第10話
★ ★ ★
移動した先はバルコニー付きの二階の部屋でした。
踊りつかれたり体調が悪くなった方々のために、こうして休憩できる部屋が用意されているのです。
室内は薄暗く、ほのかに甘い香が焚かれています。
備えつけの家具はソファーとテーブル。
「どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
飲み物と焼き菓子も給仕係が届けてくれました。
すぐに退出したため、わたくしたちはふたりきりとなります。
先ほどまでの賑わいが、まるで嘘のような静けさ。
「……」
「……」
……あら?
隣同士でソファーに座った途端、緊張してきました。
今までふたりきりになることはありましたが、時間帯は昼。
しかも、わたくしの店でというシチュエーションばかりでした。
急にそわそわしてきます。
なんだか指先も冷えてきました。
一度、飲み物をいただいて、落ち着いた方がいいかもしれません。
わたくしはソファーから立ち上がって前屈みになります。
「飲み物をいただきましょうか、あっ」
「シャーロット!」
立ち上がってグラスへ手を伸ばしたところでよろめいてしまったわたくしをジョシュア様が受け止めます。
「……あの、ジョシュア様」
「何だ」
「もう離していただいて大丈夫です……」
「断る」
断るって何ですか!?
わたくしの脳内はパニック寸前です。何故なら、そのままジョシュア様がわたくしの首元に鼻を近づけてきたからです。
心臓がばくばくいっています。
呼吸、どうやって、するんでしたっけ。
助けてください! 誰か!
「いいにおいだ」
「ダ、ダンスのせいで汗臭いだけです。おやめください」
「そんなことはない。シャーロットはいつもいい香りがする。きっと、普段から手入れを怠っていないのだろうな」
「……そのお言葉も、ノア様からの受け売りでしょうか」
先ほどノア様と会話したせいでつい口が滑ってしまいました。
「ふたりきりだというのに他の男の名前は聞きたくない」
低い声で囁かれると、耳元がくすぐったくてたまりません!
とはいえ。この体勢のままではわたくしも辛いと判断してくれたのか、ジョシュア様はわたくしを解放してくださいました。
「……申し訳ございません、ジョシュア様」
「シャーロット」
「はい」
ジョシュア様がわたくしの左手に自らの右手を重ねてきました。
わたくしがジョシュア様を見上げると、そのアイスブルーの瞳は淡く淡く煌めいています。
どんな宝飾品よりも美しい、ジョシュア様の瞳。
「ドラゴンとの決闘のときのことを覚えているか」
「覚えています、けど、あっ」
ジョシュア様の発言の意図に途中で気づき、わたくしは頬が熱くなるのが分かりました。
【……キスは、ふたりきりのときに】
「いいだろうか? 貴女に口づけても」
「……は、はいっ」
わたくしは思い切り目を瞑りました。
肩もこわばらせていると、ふっ、とジョシュア様が笑うのが耳に届きます。
「そんなに緊張しなくてもいい。何も、取って喰おうとしている訳じゃない。……今日は」
今日は? 今日は、って言いませんでしたか!?
わたくしだってもうすぐ十八歳。ジョシュア様の言葉の意味くらい分かります。
さらに緊張してしまったわたくしの頭を、ジョシュア様は優しく撫でてくれました。
「無理をさせたくはないんだ。これまで散々放置してしまった分の信頼を、ゆっくり取り戻していけたらと思っている。あなたと一生を共にするつもりだからこそ」
「ジョシュア様の誠意は伝わっております」
わたくしはジョシュア様の右手に、自分の右手を乗せました。
大きな手のひらです。節くれだっていて、力強さを感じるジョシュア様の手。
わたくしの手とはまったく違う、国を守るための手です。
座ってもなおわたくしたちには身長差があります。
ですが、心の距離は、少しずつ縮まってきているように思えました。
「わたくしも逃げたりはいたしません。ジョシュア様を好きだか――」
言葉は途中で遮られてしまいました。
「……」
唇が触れ合うと、離れた瞬間に冷たさを感じるのだと知りました。
「無理はさせたくないんだが、ということで、だから、えぇと。これ以上のことをしないように今理性を総動員しているからちょっと待ってくれないか」
「ジョシュア様。言動が乖離していますが、大丈夫ですか」
「どちらかというと、大丈夫ではない」
「……もう一度します?」
「いや、していいのであればもちろんしたいが、えっ」
目を閉じてジョシュア様を待とうとしたところで、すぐにキスの雨が降ってきます。
――唇、額、頬、瞼。
されるがまま。
