のきまぐれの組み合わせ』だぞ?」

「だからといって!」


 アコが文句をつけるが、すでにゾラは聞いていなかった。それどころか嬉々として、リシュとロアンに話しかけていく。


「えーっと、リシュとロアン、だったか。俺はゾラ。見ての通りかどうかは分からんが、ライの仙郷に属する仙だ。よろしくな!」


 屈託なく笑い、握手を求めて手を差し出す始末だ。


「ええ、と……」

「……はい」


 双子の煮え切らない反応に、ゾラは面白そうに眉をあげた。


「ははん? それにしてもお前たち、なかなかの腕だな。仙術や鬼術……あ、仙術の鬼版な、は、まだ使えるような状態じゃないんだろう? それなのに、ここまで俺と張り合えるなんて。まあ、『こうしておけば』下手なちょっかいをかけてくる奴は減るだろうさ」

「ゾラ。あなた、やっぱり……」

「どうせ三人とも気づいていたろ? 『わざと』だって」


「えっと、はい。いきなりで不自然だったし……」とロアン。

「……殺気は、無かったもんね」とリシュ。


 双子はそう口にしてうなずいた。ゾラは、他の仙たちへ『見せつけるため』に二人を挑発し、攻撃を仕掛けてきたのだ。結果としてリシュとロアンは、ゾラのふいうちを躱し、脚を折るほどの力を持つことと、やられっぱなしで黙ってはいない質だということを、周囲に示すことができた。ゾラの言うように、下手に手を出してくる者は減るはずだ。


「ゾラさんは、あの、どうしてこんなことを、してくれたんですか?」


 おそるおそる訊ねたロアンに、ゾラは首をひねった。


「ゾラでいいって。敬語もいらん。……そうだな。そのほうが『面白い』だろう? それに、陰険なのは好かん! 裏でコソコソと画策したり陰口を叩くのは、どうにも性に合わない」

「面白い……」

「……陰険」


 実に手前勝手な、身も蓋もないことを豪語するゾラに、双子はぽかんと口を開けた。


「まあ、俺がわざとやっていると気がついた仙もいるだろうがな。そういう奴は、会話もできる。気にするな」

「だとしても! です。やり方と、限度はあるでしょうに。何も二人して、腕と脚を折るまでやらなくても良いのでは?」

「まあ、それは……」

「ごめんなさい」


 リシュとゾラは、そろって口ごもった。

 何かに感づいたロアンが、疑惑の目を向ける。


「リシュ。まさかだけど、『楽しくなって、止められなくなった』とかじゃないよな?」

「え? ええっと……」


 あからさまに動揺しだしたリシュに、ロアンは呆れかえった。リシュの悪い癖が出たようだ。


「やっぱりそうか! この脳筋! 武術バカ!」

「ご、ごめんってば! でもゾラさん、すごく強くってさ」

「そんなの、見れば判るだろうが!」



 双子の騒動を眺めながら、ゾラはぽそりと呟いた。


「なあ、アコ。こいつらも、こういう感じなのか?」

「ええ。この三月程、共に旅をしましたが、おおむね『こういう感じ』です。まあ、リシュとロアンはそもそも双子らしいので、人であったときの名残りかもしれませんが」

「ふうん」


 止まる気配を見せない双子に呆れ、アコは声をかけた。


「リシュ。ロアン。それぐらいになさい。行きますよ」

「あ……」

「……はい」


 二人がかりで返事をする、その様子にゾラは手を打った。


「おお。こう見ると、たしかに双子だな」

「ゾラ!」

「悪い悪い。じゃあな。二人とも。また会おうぜ?」


 ふらふらとした足どりで、ゾラは廊下の向こうに消えていった。


「変な人……」

「……だね」


 アコは眉間を抑えたまま、双子のこぼした本音を肯定した。


「否定はしません。以前話した『鬼と一緒に酒盛りする仙』というのは、彼のことですよ。確かに変人ですし、非常に腹の立つ相手でもありますが、今回のことは感謝しておきましょう。彼は武仙としては、この仙郷でも一二を争う力を持っていますから。あれだけの立ち回りを見せておけば、充分な牽制になるでしょう。……しかし、リシュ。純粋な武力で彼の脚を折るなんて、本当に仙になるための修行はしていないんですよね?」


 リシュは頷いた。


「でも祖父が武術をやっていて、私もロアンも教わっていたから」

「なるほど。ではやはり、リシュは武仙なのでしょうね」

「武仙。お役人の『武官』みたいなもの?」

「そうですね。本人の適性によって、武に秀でた武仙と知識に通じた文仙に、大きく分かれます。もっとも、かなり戦える文仙もいますし、書をたしなむ武仙もいるので曖昧なものではあります。……ですがリシュは間違いなく、武仙でしょうね」

「……同意」


 アコの断定に、ロアンは力強くうなずいた。べつに異論はないのだが、どうにも釈然としない感情が襲ってくる。リシュは視線を地面に落とし、「ちぇっ」と口を尖らせた。


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