10:ライの仙郷

 仙郷はリシュとロアンが想像していたよりも広大で、美しく、荘厳だった。

『仙が暮らしている』という勝手な印象から、もっと質素で素朴な風景を想像していたのだ。目の前にそびえる煌びやかな建築物に、双子はあんぐりと口を開けた。


「そういう仙郷もありますよ」


 アコによると、その雰囲気は仙郷によって様々で、規模や土地柄、仙郷をあずかる長の如何で左右されるとのことだ。カイの仙郷は近隣では一番大きく、仙の数も多いらしい。


 恐る恐る、アコの後ろについて足を踏み入れたリシュとロアンだったが、いくらも進まないうちに、不穏な空気に気がついた。遠巻きに、好奇と奇異の視線を向けてくる人影がある。この仙郷に暮らす仙たちだろうか。

 カイやアコは、鬼を毛嫌いしている仙は多いと言っていた。鬼であるロアンが、そういう扱いを受けるのは我慢ならなかったが、手のひらの傷を思えば「仕方がない」ともいえる。しかし、どうやらその視線がリシュにも向けられていることに気づいた双子は首をかしげた。彼らは、同じ仙であるリシュに対しても、何か思うところがあるらしい。


 不思議ではあったが、今のところ直に殴りかかってくる様子はない。ひとまず放置だ。アコは、まずは仙郷の長に挨拶に行くと言っていた。考えるのは、もしくは誰かに訊ねるのは、その後で良いだろう。


「こちらです」


 一際大きく豪奢な扉をアコはしめし、双子は緊張の面持ちでそれをくぐった。

 中継ぎの間を抜けると、これもまた大きな広間だった。巨大、と言ってもいい。縦にも横にも上方にも、とにかく広い空間で、建物の中とは思えないくらいだ。そのまま進むと奥のほうに机とイス、いくつかの家具が並んでいるのが見えた。その真ん中の席に、小柄な老人が一人、ちょこんと腰かけている。


「仙主。ただいま戻りました」


 アコが老人に向けて礼をとり、リシュとロアンもそれに倣った。この老人が、ライの仙郷をあずかる長らしい。


「ふむ。ご苦労さん。……お主が『天のきまぐれ』かな?」


 仙主と呼ばれた老人はアコを労い、そしてリシュを凝視する。


「テンノキマグレ?」


 初めて聞く言葉に、リシュは首をかしげた。どうやら自分のことを指しているようだが、全く以て心あたりがない。しかしロアンを見ると、彼には何か、思いあたる節があるようだ。神妙に、しかし「大丈夫」と、目線でうなずく。


「なるほど。確かに『本物』のようだな。リシュと言ったか。ようこそ。カイの仙郷へ。我々は、お主を歓迎しよう」


 もさもさとした髭をふるわせて、仙主は言った。そのどこか事務的な言い様は、ちっとも歓迎してくれているようには見えなかったが、アコの第一印象を考えると「仙とはそういうもの」なのかもしれない、と考え直す。何より、仙のことを知る良い機会だ。


「あの、『テンノキマグレ』とは、何ですか?」


 訪ねると、やはり淡々と、仙主は答えた。


「『天のきまぐれ』とは、お主のような仙のことを指す。つまり、『修行を経ずに仙となった者』のことだ。本人の意志によらず『天に選ばれて』仙へと変ずる者がある。どういう基準でそうあるのか、我々にも判らない。その心は、天にしかあずかり知れぬ。故に、『天のきまぐれ』と呼ばれている」

「その『天のきまぐれ』が私、ですか?」

「そうだ」


 リシュはふと、仙主が言った『天に選ばれて』という言葉に、仙郷に来てから自分に向けられていた視線の意味が、わかったような気がした。

「珍しいモノ」への好奇という感情の中に潜む、疑惑と蔑みの感。あれは「厳しい修行を経てもいない只人が、どうして天に選ばれたというだけで、自分たちと同じ仙に成るのだ」という不満と不服の不遇の心だ。


 幼い頃、リシュは祖父を訪ねてきた武芸自慢と手合わせをして、しばしば彼らをひっくり返していた。そんな時、皆が皆ではなかったものの、同じような視線を向けてくる者がいたのだ。

「何故こんな、年端もいかない少女『なんか』に、ずっと鍛錬を続けてきた自分が負けるのだ」彼らの目は、如実にそう語っていた。

 そのことに気がついたリシュは、びっくりして、しょぼくれて、祖父やカイに泣きついた。しかし二人は笑い、「相手を下に見て、理不尽に怒りをぶつけるようでは先はない。が、そういう感情を『抱かない』者も、その先には進めない」と、そう言うのだ。

 慰めて欲しくて頼ったのに、とロアンに愚痴ったリシュは、「負けず嫌いで頑固のリシュが、それを言う? 負けたら泣いて悔しがるくせに!」と、ざっくり刺され、さらにへこんだのだった。

