第28話 愚王

「まりねえ!」


 その声に、わたしはハッとした。駆け寄ってくる射流鹿の姿が目に入ると同時に、王城で自分の身に起こった事実がのしかかってくる。

 射流鹿の右手が伸びて妾の身体に触れそうになった時、思わず身を捩って躱してしまった。


「……!」


 射流鹿に顔に、不意を突かれた驚きの色が浮かぶ。その、射流鹿の顔が急に歪んで見えた。涙が溢れてきて、胸が締め付けられる。言いようのない焦燥感と罪悪感、そして失望で心が一杯になった。


「……ごめん。妾、穢されちゃったから……」


 もう、あなたの側には居られない……。そう言おうとしたが、嗚咽で言葉が出でこない。これ以上、言葉に出すくらいなら舌を噛み切った方がマシだ。

 今なら、死を選べる!

 けれど、妾の決心よりも一瞬だけ射流鹿の方が早かった。手枷を付けられた右腕が、射流鹿に強引に引っ張られて、その両腕に妾の身体が包まれていた。


「僕の側に居て下さい」


 背中に射流鹿の腕があり、胸は射流鹿の胸に押しつけられている。妾の身体は、射流鹿に抱きしめられていた。


「そのために、僕は大人になったんです」


 大人になったら……あれ?

 何かの記憶を思い出しそうになり、舌を噛み切ろうとしたことを忘れてしまう。



 地面に倒れていたイルドラ王の側に、ラドルグ卿が駆け寄って来た。連れて来たのは医師だろう。意識を失っているイルドラ王の口に、少量のワインを流し込んだ。

 呻き声が漏れ、咳き込みながらイルドラ王は上半身を起こした。射流鹿を見る視線には憎悪が籠もっている。


「何をしておるか! 羅睺羅の日嗣皇子ひつぎのみこをぶち殺せ!」


 イルドラ王は絶叫した。


「王、それはなりません!」


 側にいるラドルグ卿が慌てて止めようとするが、既に遅い。イルドラ王の命令に従った一部の兵士が、一旦は地面に置いた武器を再び手に取り声を上げていた。



 射流鹿と妾の頭上からも矢が降ってきた。


「機竜に戻ります」


 手枷を付けられている妾の身体を抱き上げると、射流鹿は東門の機竜に向かって走り出す。射流鹿の胸に抱かれながら、中庭で再開された戦いが目に映った。

 いや、戦いではない。

 イルドラ兵の大半は、武器を地面に置いたままで王城の中へ逃げ込んでいる。イルドラ王の命令に従って武器を手に取った者は、ラインゴルドのジークフリードが放つ光矢ひかりのやに撃ち抜かれていた。

 ラインゴルドのジークフリードが、イルドラ兵を威嚇していたのはわかっていたはずだが、激情に駆られたイルドラ王には正常な判断はできなかったようだ。

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