第2話

 穏やかな海に、真っ黒に黒光りする船が一隻、ゆっくりと北に向かって進む。

 船体の後ろの方には左右、白くドクロの絵が描かれており、船尾と帆のてっぺんには黒布に白で同じくドクロを描いた旗が立てられ、船首には、それらのまがまがしさとは打って変わって、水の恵みを表す水がめを傾けた女神像が飾られていた。

 どうやらさっきまで、海上で停泊していたらしく、白いシャツに水色の縦縞と、横縞の二種類の服をそれぞれ着た水夫たちが忙しそうに船内を徘徊していた。

 横縞の服の水夫は縦縞の水夫より位が高いらしく、色々と命令を出している。

「うあー…眠ィ…」

 甲板へ出る床板が持ち上げられ、大あくびをしながら男が出てきた。

「あっキャプテン! おはようございます!」

 キャプテンと呼ばれた男は、まだ二十歳そこそこの若い容姿で、潮焼けで茶色くなった髪を無造作に手ぐしでとかした。

 日焼けした顔に一際目立つのは、眉から顎にかけて縦に伸びる大きな傷跡だった。

「おめえらっ、オレの海域を荒らす船は一隻たりとも見逃すんじゃねーぞ!」

 どうやらこれが朝の挨拶らしく、水夫たちは大声をはりあげて、それぞれの持ち場へとついた。

「ああヒマだ…」

 キャプテンは樽の上にあぐらをかいた。

「光るサンゴのうわさもあれからパッタリになっちまったしなあ。謎の海底遺跡も、ちっともどこにあるかわかんねーしよ」

 足を下して、ぶらぶらと空を何度も蹴る。

「金さえありゃあ、この船ともオサラバできンのになァ…」

 この船は一昔前の旧式のもので、人力で動かす。その為に水夫がたくさん必要となり、食料や水の消費の心配を常にしている状態だ。また、たまに他の船と戦う時に、甲板へ出てこられる水夫の人数は少なくなってしまう。

「…お?」

 空を見上げてつぶやき、樽から飛び降りたキャプテンは、下段でオールを動かしている水夫たちに向かって大声をあげた。

「おい! 雲行きが怪しくなってくるぞ、しばらくしたら引き上げろ!」

 オールを漕いでいる水夫たちは、それに大声て答えた。

「…こんなに晴れてるのにか?」

 一人の水夫が、後ろの水夫に聞いた。

「キャプテンをなんだと思ってるんだよ! 海のエキスパートだぜぇ、船に関する天候なんかにゃ特に敏感で、天気なんてずばっと言い当てるんだ」

 そう言うと水夫は、懐かしそうに空を見た。

「お頭がキャプテン拾ってから、もう何年になるかねえ」

「ひっ、拾ったあぁ⁉」

 あまりにも大きな声に、後ろの水夫は前にある頭を小突いた。

「その頃お頭もまだ若々しくてなー」

「お頭ならオレもよく話を聞いてるから、早くキャプテンの事を話してくれよ!」

 出鼻をくじかれて少し苦々しい顔をした後ろの水夫だが、すぐに気を取り直して話し始めた。

「キャプテンの両親は相次いで謎の死を遂げて、身内の居なくなっちまったキャプテンが…つってもまだ五歳ぐらいよ? 港町をうろうろしてたら、寄港していた俺たちと出くわしたのよ。お頭はキャプテンの話を聞いて、何ならあたしの船に乗るかい? って言ったのさ」

