2:戦の影
リシュが奮発したという山鳥をまるまる使った煮物に舌鼓をうち、腹もふくれてきた頃だ。酒をちびちびとやっていた祖父が、突然口を開いた。
「ロアン。リシュ。少し話がある。食べながらで良いから、聞きなさい」
いつになく深刻な様子に、双子は顔を見あわせる。普段から愛想が良いとは言い難い祖父ではあるが、こう改まって話をふってくるのは珍しい。何か、あったのだろうか。
「ふたりは、最近、巷で囁かれている『噂』を知っているか?」
「噂?」
「って、どんな噂?」
二人はふたたび顔を見あわせた。そして首をひねった。正直、山ふもとの村でも『噂話』なら、いくらでも転がっている。どこどこの夫婦が大ゲンカをしただの、今年の麦の値段は上がりそうだの、誰々の家の飼い犬が仔犬を十匹産んだらしいだの、等々……。
しかし祖父の雰囲気を見るに、そういう類の面白おかしい噂話とは趣が違うように思えた。何か、変わった噂があっただろうか。
「あ、もしかして……」
ロアンは、何か思い至ったらしい。
「もしかして、隣国のユザと『戦』になるかもしれない、っていうやつ?」
その噂なら、リシュにも心あたりがあった。
「あ、それなら私も、村の乾物屋さんで聞いたよ。なんでもアザイの役所から、大口の依頼があったんだって。でもその取引の仕方がすごく強引で、いつもと様子が違ったみたい。国が戦の準備をしているって噂は、本当かもしれないから備蓄をしっかり管理なさい、って」
双子の話を聞いて、祖父は眉間のしわを深くした。隣に座るカイも、なにやら難しい顔をしている。
「なるほどな。山ふもとの村でも、そこまでの話が出ているのか」
「そのようだな。さて、これはどうしたものかな」
祖父たちが顔を険しくする意味が、リシュとロアンには分からない。双子は訊ねた。
「おじいちゃん。カイさん。その噂って本当なの? 別にニジョウとユザって、仲が悪いわけじゃないでしょう?」
「うん。街の学舎でも、ユザから来ている人がいるよ。風習とかの違いに驚くことはあるけど、悪い奴なんかじゃない。国同士で交易だって盛んだし。『戦』なんて……」
ユザは、ニジョウの西方に位置する砂漠の国だ。ニユと呼ばれる山脈を国境としているが、昔から国交は盛んで、山脈をまたぐ何本かの街道を通じて人や物の行き来は活発だった。ニジョウの山間ではユザの塩を頼りにしていたし、ユザはニジョウから届く穀物を重宝していた。
もちろん、まったく問題が起こらないわけではない。国境付近で小競り合いが……、ユザの商人がニジョウで密売を……、というような話を、リシュもロアンも耳にしたことがある。
それでも彼らから直に迷惑をこうむったことはないし、そういう揉め事はお互いさまでもある。なによりユザのお国柄なのか、その多くは明るく陽気で楽しい人達だ。リシュは彼らの歌う囃子のような旋律が好きで、よく野菜や肉を刻みながら口ずさんでいた。確かに、ちょっと時間にだらしないところはあるが、憎いとまでは思わない。
『ユザと戦になる』そう言われたところで、双子は想像もできなかった。
しかし、祖父は厳しい表情を崩さないまま、孫たちの言葉を否定する。
「いや。おそらく遠くないうちに、ニジョウとユザは本格的な戦になるだろう」
双子は息をのんだ。
「そう、なの?」
「でもどうして……」
「ふたりとも、儂が軍におったことは知っているな?」
「う、うん」
「ニジョウの、国軍にいたんだよね?」
リシュとロアンは頷いた。
今から数十年前、祖父は軍にいた。しかも、それなりの地位にあったらしい。祖父は多くを語らなかったので詳しいことは知らないが、今でも現役の軍人や退役軍人が祖父を訪ねてくるのは『そういう事情』だと、双子は認識していた。
「その縁でな。今でも時折『その手の話』は耳に入ってくるんじゃ。此度の戦の噂は、どうも『ただの噂』では済まないとみた。いつもの小競り合い程度では終わるまい。……そうなれば、覚悟しておく必要がある」
「覚悟……?」
「……覚悟って?」
言葉の続かない双子を見て、横からカイが口を出した。