ですが、どのキスも柔らかく優しくて、わたくしを想ってくださっているのが伝わってきます。
見えていないのにジョシュア様がどんな表情をしているか分かります。
なんだか、ふわふわします。
愛おしい。新たな感情が胸の底から、湧いてきます。
ドキドキしますが、もっと、もっとという声が内側から聞こえるようです……。
そして、ジョシュア様はわたくしを優しく抱きしめました。
ジョシュア様の鼓動が伝わってきます。
とっとっと……というリズム。
わたくしと同じくらい速いということは、ジョシュア様も、同じくらい緊張されているのでしょうか。
……なんだか、安心します。
わたくしはジョシュア様の首の後ろへ手を回しました。
しばらく抱きしめ合った後、ジョシュア様はわたくしの額へもう一度唇を寄せます。
それから、申し訳なさそうに、ジョシュア様は立ち上がりました。
「……頭を冷やしてくる」
バルコニーに出て夜風を受けることにしたようです。
わたくしもわたくしで火照った体を鎮めようと果実水を口に含みました。
冷たさが喉を通っていきます。
立ち上がって、わたくしもバルコニーに出ました。
夜空に星が瞬いています。
「貴女への想いが日増しに強くなっていって、どうにかなってしまいそうだ」
ジョシュア様が夜空を見つめたまま呟きました。
「貴女の意志を尊重したいのに、仕事も応援しているというのに。誰にも見せたくないし、閉じ込めて自分だけのものにしておきたい」
いろいろと不穏なので敢えて黙っておくことにします。
ジョシュア様の独白はまだまだ続きます。
正直なところ、こんなに喋る方だとは思ってもみませんでした。
「鍛錬が足りていない……。煩悩を払うために修業にでも出るべきだろうか。いや、それだとシャーロットに会えなくなる。困る。すごく困る」
「ジョシュア様」
わたくしもわたくしで星空を見上げます。
「そんなにわたくしのことを好きでいてくださって、ありがとうございます」
わたくしはジョシュア様にそっと体を預けました。
ジョシュア様が、わたくしの腰に手を回してきます。
そのまましばらく、ふたりで星空を眺めていました。
★ ★ ★
騎士団は、数か月ぶりに魔物の森への遠征が決まりました。
ジョシュア様は騎士団長として再び王都から旅立つことになりました。
前回は招かれることのなかった出陣式。
今回は特等席を用意されたので、わたくしも正装しての出席です。
空は晴れ。
頭上にはドラゴンが旋回し、騎士団を鼓舞してくれています。
出発日和とはまさにこの日のためにあるような言葉です。
騎士団長として遠征組を率いるジョシュア様。
鎧に身を固め馬に乗った姿は堂々としていて、威厳を放っています。
仕事のときは今まで通り無表情の『魔王』ですが、若干、眉間のしわは薄くなったような気がします。
なお、胸元にはドラゴンの鱗で作ったペンダントがあるということは、わたくししか知りません。
ジョシュア様を守ってくれるように精一杯の祈りを込めました。
国旗が掲げられ、華々しい演奏が始まりました。
国王陛下の訓示の後、ジョシュア様が拝命宣言を行います。
そして騎士団は出発しました。
ジマニー帝国のヴァレンティナ王女こと騎士姫様たちとは、魔物の森で落ち合うとのこと。
「ご武運を」
「お気をつけて!」
騎士団の縁者が口々に無事を祈ります。
わたくしの隣ではアイヴィーが涙ぐんでいました。
「ご武運を。お帰りをお待ちしております」
ジョシュア様が目の前を通るとき、わたくしは一番大きな声を出しました。
ジョシュア様はわたくしへ特別な視線を向けることなく旅立って行きました。
今は、騎士団長モード。仕事最優先のジョシュア様です。
ジョシュア様からは、帰国が決まったら真っ先に会いたいと繰り返し言われています。
変わった魔物のパーツもストックしておくと言われましたが、それは丁重に断りました。
ドラゴンの鱗を除いて、レッドダイヤモンド商会経由で仕入れないものは正規ルートとは言えませんから。
「さて、しばらくはおひとりさまを満喫しましょうか!」
騎士団を見送ったわたくしは清々しい気持ちで立ち上がりました。
新しくオープンしたカフェに行ってみたいですし、二号店の準備もしなければなりません。
とにかく、やることはたくさんあるのです。
ですが、たまにはジョシュア様へ手紙を書きましょう。
貴方のことを誰よりも想っています、と。
了
独り身は気楽だと仕事に打ち込んでいたら、婚約者である強面騎士団長の様子がおかしいのですが shinobu | 偲 凪生 @heartrium
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