3:火の粉

「リシュ。ロアン。少し良いか?」


 縁側に並んで座り、豆の筋を取っていた双子は、祖父の姿に手を止めた。


「なに? おじいちゃん」

「どうかした?」


 この秋で、リシュとロアンは十五歳になった。

 双子をとり間違える者は、さすがにもう居ないだろう。この二年で、ロアンの背丈はみしみしと伸び、今ではリシュより頭ひとつ分は高い。リシュはそれが面白くないようだが、ロアンの『本の虫』は相変わらずで、組み手でひっくり返されるのは、いつも彼のほうだ。骨ばった男の体格になっても、体術ではリシュに敵わない。リシュはリシュで、大男をひっくり返しながらも柔らかい、女らしい身体つきに成長していた。


 祖父の予想どおり、ニジョウとユザの戦は依然として続いている。一進一退を繰り返していたが、しばらく前にユザがニユ山脈を制したことで、少々ニジョウの分が悪くなっていた。


「それがな。……山ふもとの村に、鬼が出たらしい」

「えっ?」

「……大丈夫だったの?」


 双子は驚いた。確かに戦が始まってから、鬼の被害は目に見えて増えた。しかし、山ふもとの村に鬼が出るのは初めてだったのだ。


「ああ。すでに対処はされたらしい。しかし、用心するに越したことはないでな。しばらく山に入るのは止めなさい」

「わかった。そうするね。……山で狩りができないのは、ちょっと辛いけど」

「でも鬼と遭遇するよりはいいだろ。しばらくは芋と野菜で我慢だな。……鳥なら罠でなんとかできるかもしれないし、考えてみるよ」

「うん。ありがと。ロアン」


 二人はうなずくと、不安げに詳細を訊ねた。


「それにしても、山ふもとの街にまで鬼が出るなんて」

「そんなに戦況は良くないの? おじいちゃん」

「ふむ。それもあるが……」


 祖父は言葉を切り、どう言ったものかと髭をさすった。


「どうやらその鬼は、戦に行って亡くなった、山ふもとの村の者だったらしい。なんと言ったか。あの猟師のところにおった……」

「もしかして……」

「……ノブさん?」

「ああ。そうじゃ。ノブと言ったな。あの若者じゃよ」


 リシュとロアンは顔を見あわせた。何とも言えない気味の悪さが、胸をせり上がってくる。ノブというのは、双子もよく見知った人だったのだ。二人よりもいくつか年上で、猟師の叔父を手伝って生計を立てていた。同じように両親を亡くした子どもへの同情だったのかもしれないが、何かと気にかけてくれ、よく面倒を見てくれた。


「どうして、鬼になったのかな。そうまでして、村に帰りたかった?」


 ぽつりとこぼれたリシュの言葉を、祖父は聞きとがめた。


「リシュ。鬼に同情するのは止めなさい。気持ちはわからなくもないが、彼らは死者だ。根本的に、生者とは相容れぬ。それを忘れてはいかん」

「でも、強い鬼は人みたいに話せるし、意思だってあるんでしょ? だったら……」


 祖父はリシュを制した。


「勘違いをしてはいかん。そういう鬼とは『付き合い方がある』というだけじゃ。ひとくくりにして、気持ちを寄せるべきではない。距離があるからこそ、互いが互いに立てることもある、ということを知りなさい」

「……はい」


 しぶしぶ、と返事をしたリシュの肩をロアンがたたく。


「それになぁ」


 と、祖父は小さく息をついた。


「おそらく、ユザの軍隊は近いうちに、アザイ領にもやって来る」

「……」

「それって、ユザはニユ山脈を占拠してからも、ニジョウに攻めてくるってこと?」

「ああ。そうじゃ」

「……ユザは水が、ニユ山脈の水源が欲しかったんじゃないの?」


 リシュの疑問に、ロアンが答える。


「戦が、長引いたせいだね」

「そうじゃな」


 祖父はうなずいたが、リシュは意味がわからない。ニユの水源を巡って始まった戦なのだから、ユザの水不足が解消されたなら、戦は終わるはずだ。


「きっかけは水だったけれど、ユザもニジョウも人が死にすぎたんだ。今じゃ家族や友人を殺された恨みの応酬になってる。相手に『やり返すこと』が戦の目的になってるんだ」

「そんなの!」

「リシュだって、俺やおじいちゃんがユザに殺されたら、独りでも、やり返しにいくだろ?」

「う、ん。それは、そうかもしれないけど……」


 確かにその通りだ。ロアンたちに何かあったら、自分は黙っていられないだろう。しかしそれが『戦』なのだとしたら、どうすれば、誰がそんなものを止められるのだろう、とリシュは思った。


