第5話

★ ★ ★



 ジョシュア様が突然、わたくしをデートに誘ってくださいました。

 しかも、花の香りがついた便箋で。

 この便箋。流行っているのは知っていましたが、自分には縁がないものだと思っていました。


「華やかすぎず甘い、いい香り……」


 便箋には流暢な文字でわたくしと出かけたい旨が綴られています。

 今までこのような手紙をくださったことがなかったので、正直なところ、動揺しています。


 一体、ジョシュア様はどういうおつもりなのでしょうか?


 こんな婚約者っぽいことを……?

 あのジョシュア様が……?


「はっ! もしかして、騎士姫様とのデートの練習でしょうか!?」


 わたくしが取り出すのは、騎士姫様の小さな肖像画。

 隣国から届いたばかりのヴァレンティナ王女公式ファンクラブ入会特典です。

 あぁ、なんと麗しいことでしょう!


 動揺が収まりました。ふぅ、安心しました。

 そうですよね。


「そうだとしたら粗相のないよう全力でお相手を務めなければなりません!」


 おふたりの行く末は両国の未来がかかっていると言っても過言ではありませんからね。

 わたくしはいつも以上に王都のトレンド情報をチェックすることにしました。



 ――そして、あっという間に約束の日が来ました。



 ジョシュア様は騎士団の制服ではなく、正装でお越しになりました。

 首元にセンスのいいフリルがついたシャツは当然のように最高級。

 ジャケットとパンツは紺色に金の縁取りで統一されています。

 制服だと体格のよさが前面に出ますが、今日は品のよさが溢れ出ています。


「今日はよろしくお願いいたします」

「あぁ。……そっ、ラッ、……」

「? そら?」


 アイスブルーの瞳と目が合うと、ふっと逸らされてしまいました。

 意中のお相手以外を凝視してはいけないという騎士の教えでしょうか。

 きちんと実行されていて、すばらしいです。

 心の中で拍手を送ります!


