第31話 愛してる
「――フランカ! フランカはペトロネラのお姉ちゃんでしょ⁉ 本物の愛し子なんでしょ⁉ かわいい妹を虐げて、この国に酷いことばっかするこいつを許すわけ⁉」
ペトロネラがフランカへと怒鳴った。
マーディンさんに何か言えば、これ以上の付加価値を積み上げられてしまうと危惧したのか、ペトロネラは救済を訴える矛先をフランカへと変えたらしい。
「責任は感じないの⁈ あんたが大事にしてた国民だって、ペトロネラ程度の大きさの黄金でその生活が賄えるわけないじゃない!」
「そう言われても……」
マーディンさんの腕の中で、フランカは頬に手を当てる。
ペトロネラの言っている言葉の意味がわからなかった。
だってそうなったのは全部自業自得ではないかと、フランカは思う。
ペトロネラは謙虚でいればよかった。人を陥れず、人を見下さず、わがままを言わずに生きていればよかったのだ。
王家やラウレンスはペトロネラの言葉を鵜呑みにせず、周りの言葉に流されることなく、過去に宝石龍が顕現した国の政策をよく見習い、国のためにあればよかった。
この国の教会関係者たちだって、二人の子供のうちどちらが愛し子なのかわからなかったのなら、予言を信じて二人を平等に扱えばよかった。
両親もそうだ。フランカのこともペトロネラのことも、ただ平等に愛し、育てればよかった。
どれも難しいことではないはずだ。
けれどそうしなかったから、彼らは窮地に陥っているのだ。
フランカが窘めればよかったとか、扱いをペトロネラと平等にせよと訴えればよかったとか、そういう言葉は聞けない。
物心がつく前からフランカを〝じゃないほう〟と決めつけ、自己主張の口を塞ぎ選択肢を取り上げたのはどちらだったか。
だからやはり、フランカは頬に手を当てたまま首を傾げることしかできない。
「責任? 私にあるのかしら?」
「ないよねー」
神が、フランカの責任を否定した。
これによってペトロネラとラウレンスは悲惨な未来をはっきりと決定づけられたのだ。ペトロネラは泣き崩れ、ラウレンスは呆然と虚空を見つめたまま動かなくなった。
フランカはマーディンさんからの言葉が欲しくて呟いたわけではなかった。けれどマーディンさんがきっぱりした否定をくれたことに、身内が震えた。
甘やかされるというのはこういうことをいうのだろうか。
フランカが望む言葉をくれる人が側にいるということは、これほどまでに心が安らぐものなのか。
ペトロネラがあまりにうるさく泣きわめくので、マーディンさんが見えない力によって彼女の口を塞いだ。
かつてフランカを追いつめ、選ぶ自由を奪い続けてきたペトロネラが、マーディンさんの魔法によって無言のまま黄金の涙と鼻水を流している。
その姿を見下ろしつつ、フランカはペトロネラやラウレンスが周りに人を置いて離さなかったわけに深く納得した。
自分を肯定してくれる人がいるということの、なんと心安らぐことか。
同時にフランカはひっそりと心の中で自分を戒める。
ペトロネラたちのように、是と首を縦に振る人ばかりに依存しないよう注意しなくてはいけない。
「どした?」
「いえ……」
黙るフランカを心配し、マーディンさんが後ろから覗き込んできた。
マーディンさんの赤い目に優しさと安らぎを覚え、フランカはよりいっそう気持ちを引き締めて、小さく首を振った。
「あまりにマーディンさんの側の居心地が良すぎたので、依存しないようにと気を引き締めたのです。ペトロネラたちのように自分を肯定してくれる存在に溺れて、己を見失わないように」
後ろから両腕でフランカを抱きしめなおしたマーディンさんが、今後の戒めを宣言したフランカへ不服そうな声をあげた。
「えー?」
ジャーキーを前に待てと言われた犬のように、マーディンさんが不満そうに鼻を鳴らす。
そしてフランカの首筋に唇を寄せて、耳に声を注ぎ込むように呟いた。
「いーじゃん。溺れてよ」
思わず耳を庇いたくなったフランカの手を、マーディンさんが捉える。
「だってオレ以上にフランカを大切にできるやつはいないよ? フランカのそういう自分を律する気持ち含めて、大事にするし」
ちらりと振り返ってマーディンさんの目を見れば、その赤い目は愛おしいものを見るように輝いていて、そういえば赤は情熱の色であったと唐突に思い出す。
「フランカがオレに溺れてくれるんならなんでもするよ。フランカが欲しいならこの世界もあげる。けど、フランカを傷つけたこんな世界、滅ぼしたっていいんだよ。まだるっこしいことしなくても成りすましも殺しちゃえばいいんだし。なんでもフランカの好きに選んで?」
フランカが宝石龍の愛し子としての立場を奪われたこと、それどころか普通の人間としても名誉を傷つけられて今まで生きてきたことに、マーディンさんは憤っているのだと思う。だからフランカにいろいろと選ばせてくれようとしているのだろう。
その選択肢が世界を手中に収めるか、滅ぼすか、ペトロネラを殺すかという、かなり怖いことになってはいるけれど。
でも、それが嬉しい。
「ま、マーディンさんは、私のことを好いてくださっているのですか?」
「当たり前じゃん。ていうか、愛してる」
「……っ」
今まで責任と義務の中で生きてきた。フランカへの愛など他人から感じたことがない。
だけどマーディンさんの他人への残酷な言葉の中に、フランカへの愛を確かに感じる。だから今、マーディンさんの「愛してる」を、フランカは素直に受け取ることができた。
「友達だけじゃなくて、フランカの恋人にもなりたいって思う。もしオレの彼女になってくれるなら、他の神が管理する世界の十や二十、記念にぶんどってきてプレゼントするよ」
その言葉はフランカにとって優しすぎて、くらくらしながらも首を横に振る。
「この世界も、他の神様の管理する世界もいりません。ペトロネラの命も不要です。私は、――世界を手にすることよりも、マーディンさんに最期の時まで一緒にいてほしいです」
マーディンさんと初めて会った時に、彼を悪魔だと勘違いして言った願いを繰り返す。
思い返せばこの願い事を口にしたことが、フランカにとって初めての選択だった。
朝市でオレンジを選ぶよりも前に、マーディンさんの存在によってフランカは選択の自由を得ていたのだと気づく。
フランカは震える声で続けた。
「わ、私は……私も、マーディンさんの恋人になりたい」
そしてフランカに世界をくれると言うのなら、きっと世界を千個積み上げても手に入らないであろう貴重な場所をひとつだけ、ねだった。
「もしも、できることならば、マーディンさんの隣を独り占めしたい、です……」
「そんなん言わなくても当たり前じゃん! オレの隣は永遠にフランカのものだよ! つうか、そんなかわいいこと言って、フランカこそオレに愛される覚悟して! マジでずっと一生逃がさないから!」
マーディンさんのためならば魂だって差し出す覚悟だったのだ。
愛される覚悟くらいなんてことはない。
「望むところです」
自分を愛してくれる人に愛されることを選ぶという行為は、とても甘くて。
ただただ、嬉しいだけだった。
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