「それと同じことだよ。……たぶん」

「うむ。だからこそ、鬼も増えているんじゃろうな」

「……」

「……」


 双子は答えを持たなかった。


「じつは先日、ツヅラの関が落ちたらしい」

「え?」

「それは……」


 リシュは目を見張り、ロアンは考え込む。

 ツヅラは、アザイの隣の領地だ。西の方角、つまりユザ側にある。このあたりからだと、歩いて一週間ほどの距離だが……

 

「それじゃあ、本当にユザ軍がくるんだ」

「どうするの? おじいちゃん」

「逃げる? 戦う?」

「でも逃げるって、どこに? さっきの話だと、逃げてもユザの軍隊が追いかけてくるってことでしょ? だったら戦うしかないんじゃ」

「リシュ。戦なんだぞ? 一対一の組手とは違う。兵士が沢山やって来て、集団の殺し合いになる。そんなの、俺たちには無理だ」

「そうかもしれないけどさ。何もしないで逃げても、どうにもならないのは同じでしょ?」

「それは、そうだけど」


「リシュ。ロアン。聞きなさい」


 双子の言い争いを制し、祖父は居ずまいを正した。


「儂は、歳はくっていても『元』軍人じゃ。ニジョウを守る義務と意志がある。逃げるつもりはない」

「……」

「……」

「ただ、元軍人として言うならば、山ふもとの村でユザの軍隊を相手にするのは現実的ではない。やはりアザイの街に、人と物を集める必要があると思う」

「うん……」

「……そうだね」


 祖父の言うことはもっともだと、ロアンは思った。山ふもとの村だけでは、ユザの軍隊と戦いようがない。数の力であっという間につぶされてしまうだろう。周辺の町や村から人手と物資を集めて、アザイのような大きな街を拠点にする必要がある。


「儂はこれからアザイの街へ行って、軍や領主と話をしてこようと思う」

「俺たちは? 一緒に行く?」


 リシュは頭が追いついていなかったが、さすがにロアンは理解と切り替えが早かった。祖父と具体的なことを詰めるべく、話を進める。


「いや。お前たちには、別のことを頼みたい。これから山ふもとの村人たちを、アザイの街まで連れて行かねばならん。のんびりしているヒマもないが、さすがに一朝一夕というわけにもいくまい。その手伝いと、護衛をしてもらいたいのじゃ」

「つまり、村の人たちと一緒に、アザイの街まで行く?」


 リシュもようやく、話が見えてきた。ユザと戦うには、アザイの街に戦力を集めて備える必要がある。その準備のために、一足先に祖父はアザイへ向かう。自分たちは祖父を追って、村の人と一緒にアザイの街まで逃げる。そういうことだ。リシュも、頭を切り替えた。『戦だ』と思うから怖いのだ。もちろん勝手は違うだろうが、組手の相手との『駆け引き』だと思えば、なんとかなるはずだ。


「そうじゃ。お前たちがアザイに着くころには、受け入れの準備も整っているだろう。そこで、持ちこたえるしかない。村を捨てなければならないのは残念だが……」

「でも、戦に巻き込まれるよりは、いいよね」

「ああ」

「じゃが、問題もある」

「ユザの軍隊が、どのくらいの速さで、ここまでやって来るか? だな。」

「うん。それによって、どのくらい食糧や物資を持ち出せるか、変わってくるもんね」

「家畜も含めて、できるだけ多くを持ち出したい。残してしまうと、そのままユザ軍の物資になってしまうからな。しかし、欲を出しすぎるのも良くない。その見極めじゃな」


 祖父の言葉に、双子はそろって頷いた。ロアンもリシュも、迷っている暇はなかった。



 祖父はアザイの街へと出発し、双子は村人たちの準備を手伝った。いくつかの荷車を用意して、食糧や水、布や薬などを万遍なく乗せていく。慌てすぎても良くないが、のんびりしているわけにもいかない。祖父とロアンの読みでは、ユザの軍隊がやって来るまで7日はかかるだろうということだ。

 村を捨てることに反対する者もいたが、差し迫った戦況を聞くと、最後は皆、首を縦にふった。昔の戦を生で知る、年老いた者が多かったからかもしれない。家財は最小限に、食糧と家畜は最大限に。荷造りと準備をなんとか終えたのは、祖父が村を出てから三日後のことだった。


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