「へえー、じゃあキャプテンは、生まれついての海賊って訳でもなかったんだ…」

「おいそこ! 手が止まってんぞ!」

 だしぬけに上から声が聞こえてきて、二人は軽く飛び上がり、いつの間にか止めてしまっていた手を再び動かす。

「まーったく、何をぶつぶつと…」

 噂をされた当の本人はそれほど怒る訳でもなく、再び樽の上に戻って片足を立てて、空が荒れる前のひと時の太陽の恵みを、黒いロングコートで受け止めた。

 ぽかぽか陽気で、起きたばかりなのにもうすっかり眠くなってしまったキャプテンは、樽の後ろに積んだ大きな木箱へと体を倒し、手を組んで枕代わりにする。

 あくびを一つして目を閉じると、かもめが飛ぶ、翼の羽ばたき音が聞こえた。

 脳裏に、かもめの姿が一羽二羽と浮かび上がる。

 するとだんだん、頭が、ぼーっとしてきて、眠りに落ちそうになる。

「キャプ…」

「ああああ! あぶねっ! 寝ちまうとこだった!」

 声をかけようとした水夫は、いきなり大声で飛び起きたキャプテンにびっくりして木の板に乗せたパンを落とし、気づかれないうちに慌てて拾って乗せ直す。

「おお…悪ィ、メシか…」

 水夫はドキドキしながら食事を木箱の上へ置いて、戻っていった。

「…豆の数少なくねぇか? そろそろ寄港しないとダメかな…面倒だな…」

 豆の数を数えながらパンをひと齧りして海を見たキャプテンの動きが止まった。

 キツネのように吊り上がった目は、海上の何かをとらえていた。

 かじっていたパンを戻したキャプテンは、にやっと笑って、丁度いい。と呟く。

「野郎ども! 獲物だ! 東方へ船を動かせ‼」

 東方には、何も知らずに優雅に進む、白い船の姿があった…。

 


「晴れてきましたね」

 ラングは再び、甲板に上がってきた。

「あともう少しで本土上陸だ。降りる準備をしておいた方がいいよ」

 船長が言い終わると同時に、一人の水夫が駆け寄ってきた。

「せっ船長! 海賊船です! 海賊船が物凄い勢いでこの船に近づいています!」

「なんだと!」

 水夫の示す方向を見ると、西方に細長い黒の小型船が見えた。

「なんとか逃げられないのでしょうか、それに、こちらに比べたら小さな船では…」

 初めて見た海賊船の、イメージとはかけ離れたちっぽけな姿に拍子抜けしたラングは言うが、船長は首を振った。

「こっちは速度の出ない蒸気船だ、向こうは何人いるかわからない手漕ぎの船だがあっという間に追いつかれてしまう」

 言っているそばから、びっくりするようなスピードで、黒い船はこっちへと近づいてきた。

「一応、僕たちは剣の心得があります! いざとなったらみんなで戦い…」

「追いつかれてしまったらもう、漕ぎ手も加わり総出でこの船に乗り込まれ…」

 船長の顔が引きつった。

 船長の背後から、キツネ目の青年がヒョイと顔を出す。

 いつの間にか、もう既に海賊船に追いつかれてしまっていたのだ。

「オレ様はここら辺一帯、アシュタール海、海域の主、キャプテン・キャプテン様だ! 貴様らの船はこのオレ様の目に留まった。したがってこの海域の通行料としてこの船の物全て、オレ様が頂くことにする!」

「そんな…」

 船長の声をかき消すように、黒い船から数多くの水夫が、この船によじ登ってきていた。彼らは辺りを物色し、邪魔する者は蹴散らしながら、必要なものを奪い去っていく。

「なんて理不尽な…!」

 目の前で繰り広げられるあまりの出来事に、ラングは茫然とする。

「おいお前ら! この船の人間たちを、海の中へと招待してやれ!」

 海賊船のキャプテンは言い、捕えていた船長を引っ張り上げて海へと投げ落とした。その水音に、ラングはハッとする。

「な、何をするんだ、やめろ‼」

 そう怒鳴って、剣を抜いた。

「死ぬ心配はねえよ、ここら辺の海は穏やかだからな。直ぐにどこかの大陸に流れ着くさ」

 無責任な物言いに、ラングはカーッとなって剣を振り下ろした。

「へっ、でっけえ剣だな」

 手の甲に出来た赤い筋をペロッと舐めて、キャプテンは笑った。

「やろうってのかよお坊ちゃん、このオレ様相手に」

 細身で長身の体格と同じく、華奢な細い刺突剣をすらりと抜いたキャプテンを、ラングは更に睨みつけた。

「お前、剣士か? そんな剣片手で振り回しやがって」

「…この船は渡さない! 船長さんたちを海から引き揚げてもらうからな!」

 自らの力と、規格外の大剣の重さで勢いよく斜めに薙ぎ払う。細身の剣を弾き飛ばそうとしての行為だったが、思いがけず華奢な剣はしっかりとその攻撃を受け止めていた。

「そんなっ…」

 まさかという思いからラングが怯んだ隙に、点のような剣先が目の前に素早く差し出される。その奥に、勝ち誇ったようにニヤリと笑う形の良い口元が見え、恐怖に目が離せない。

その直後、腹に衝撃を感じ、ラングは暗闇の中へと落ちていった…。

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