「リシュ。ロアン。お前たちは、ユザが今、水不足に陥っていることを知っているか?」
「水不足?」
「……知らなかった」
双子は唖然とした。アザイの領地はユザとの国境から距離があるとはいえ、そんなことになっているとは。それこそ思いもしなかった。
「じゃあ戦は、ユザの水不足が原因?」
リシュの問いに、カイは頷いた。
「細々とした要因は他にもあるがな。まあ。大体そういうことだ。ユザは砂漠の国だが、国中に水路が張り巡らされている。技術の力で水を得て、暮らしているんだ。ただ、地理的に水源はニユ山脈を頼るしかない」
「そう言えばこの数年、ニユ山脈の雨量が少ないって聞いた。ニユの水源が半分まで減っている、って」
学舎で聞いたことがあったのだろう。ロアンがつぶやく。
「そうだ。ユザにとっては死活問題だ。ただニジョウも、ニユ山脈以外にも水源があるとはいえ、山脈を全て明け渡すわけにはいかない。そのいざこざで、色々とややこしい事件も起きてな。戦は、避けられないだろうよ」
カイも暗い面持ちのまま、そう告げた。
「……」
「……」
この世の終わりのような祖父とカイに、リシュとロアンは困惑する。なにしろ生まれてこのかた、『国と国の戦』など体験したことがないのだ。そんな双子を見て、祖父は言った。
「戦はむごい。とても、むごいモノじゃよ。人が人を殺し、死者は『鬼』となって人を襲う。そうして殺された者が、また鬼となって人を襲う。……恐ろしい悪循環だ」
「……『鬼』?」
「おじいちゃん。その、『鬼』って、本当に居るの?」
『強い恨みや、後悔を残して死んだ者は《鬼》になる』
そう世間で言われていることは知っていた。しかし、リシュもロアンも『鬼』など見たことがない。せいぜいお伽噺や、言うことを聞かない子どもを脅すための大人の方便に出てくるだけの存在だと思っていた。
そんな双子の疑問に、祖父は苦く笑う。
「ああ。確かに居るとも。特に戦場では、よく見たよ。下手をすると、生きている者より鬼の方が多いのではないかと疑ったくらいだ」
あっさり肯定されたものの、半信半疑からは抜け出せない。双子は互いに互いの顔を見て、首をひねった。
「そう、なんだ。確かに歴史の本とかでも出てくるけど、てっきり悪者にしたい相手を、そう呼んでいるだけかと思ってた」
「私も。鬼なんて、見たこともないし……」
「そうだな。まあ、雑鬼ならともかく、意志を持つくらいの鬼になると、外見は人とそう変わりがないからなぁ。戦や飢饉なんかがなければ、そもそもの絶対数は少ないし」
横から口を挟んだカイの言葉に、リシュとロアンは飛びあがった。
「えっ。そうなの?」
「……意志があるの? その、鬼って」
「そうさ。なんなら大きな街だと、すれ違うこともあるぞ?」
「……」
「……」
リシュとロアンは、ふたたび言葉を失った。
このカイという祖父の旧友は、見かけによらず博識な人だ。いかにも『武人』といった筋肉大男なので、幼い頃の双子は彼のことを「くまさん」と呼んでいたくらいなのだが、いざ口を開くと、実に深い知識を持っていることがわかる。「武術は苦手だ」と本人は言っていたが、それでもそれなりには使えるのだろう。祖父と組み手をしている姿を見かけたし、リシュも何度か型を見てもらったことがある。「習うより慣れろ」という即物的な教えの祖父と比べて、相手との駆け引きや押し引き、そういう『心構え』を説かれた記憶があった。
それにロアンと並んでミミズののたくった文字を眺めては、にやにや笑っていたくらいだ。根が「武より知」の人なのだろう。ずっと祖父の元同僚だろうと思っていたのだが。
しかし、『街中ですれ違っただけで、相手が鬼だと気づくことが出来る』となると、少々話は違ってくる気がする。幼いころから幾度もやって来ては入り浸り、慣れ親しんだ『くまさん』が、急に知らない人になってしまったような気がして、双子はたじろいだ。
「カイさんって、何者?」
「『おじいちゃんの、昔の同僚』だと思ってたけど」
「なんだ。どうした? ふたりとも」