 それにしても、ジョシュア様ほど眉目秀麗イケメンという言葉が似合う方はいらっしゃいません。

 金色の髪は、騎士団長姿のときよりも柔らかなスタイル。

 風に揺れ、その度に音楽を奏でているようです。

 すっと通った鼻梁、形のいい唇。

 ジョシュア様のお顔は、まるで神様のおつくりになった彫刻のようです。

 決して表情は豊かではありませんが、それが団長という責務に安心感をもたらしてくれます。


「なんだ?」


 流石にわたくしの視線に気づいたようです。

 気まずそうにジョシュア様が振り返られたので、わたくしは申し訳なさそうに眉尻を下げました。


「申し訳ありません。ジョシュア様に見惚れておりました」

「……ッ」


 あら? ジョシュア様が一瞬崩れかけたのは気のせいでしょうか。

 激務で体調がすぐれないかもしれません。

 今日は、あまり無理をさせてはいけませんね。


「……貴女、も、そのラベンダー色のワンピースが、よくお似合いです……」


 ジョシュア様が声を振り絞ってわたくしのことを褒めてくださいました。

 何故だか涙目になっています。


「ありがとうございます」

「その、ネックレス、も。【ボーン・シャーロット】のものか?」


 ジョシュア様の視線がわたくしのネックレスに留まりました。


「よくぞ気づいてくださいました! そうなんです。今回は透かしを入れたデザインに挑戦してみましたの! ……すみません、アクセサリーの話なんてつまらないですよね」

「い、いや、問題ない。聞かせて、くれ」


 なんとジョシュア様から許可をいただいてしまいました。

 せっかくなので、滔々と新作デザインについて語らせていただくことにしましょう。



★ ★ ★



 馬車を降りたところでわたくしは驚きました。

 ジョシュア様がランチを予約してくださっているのは知っていましたが、その店が。


「こちら、トゥインクル通りで最も予約の取れないレストランでは……?!」

「そ、そうだ」


 どうやらジョシュア様もいろいろとリサーチされているようです。


「流石に個室は予約できなかったが」

「かまいませんわ。とにかく、一度来てみたかったんですの」


 天井のステンドグラスから降り注ぐ美しい光。

 マットゴールドを基調にした調度品は上品さを醸し出しています。

 壁に飾られているのは新進気鋭の画家の作品のようです。

 奥の方から、ピアノの生演奏が聴こえてきます。


 テーブルの上には当然ながらカトラリーとナフキンがセットされています。

 給仕係に椅子を引かれて、腰かけます。


「ここは魚も肉も美味いらしい。ノアが、アイヴィー嬢と共に堪能してきたと教えてくれた」

「まぁ、アイヴィーが」


 アイヴィーは美食家なので期待ができます。

 早速、オードブルの盛り合わせが運ばれてきました。

 緑の野菜に巻かれたクリームチーズと生ハム。

 ゼリー状のサラダ。

 小さく切られたバゲットには鹿肉のリエットが添えられています。

 丸皿の周りにはエディブルフラワーの彩り。


 いつまでも眺めていられそうなお皿です。

 美しい盛り付けは、アクセサリーのデザインの参考にもなります。


 わたくしたちはノンアルコールのスパークリングワインが注がれたグラスを軽く掲げました。


「ふたりの未来に乾杯」


 ふたり。

 形式的な挨拶とはいえ、少し申し訳ないですね。

 とはいえわたくしもしっかりと応じましょう。


「えぇ、乾杯」


 爽やかな炭酸が喉を通っていきます。


「とてもすてきですね。わたくし、オードブルの盛り付けを眺めるのが好きなんです。まるで絵画みたいですてきだと思いませんか?」

「……あ、あぁ」


 次に運ばれてきたスープは、根菜のヴィシソワーズ。


「……」

「……」


 料理に舌鼓を打っているから、というよりは、ジョシュア様は話題に困っているようにも見えます。


「事業は」


 皿へ視線を落としたまま、ジョシュア様が口を開きました。


「順調か?」

「はい。おかげさまで」

「それはよかった」

「……」

「……」


 ふと視界の端に見慣れた人物が見えました。

 まさかの、アイヴィーとノア様ではありませんか。

 団長と副団長が同じ日に休日を取って、同じレストランにいる。珍しいこともあるものです。


 アイヴィーもまたわたくしたちに気づいてくれました。

 神妙な面持ちで首を縦に振ってきます。一体、何のサイン? どれも美味しいという太鼓判を押したいのでしょうか。


 魚は白身魚のムニエルで、肉はローストビーフ。ローストビーフにはホースラディッシュソースがかかっています。

 どれもとても美味しいです。


「ジョシュア様」

「なっ、なんだ!?」

「ここのお料理はとても美味しいですわね。きっと、ジマニー帝国の方々の舌にも合うと思います」

「? そ、そうだな」


 ジョシュア様が虚をつかれたような表情になります。


「遠征中の食事事情はどうなっているのでしょうか」

「基本的には保存食だ。乾燥させた肉や炒った木の実が多いだろうか。水分は川の水をろ過するか、ワインが基本だな。たまに小動物を狩ったりもするが」

「魔物を食べたりは?」

「……それこそ、考えたことがなかった」


 ジョシュア様が顎に手を当てて考え込みます。


「魔物の血液は毒だから、食べてみようとは誰も思わないだろうな」

「もしかしたら食べられる魔物もいるかもしれませんわ。家畜だって血抜きをします。いい方法が見つかれば、遠征の食事情が改善するかもしれません」


 わたくしが一気にまくしたてると、ジョシュア様はふっと笑みを零しました。


「すぐには無理だと思うが、面白い意見だ。流石はシャーロット」

「お褒めにあずかり光栄です」


 それからはどの魔物なら食べられそうかという話を聞きながら食事が進みました。

 ジョシュア様は雄弁ではありませんが、魔物の話は丁寧に分かりやすく説明してくれます。

 ある意味、『魔王』という二つ名は伊達ではないのでしょう。


 シャーベットまで堪能して、わたくしたちはレストランを後にしました。


「ところで行きたいところがあると言っていたが、どんな店だ?」

「行ってからのお楽しみですわ。まいりましょう」


 わたくしがどうしてもジョシュア様をお連れしたかったのは、イヤリングの専門店です。


「何か欲しいものがあるのか」

「いえ、違います。イヤリングなら姫騎士様が戦闘中にもつけていられるかと思いまして」

「……は?」


 ジョシュア様が首を傾げました。


「わたくし、騎士姫様への贈り物について、何がいいかずっと考えていたんです。会報もバックナンバーを取り寄せて隅から隅まで読みました」

「か、会報? 何の話だ」


 わたくしは真紅のデザインを手に取り、掲げてみせました。

 雫のように見えますが一枚の花びら。本物の花を枯れないように加工してあるのです。


「隣国の王女様ですから下手なものはさしあげられません。せっかくなら、この国にしかなくて、この国の文化を紹介できるようなものがいいと思いませんか?」

「そ、それは、そうだが……」

「お気に召しませんでしょうか……」


 それならば第二、第三と候補はありますので、ジョシュア様に見てもらいましょう。

 提案しようとしたときです。



「ドラゴンが出たぞーっ!」



 ごーん、ごーん、ごーんっ


 遠くから聴いたことのない鐘の音が響きます。不穏さを感じさせる不協和音です。

 続いて、大声につられるように周囲の人々は空に視線を向けました。


 ばっさ……ばっさ……


 優雅に旋回するのはまさしくドラゴンでした。

 淡いオレンジ色にも、澄んだ緑色にも見えるのは、鱗の色でしょうか。


 ドラゴンは人間に害をもたらさない数少ない魔物です。

 さらに説明を加えるのであれば、この国の紋章にもなっています。

 そんなドラゴンが、何故、この国の上空にいるのでしょう。


 生きている魔物を見るのは初めてです。

 わたくしは思わず口をぽかんと開けてしまいました。令嬢失格ですね。


 それから、わたくしは隣に立つジョシュア様を見上げました。

 流石、騎士団長様は冷静です。きゅっと口を結んでドラゴンを見つめています。

 それからふいに、顔をわたくしへ向けました。


「大変申し訳ない。ドラゴンの元へ行かねばならなくなった」

「ジョシュア様は騎士団長ですもの、当然ですわ」

「この埋め合わせはすぐに」

「埋め合わせ? そんなもの必要ありませんわ。行ってらっしゃい、ジョシュア様」


 ジョシュア様は何か言いたげでしたが、ぐっと堪えて走り出しました。


「シャーロット!」


 レストランからアイヴィーが飛び出してきました。

 恐らくノア様も騎士団へ向かわれたのでしょう。


「いくらドラゴンに害がないとはいえ、ここにいては危ないですわ。すぐに帰りましょう」


 アイヴィーがわたくしの両肩に手を置きます。


「えぇ、そうですわね」


 なおも、ドラゴンは優雅に上空を旋回しています。

 まるでおとぎ話のよう。

 わたくしはアイヴィーに無理やり引っ張られるまで、ドラゴンの色彩に見惚れていました……。

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