第5話
ラルファー国首都、ラルフの町の西側。アシュタール海が良く見える小高い丘の上に、豪華ではないが立派な屋敷が建っていた。
「こらっ! やめるんだ‼」
カシャーンと窓ガラスが割れ、花瓶が外へと飛び出した。
「新しい母さんなんか、いらないって言ってるだろーっ‼」
「父さんは後継ぎが欲しいんだと前々から言っているだろう!」
食事の時間だったのだろう。長方形のテーブルを挟んで四十歳位の小柄な男と、十歳くらいの赤毛の子供が言い争っていた。
「なんであたしがそばにいちゃいけないんだよ! 新しい母さんなんて嫌だけど、あたしにも品定めする権利だって、あるだろ⁉」
少女が両手でバンとテーブルを叩くと、水の入ったグラスが、倒れた訳でもないのに急に割れた。
それを見て父親はため息をついた。
「その力を見られたら、大抵の女の人は恐ろしくて逃げてしまう…。だから、そばにいるなと言っているんだ…」
「うわーっ、ひでぇ目に遭った!」
不思議な嵐に飲み込まれ、風と波まかせでなんとか陸にたどり着いたが、船はもう、動かせる状態ではなかった。
ある程度の積み荷を降ろすと、それを待っていたかのように船は徐々に沈んでいってしまう。
「…くそっ!」
キャプトは慌てて船に戻り、旗と船首像を取り外した。
「ああ…」
「俺たちの船が…」
水夫たちが無様な黒船を見届けた。陸に居る住民たちはそんな彼らをチラチラと見ながら通り過ぎていく。
「…おい、荷物持ってついてこい」
見物人が増える前にキャプトは皆を促した。嵐にもまれた上に波任せでたどり着いたのでここがどこだか見当もつかなかったが、とりあえず情報を耳に入れる為に酒場を探した。
長い事ずぶぬれになったままの水夫たちの体を、酒で中から温めてやりたかったというのもあった。
わかりやすいジョッキの絵の看板が下がっている建物へと、足を運ぶ。
「お…?」
カウンターでボトルを並べている髭のマスターを見て、キャプトは言った。その声にマスターは顔を上げるが、汚い物でも見るような目をして、再びボトルに手を伸ばした。
「キャプトさん、まずいですよ、ずぶ濡れのままの入店は…」
入口に突っ立って何かを思い出そうとしているキャプトの袖を引っ張ってラングは言った。
「キャプト…? キャプトだって…⁉」
「やっぱりマスターか!」
キャプトはパンと手を合わせた。その際に水しぶきがラングにかかって、顔をしかめて拭ったが、その袖も濡れていたので余計に濡れて不快感が倍増した。
「お頭がよく昔連れて行ってくれたんだ。マスター変わってねーなァ、…てことは、ここはラルフか」
キャプトの言葉に、ラングはえ? と言った。
「皮肉なモンだなー。お前の目的地じゃねえかここ」
「一体どうしたんだ。その口調からすると、不本意な上陸らしいな」
マスターはそう言い、乾いた布をキャプトに何枚か投げ渡してくれた。
「オレにもさっぱりわかんねぇんだわ。アシュタール海にゃ珍しい嵐が来てさ。しかもそれが何の前触れも無し!」
キャプトは布を配って自分の体を拭くと、マスターの前の席へと座り、隣へ来いとラングに手招きをする。
水夫たちは勝手知ったるといった様子で、それぞれテーブル席へと散った。
「ははぁ…じゃあもしかして、船が壊れて新しいのを買ったってとこか」
マスターは、キャプトが入口に置いた船首像を指さす。
「うんにゃ。あれは壊れた船から持ってきたんだ。今時あれだけ立派なのはないし、…お頭のだし」
「そうか…取り外してきたってことは、船はもう諦めたってことか」
「ああ…あそこまで壊れちゃ、直すより買った方が早ぇかもしれねえ」
「海賊業は船が命だからなあ…どうするつもりだこれから」
キャプトは頬杖をついて唸った。
「ま…何とかなるだろーけど…」
隣で聞いていたラングは、何ともならなさそうな呟きと態度に、大丈夫だろうかと思う。
「とりあえず、今晩泊めてくれねえ? ここに雑魚寝で構わねえからさ」
