第4話

「おっかしいな…」

 キャプトは樽の上に座り、空を見上げて言った。

「どうしたんですか?」

 キャプトの足元で、近辺の地理をキャプトに教わっていたラングは、床板に炭で地図を描いていた手を止めてキャプトを見上げた。

「ついこの間まで、ずーっと西の方に暗雲を見たんだよ。風は東に吹いているのに、暗雲がきれいさっぱりなくなってる。雲が風に逆らって自由に動き回る筈はねえんだがなあ…」

 あちこち空を見回して、フンと鼻を鳴らした。雨が降らなければ、どうでもいいのだろう。

「ねえ、どうしてキャプトさんって、キャプトさんっていうの?」

「は? …ああ…、だってお前、キャプテン・キャプテンが呼び名だって言ったら、いくら本名だろうとおかしいじゃねーか」

「え? キャプテン・キャプテンが…本名? え?」

「いやまあ…本名はキャプテン・ダンバーなのよ。んで、船長は普通キャプテンなんちゃらって名乗るから、キャプテンの後に名前が入ってキャプテン・キャプテン…」

「ん? ん? ん?」

 頭がごちゃごちゃしてきたラングは眉をしかめた。

「…なんだってそんな名前に? あ、いや、すみません」

「オレはさ、普通の、一般人の、両親から産まれたんだよ」

 船はラルファー国とレウス国の間の、アシュタール海峡を通り過ぎた。

 ここから見えるラルファー国の辺りが、首都ラルフだとさっきキャプトに教わっていた。

 海峡の南側がレウス。黄金の地でよく知られた国だ。

「これでもオレぁ、産まれた時は未熟児だったらしくてな。それで海賊のような強い男になるようにってキャプテンなんて名をつけたら、本当に海賊船長になっちまったんだなこれが」

 キャプトはガハガハと笑った。

「両親はオレが五つの時に死んで、身寄りのないオレはあちこちをふらふらして…まあすなわち浮浪者になった。んで、そんなオレを拾ってくれたのが」

 キャプトの顔が、少しだけ赤くなった。

「他でもねえ以前この船の船長だったお頭さ。幼いオレを育ててくれた凛々しい女性だ。キャプトって名も、彼女がつけてくれた。当時まだキャプテンじゃなかったオレが、いつかキャプテンになった時、同じ字が二つもあるのは変だろう? って。オレを拾った時から、この船をいつか任せようと思ってくれていたらしい」

 ラングは、自分に突きつけられたキャプトの剣を思い出した。あれはどことなく、キャプトには華奢すぎて変だなと思っていたが、きっとキャプトの言う、お頭の剣なのかもしれない。

「そのお頭は…もうこの世にはいねぇ。当時ここのアシュタール海をお頭と取り合ってた男が居て…お頭はアシュタール海をオレが自由に使えるように、その男と対決したんだ。買った方がアシュタール海をモノにできる。…だがお頭は負けちまった」

 キャプトの拳がぎゅうっと握りしめられた。

「一対一の戦いの筈だった。だが男は、他にも水夫を参戦させ…一人で向かったお頭にはなすすべがなかった…」

「キャプ…」

 泣いてしまいそうなキャプトに声をかけた時、キャプトは何もなかったかのようにニカッと笑った。

「まっ、その男ンとこに後で乗り込んで水夫もろともブッつぶしてアシュタール海はいただいたけどなっ」

 怖っ…。とラングは密かに身震いした。

「えと…じゃあその傷は、その時の…?」

 ラングはキャプトの、左眉から顎にかけての大きな傷を見て言った。

「ああ…これか? もっとガキん時にな、お頭をかばってさ。お頭だって強いんだから負けることはないんだけど、それでもオレは飛び出して行っちまってなあ…」

 ポリポリ、と頬の辺りの傷を掻く。そしてぺろんと肩を出した。

「ほれ、これとか、あとこれとか、性懲りもなくお頭かばって作った傷が」

 ラングはキャプトの体の傷に、ふと一番上の兄の事を思い出した。

 剣士として他国の戦争に駆り出され、たまに帰ってきた兄の体も、あちこちに傷があった。

「これ…は最近のか。あっこれは違うな、針を引っかけて…なんだ? どうした」

 もう二度と会えない兄たちの事を思うと、知れずうつむいていて、服をめくってへそ丸出しのキャプトに心配されてしまい慌てて首を振る。

「まっ、いい加減にしろって事で調理場に押しやられてさ。だから結構オレ、料理とかもちょっとできちゃったりしてさ。今はアイツらいるから作る機会ねーけど、いつか気が向いたら作ってやってもいーぜ?」

 昔話をした事で、ラングが何か故郷の事でも思い出して元気がなくなったのではと思ったキャプトは、ポンとラングの頭を叩いて、樽の上から飛び降りた。

 穏やかな波、心地よい風、晴れ渡った空…。

 今回こそは成功するだろうか。とキャプトは思った。根拠はないが、成功しそうな気も、した。それはラングという水夫とはまた違った仲間が出来たからだと気づく。

 船長と水夫という主従関係ではないこの関係は、思いの外キャプトの気持ちのどこかを高揚させていた。

 お頭がオレを仲間にした時も、そう思ってくれたんだろうか。とこっそり微笑む。

 ふと、サッと日が陰って、何か大きな鳥でも通ったかと顔を上げた。

「え…」

 キャプトの顔がこわばる。ほぼ同時に、急に暗くなった事で手描きの地図が見えづらくなったラングもを顔を上げて、目を見開く。

 ほんの数秒前には晴れ渡っていた筈の空に、びっしりと暗雲が立ち込めていた。

「え…いつの間に…」

「野郎ども‼ 嵐の予か…ん…」

 だめだ、間に合わない。と思った。

 穏やかな筈のアシュタール海で、何の前触れもなしに見た事もない大波が、目の前まで押し寄せていた…。

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