「その、ユザとの戦の話を持ってきた軍人って、カイさんのことだと思ってたんだけど……」
「……その、なんか、違うような?」
「俺が軍人? 軍に居たことはあるが、同僚だったことはないな。……なあ? エイケン」
「そうじゃな。リシュ。ロアン。カイの奴は別件じゃよ。こやつはな『仙』になるために修行をしておる『道士』じゃ」
「『仙』?!」
「『道士』?!」
「ああ。まあな。……あれ? 言ったことはなかったか?」
「ないよ!」
「ないない!」
双子に責められて、カイは頭をかいた。思いもよらないことの連続に、リシュとロアンの声は自然と大きくなる。
『仙術を使い、仙郷に暮らす、人知を超えた者』
それが人々の言うところの『仙』だ。つまり、詳しいところは『人』では分からない。
「鬼だけじゃなくて、仙も本当にいるんだ」
「仙ってたしか、何年も修行して、何か……認められれば成れるんだっけ?」
「『天に認められれば』だ」
「『天』って何さ?」
「…………知らない」
そうやってじゃれ合いながら、口を尖らせるリシュとぶすっと押し黙るロアンを見て、カイは声をあげて笑った。
「確かに修行はしているが、俺も仙ではないから分からんな! なあ、エイケン。もしかすると、こいつらは『これでいい』のかもしれんぞ」
「……ああ。そうかもしれん。だが、覚悟と準備はしておかねばな」
やっとのことで、祖父はいつもの笑顔を見せた。
自分たちだけで納得している様子の祖父とカイに、双子は首をかしげるしかない。
「なんなの? いったい……」
「……どういうこと?」
「そうさな。お前たちは『お前たちのままでいい』ということだ」
カイはそう言うと、大きな手で双子の髪の毛をぐしゃぐしゃにしたのだった。
リシュとロアンが祖父たちの言葉の意味を理解するのに、それほど時間はかからなかった。
ニジョウとユザは、雪が融けるころには本格的に戦を始めたのだ。
兵役は十六歳からなので、双子が戦場に出ることはなかった。しかし戦が長引けば、それもどうなるかはわからない。何よりユザとの交易に頼っていた塩などの品薄には困ったし、山ふもとの村でも戦に行った人が、怪我をしたり亡くなったり……と話に聞くのは辛かった。
『鬼が出た』という話や、その被害についても、よく耳にするようになっていた。「鬼と出会ったことなどない」と思っていた頃が懐かしいとすら思う。
リシュとロアンが初めて『鬼』を見たのは、この春先のことだ。アザイの街まで買い出しに行ったその帰り、街道に出てきた鬼と遭遇したのだ。
それはカイの言う「人と見分けのつかない鬼」とは言い難い姿をしていた。人の形はしているが、赤黒く変色した肌、言葉を成していない唸り声、爛々と光る金色の瞳。それでいて人間離れした怪力と素早さと頑丈さに、リシュとロアンの二人がかりでも、退けるのにひどく手こずった。鬼の一体で、これだけ大変なのだ。「国境付近の村が鬼の集団に襲われて全滅した」という話にも、うなずける。
意思や言葉を持たない下級の鬼を『雑鬼』と呼ぶのだと、後に祖父から教わった。力のある鬼は人とそう見分けがつかず、人と言葉を交わすこともあるという。そういう鬼は雑鬼のように見境なく人を襲うわけではなく、「目的を持って」人を襲うらしい。
そう語る祖父は、ひどく辛そうだった。軍にいた頃のことを、思い出していたのかもしれない。
そのうち祖父は、軍に乞われてアザイの街まで出向くようになった。若い兵の訓練や、戦術への助言を求められているという。
「やれやれ。なんせ現役たちは『戦の経験』に乏しいからな。仕方がないとはいえ、骨が折れるわ」
祖父はリシュとロアンの同行を、決して認めなかった。しかし街から戻ってくると、ぽつりぽつりと愚痴をこぼし、戦況を教えてくれた。
「しかしどうにも。これは長引きそうじゃ。……数年は続くと、覚悟しておいた方がよい」
そう吐露する祖父の姿は、双子の胸をうった。
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