第5話 お隣に氷姫がやってくる
ちょいと日数が経っての朝。
朝支度を整えたオレは通学リュックを背負い、学校に向かう。
いつもとちがうのは玄関から出て、すぐにエレベーターには向かわず、5階廊下から眺める鴎外市の景色はぼんやりと眺めていた。
新築ビルがつぎつぎに建てられている。
駅前には複合大型施設ができるらしいし、半年前と今でもう景色がまるっきりちがう。このあたりも都心と変わりなくにぎやかになっていくのだろう。
静かな町が好みではあるのだけど、ただの高校生が住まいを気にしても仕方がないか。
「――スハル君、お待たせ」
名前が呼ばれたのでふりかえる。
雪森さんが制服姿で今日も凛と立っていた、
「おはよう、雪森さん」
「うん、おはよう」
声は平坦だが、以前のような他人を寄せつけないオーラは感じない。
氷姫こと、雪森シナノは隣の空き号室に住むことになった。
もちろん、例の組織が手配したことだ。
オレの『日常は非日常なんかに負けないもん!』理論はとおった。
根拠なんてないのにどうしてなのかだが、平凡なオレがアレを目撃したのは本当にイレギュラーだったらしい。もし組織の認証印が原因なら非があるし、そうじゃなくても原因は解明しておきたいとか。
あと、アレとの
ようは経過観察みたいなものだ。
もちろん監視役として、雪森さんが派遣された。
柔軟な対応だと思う。彼女も異論はないようだ。
「雪森さん、荷ほどきはもう終わった?」
「まだ残っているよ」
「手伝えることがあったら遠慮なく言ってな」
「ありがとう。スハル君はなにか日常に変化はない?」
「特になにもない。アレの気配もないし、愛すべき平凡な日々を送っているよ」
こうして日常会話をできるぐらいの仲にはなった。
雪森さんの表情は冷たくてお人形みたいだが、前よりは会話してくれる。
学校と様子がちがうのは、オレに負い目でも感じているのかな……。アレと縁ができたのは認証印なのか謎なわけだし、変に思いつめないでほしいが。
「じゃあ途中まで一緒に行こうか、雪森さん」
誰も寄せつけないために氷姫と呼ばれるクラスメイト。
そんな子とオレなんかが一緒に登校するなんて前代未聞だ。それもとんでもなく可愛い女の子なわけだから慣れそうにはないが、新しい日常と思うことにしよう。
だが、雪森さんは微動だにしない。
「雪森さん?」
「スハル君」
「どったの」
「私は名前で呼んでいるのに、どうして苗字なの?」
雪森さんは表情を変えず『なんで?』と瞳で訴えてきた。
…………。
スルーしたかったんだけどダメか……。
昨日も別れ際に突然『スハル君』なんて名前で呼ばれて、その場は気のせいだと思ったんだけど……聞き間違いじゃなかったか。
いや、あまりにもナチョラルな距離の詰め方にちょっぴり警戒したんだよ。
雪森さんが一歩近づく。
「スハル君」
「なんだい、雪森さん」
「スハル君」
「……なんでしょう、雪森さん」
「スハル君」
「雪森さん」
「スハル君」
「雪森さん……」
「スーハールー君?」
傍からみれば仲のよいシーンに見えるかもしれない。
だけど今、オレと雪森さんのあいだでずももももももももーと磁場みたいなものが発生していた。雪森さんの圧と、それに抗っているオレのせいだ。
な、なんで、名前呼びにこだわっているんだ?
特に仲良くなるイベントもなかったし、雪森さんそういうキャラだっけ???
「名前呼びって仕事に必要なことなのか?」
「……あのね、スハル君」
雪森さんはふうと一息吐く。
「私ね、アレとの戦いに巻きこまないよう一般の人からはなるべく距離をとっているの。もしなにかのキッカケで
「あ。じゃあ学校と様子がちがうのは気のせいじゃなかったんだ」
「そうだよ。今の私、とっても明るいよね」
「とっても?」
トゲトゲしたオーラはないけれど……。
とっても明るくは……。
「きゃるん」
真顔で明るいアピールしてきた⁉
まさか、表情筋が死んでいるだけのローテンションな子なのか⁉
みんなが一目置く氷姫は、冷たい瞳で俺をつぶさに見つめてくる。
「学校での私は静かに暮らさないといけないから、とてもフラストレーションがたまっているの。だから、ちょっぴりピリピリしていたかも」
「そうなんだ……。たしかに今も学校ではなるべく一人でいるよね……」
氷姫の予想外すぎる真実だった。
「うん。私、なるべく一人でいるよ。みんなと仲良くしたほうがいいとわかっているけど、一人でいるよ」
「……雪森さん、どうしてこの話を?」
雪森さんは黙ってしまった。
言わなくてもわかってほしいなーと、無言の圧をビシバシとぶつけてくる。
アレのせいで人間関係にとても飢えているのだと思う。オレのような平凡な日常人との付き合いを欲しているのかも。
「スハル君。はい、どーぞ」
雪森さんは期待をこめたように言った。
突然の名前呼びはそういった事情があったんだな……。
それならオレもかたくなにならず素直に名前を呼ぼう。
「わかったよ、シ――」
言いかけて、オレは言葉を呑んだ。
だって、雪森さんは捕食者の目をしていたからだ。
冷たい瞳からは『ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク』と欲望が漏れてくる。
……このまま親しげに名前を呼んでもいいのか? オレの言い分を聞いてくれたのも、監視役を引き受けたのも、これ幸いにと乗っかってきた可能性はないか?
そんなことは否定したい‼
でも、雪森さんは至近距離でオレを見つめてくるんだ……。
「じー」
「そ、それじゃあ学校に行こうか、雪森さん」
オレは視線をはずして、苗字を呼んだ。
エレベーターにそそくさと向かったのだが。
「
「え⁉ なに⁉ アレが襲いかかってきたのか⁉」
けど周りにはなにもいない。
雪森さんが彫像みたいに立っているだけだった。
「
「どうして技名みたいなのを羅列するんです⁉ ヒンヤリした空気も感じるんですが⁉」
やっぱり、様子見したほうがいい気がする!
~~~~~~~~~~~~
雪森さんは寂しがり屋。
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