 八歳の少女には理解できない言葉だったが、今なら少し、意味がわかる。「悔しい」を知らなければ、より上の「強さ」は手に入らない。


 仙郷にいる仙たちも、おそらく厳しい修行を経て仙と成ったはずだ。さすがに表立って感情をぶつける者はいないだろうが、リシュのような存在が『おもしろくない』のも事実だろう。

 そんな心の内を知ってか知らずか、仙主は面白そうに笑った。


「仙について、分らぬことも多いだろう。アコをつけるゆえ、しかと学ぶがよい。ここには多くの仙が暮らしておる。彼ら、彼女らと話すのも良いだろう。……しかし、」


 リシュは反射的に、「来た」と思った。ロアンも隣で身を強ばらせたので、同じ心境なのだろう。リシュは後ろ手に、ロアンの手を握る。


「アコ。私は『天のきまぐれ』を案内するようには言ったが、『鬼』を連れてこいとは言っておらんぞ?」


 仙主の言葉がひき締まる。しかし、アコは落ちついた様子だ。


「はい、仙主。確かに私は『天のきまぐれ』を迎えるよう申しつけられましたが、『鬼を連れてくるな』とは仰せつかっておりません」


 アコの切り返しに、リシュとロアンは内心肝を冷やした。彼女が竹を割ったような性であることは、此処までの道中でよくよく分かっていたが、いくらなんでも竹を割りすぎではないだろうか。

 しかし仙主はさして気にする様子もなく、「ふむ、」と先をうながした。このような物言いは、普段からなのかもしれない。それを証明するかのように、アコはきっぱりと言い切った。


「私は、リシュとロアンは一緒に居るべきだと思いました。ですから、彼も連れてきたのです」

「その根拠は?」

「第一には『勘』です」


 ……元も子もない。しかしそれでも仙主は気にとめず、リシュとロアンの二人を見比べながら、指をあご髭に持っていった。


「ふむ。勘、か」

「もう少し言いますと、リシュとロアンの望みは『二人が共にあること』だと感じました」

「『二人が共にあること』か。なるほど。……しかしなぁ」


 アコと仙主、二人はなにやら通じて得心しているようだが、双子は置いてけぼりだ。話が勝手に進んでいるようで、どうにも居心地が悪い。

 思い切って、ロアンは声をあげた。


「あの、仙主……様。そちらにどういう事情があって、どう思ってらっしゃるかは分かりません。ですが俺は、仙と敵対するつもりはありません」


 どういうわけか、仙主はロアンを見て納得したらしい。


「……なるほどな。ロアン、と言ったか。見たところ力は『中の位』に届くかどうかというところだが、この様子では『貴鬼』になるのも時間の問題だな」

「チュウノクライ?」

「キキ?」


 また知らない言葉が出てきた。あたり前と言えばあたり前だが、仙と鬼について、どれだけ知らないことがあるのだろう。リシュとロアンは、げんなりと顔を見あわせた。


「鬼の、そうだな。階級、位のようなものだ。その能力によって、気休めだが呼び方がある。頑丈だが意志や言葉を持たない『雑鬼』。力は強いが、人であったときの意識に行動が左右される『下の位の鬼』。これが数も一番多い故、世間では『鬼』と称しているな」

「人であったときの意識に……」

「……引きずられる?」

「ああ。『強い後悔や恨みを持って死んだ者は鬼に成る』そう聞いたことは?」


 双子がうなずくと、アコが続きを引き継いだ。


「それは確かなことです。ただ実際は、鬼としての力や能力には差があります。雑鬼ですと、死んだ恨みを晴らそうと動く者がほとんど。しかしその対象は、自分を殺した相手とは限りません。アザイの戦でも出たのではないですか? 手あたり次第に人を襲うような雑鬼が……」


 双子はアザイの街道で出会った雑鬼を思い出す。


「それと比べて『下の位の鬼』、一般的に『鬼』と呼ばれている者ですと、見た目は人とそう区別がありません。ただ、死んだときの後悔や恨み、鬼となる原因となった感情に、性格や行動が影響を受けます。例えば『殺された恨み』がきっかけならば、殺した相手を求めます。自分を殺した相手に、復讐しようとするんです。しかし例えば『家族にもう一度会いたかった』というような後悔ならば、その鬼は誰かを襲うことはなく、家族を求めて会いに行きます。ただ、家族からしてみれば死んだ者が鬼となって戻ってくるわけですからね。悲しい結果に終わることも多いですが……」


 今度は、山ふもとの村のノブを思い出した。そして、そういうことだったのかと納得する。やはりノブは、鬼に成っても村に帰りたかったということだ。


「ここからは、あなた達にも関係する話です。ロアン。あなたが鬼に成ったきっかけの、あなたの後悔、恨みは何だと思いますか?」


 しばらくロアンは考え込んでいたが、顔をあげるとはっきりと答えた。


「リシュを切ったユザの兵士のことは、憎いと思った。それこそ殺したいほどに。でも、一番は……何よりリシュに死んで欲しくなかった。リシュが消えてしまうのは『嫌』だった。そういうことだと、思います」