「それは全然構わないさ。まず裏で水浴びしてこい、海水が気持ち悪いだろ」
マスターの厚意に、キャプトは立ち上がって、頭を下げた。
次の日の朝、酒場のそれぞれの席に水夫たちを座らせ、キャプトは小さいステージ上の鍵盤楽器の横に立って水夫たちを見回した。
何を言うつもりなんだろう? とラングは思った。
昨日キャプトは酒場を出て、一人でずっと考えていたらしい。帰ってくるのを待って話を聞こうと思っていたのだが、慣れない船旅に戦闘、嵐と立て続けに緊迫していた為か、夕食を食べてお腹いっぱいになったところへ襲ってきた眠気に、どうしても勝てなかったのだ。
「海賊業を…やめようと、思う」
突然のキャプトの言葉に、水夫たちは立ちあがった。
「そんなキャプテン! 船なんて他にも…」
「この先キャプテンなしでどうやって…」
「一生キャプテンについて行くって決めたんです! それを…」
水夫たちはめいめいに言ったが、キャプトが楽器の天板をバンと叩くと静まった。
「ナイゼル海探索に、そこらへんの船で行けるとは思わない。それにオレは、オレの気に入った船じゃねーと、イヤだ」
これからどうするんだろうと不安そうにしていた水夫たちの顔は、キャプトの海賊業廃業の発言で、更に不安そうになっていった。そんな水夫たちを励ますように、キャプトは言った。
「だが、お前らを見捨てる訳じゃない」
そして、足元に置いていた荷物袋から、小さな革袋を取り出し、水夫たちに一つずつ渡して回った。
「少なくて悪いが、今までの稼ぎ分だ。これを元手に頑張ってくれ」
革袋を渡され、これで終わりという実感が湧いてきたのか、殆どの水夫が涙ぐんでいた。
「オレも働いて、金を貯める。そしたら船を買おうと思う。その時に、また集まってくれると嬉しい」
「そんなの、当たり前じゃないですか!」
「絶対に、待ってますから!」
「また一緒に旅に出ましょう!」
「俺、キャプテン以外の船に乗る気なんてありません!」
水夫たちの情熱的な言葉をキャプトは嬉しそうに聞いた。
そして再会を誓い合って、水夫たちは酒場を出ていった。
「あ…あの…」
残っていたラングは遠慮がちにキャプトに言った。
「僕は一体、どうすれば…」
「お前はオレに付いてこい」
やはり少し寂しいのか、多少沈んだ声でキャプトは言い、カウンターの向こうのマスターの前に立つ。
「お世話ンなったな、マスター」
「いやいいってことよ。…にしても、ほぼ無一文から始めるなんて…」
ラングは、えっ? と言ってキャプトを見た。
「力になるから、困った時は来いよ。なァに、遠慮なんかするな、いつかすっげえお宝を見つけたら、何割かもらうからいいさ」
マスターは笑った。それにつられてようやく、キャプトも少し笑った。
「んじゃ、金が入るようになったら、飲みに来るぜ」
キャプトは、今はもうほぼ空になった荷物袋を肩にかけ、外へと出た。
「…あれ? キャプトさん、袋がだいぶ軽そうですが…あれ? ていうか、船首像は? どこかに忘れてきました?」
「……った」
「はい?」
「売った、みんな売った。あいつらに稼ぎ分、少しでも渡さないと可哀想だろ。オレの勝手で職、失わせて」
ラングはキャプトを見直してしまった。そして、海賊というだけで悪い人間扱いしていた自分を恥ずかしく思った。
「お前にも…悪い事したな。だが約束通り、剣の腕は磨いてやるから。…不満だろうが、オレに付いてきてくれよな」
ラングは元気よく返事をし、頼りがいがあるように見えてきた背中に付いて、歩いて行った。
「ああ、あの人です。あの黒船から降りてきたのを見ました」
細い路地裏から男が二人、キャプトたちを見ていた。
「アシュタール海を取り仕切っているという海賊の船長です。かなりの腕の持ち主だという噂です」
「そうか…一応、話し合ってみようか…」
もう一人の男はそう言って、西の屋敷のある方へと歩き出した。
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