「……」


 リシュは、ロアンの言葉に何も言うことができなかった。ただ彼を握る手に、力を込める。


「ええ。私もあなたを見ていて、そう感じました。ですから、あなた達を離れ離れにするのは危ないと思ったのです」

「危ない、ですか?」


 双子は眉をひそめた。


「ええ。鬼の能力や思考は、恨み後悔の強さや種類によって左右されます。しかし真に問題なのは、その望みが断たれると鬼は暴走してしまう、ということです。壊れてしまう。狂ってしまう、と言ってもよいでしょう」

「狂う?」

「ええ。その狂い方は、それこそ鬼によって様々ですけど。経験上、とにかく暴れて、手あたり次第に破壊していく鬼が多いですね。……自分自身ですら、です」

「それじゃあ、もし私が死んだりしたら」

「リシュ! やめろよ!」

「だって! もしそうなったら、ロアンも狂っちゃうかもしれない、ってことでしょ?」

「……!」

「ええ。その通りです。そしてロアン。あなたは、おそらく……」

「アコ。それ以上はやめておきなさい」


 仙主がとどめたが、アコは止めなかった。


「いいえ、仙主。それこそ、彼は知っておくべきです」


 リシュもロアンも、話を聞く気満々だったので、引くつもりはない。


「ロアン。あなたは、おそらく『下の位の鬼』では納まらないでしょう」

「……どういう意味?」

「『下の位』があるということは、その上もあるということです。下の位の『鬼』、中の位の『貴鬼』、上の位の『皇鬼』。仙や鬼の間では、このように呼ばれています。雑鬼は別として、鬼となった者の中には、しだいに、より強い鬼へと変じることがあるのです。それこそどういう理屈なのかは判りませんし、貴鬼はともかく、皇鬼と呼ばれるような者は片手で数えられる程しかいませんけどね」


 アコは一旦そこで言葉を切り、ロアンの顔を見つめた。


「ただ共通しているのは、強い鬼ほど意志が強く、冷静で、理性的です。『鬼』であっても会話が成り立たない者もいるくらいです。しかしロアン。あなたは、おそらく元の性格もあるのでしょうが、仙が相手でも、こうして論理的な会話ができるでしょう? 自らが鬼と成ったきっかけの恨みや後悔を『自覚できる鬼』は、言ってはなんですが『稀』です。とても珍しい。そしてそういう鬼は、総じて強くなります」

「……」

「つまりロアンは、鬼として強くなる素養が高い。そういった意味で、『下の位』では納まらないでしょう、ということです」

「……つまり?」


 リシュは頭がこんがらがってきた。鬼とか貴鬼とか皇鬼とか、もう『ロアンはロアン』でいいじゃないか、と頭を抱える。

 しかしロアンは流石なもので、アコの話をじっと聞き、何かしら結論を出したようだ。


「つまり、下の位の鬼では納まらなくなるだろう俺だけど、リシュと一緒でないと狂う可能性があるから、仙郷を追い出すわけにもいかない。だから扱いに困っている。ということ?」


 若干棘のこもったロアンの言葉を、アコはいなした。


「早まらないで。確かにそういう意味もあります。でも、あなたとリシュが一緒に在るというのは、大前提の望みでしょう? それを崩したくないのはこちらも同じです。ただ、この仙郷のなかで、それを維持するのは、並大抵のことではありません」

「ですが……」

「じゃあ、仙郷を出ればいいじゃない」


 悩むアコとロアンを尻目に、リシュはあっけらかんと言い放った。


「は? 何を……」

「だって私もロアンも、そもそも仙と鬼について知るために、仙郷に来たんだもの。カイさんの言っていた仙の人も居ないみたいだし。教えて欲しいこと、知りたいことは山のようにあるけど、別に、仙郷で暮らすために来たわけじゃないでしょ」

「……出たよ。この脳筋!」

「なにさ! 頭でっかち!」


 双子のやりとりを呆気にとられて見守っていた仙主は、くつくつと、そして次第に大声で笑いだした。


「なるほどな! 『これ』が、『天のきまぐれ』の素質なのかもしれん。能天気なように見えて実に……うむ」

「……?」

「……?」

「そう、ですね」


 首をかしげるしかない双子と、一応の同意をしめしたアコを一瞥すると、仙主は膝を打った。


「わかった。リシュ、ロアン。無理は言わん。だが最低限のことは、アコから学んでいきなさい。そのぐらいならば、時間も許すだろう」


 アコもうなずいた。


「仙が、仙郷を離れて暮らすということは、それはそれで色々と覚悟や知識が必要です。それも含めて……一年。一年を目安にしましょう。仙主。一年間、二人が仙郷に滞在する許可と、他の仙への説明、説得、圧力をお願いします」

「なにやら言葉が引っかかるが、よかろう」

「よろしくお願いいたします。……ではリシュ。ロアン。こちらへ」


 アコは仙主に腰を折り、双子を広間の外へと促した。リシュとロアンもアコに倣って頭を下げ、場を後にした。

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