第30話 黄金の価値
空中に浮かんだ金の渦はマーディンさんが指先を振ると、回転の勢いを増しながらペトロネラへと飛んでいく。
見えない力を解かれたペトロネラは、
「たとえばだけど、子牛は肉の量は少ないじゃん。でも大きく育てればいっぱい取れるよね?」
体を作り変えられる違和感や痛みに耐えるように、ペトロネラが自分で自分を抱きしめてうずくまる。震えるペトロネラの背中に、マーディンさんが言葉を落としていく。
「でも子牛の肉ってうまいじゃん。大きくても味がいまいちだなーって場合もあるし? 黄金も、もしかしたら魔法をかけてすぐの時に死んだ成りすましの黄金は質がいいかもしれないけど、大きく育てて量を採るって選択肢もある。もしかしたら量も採れて質もいい場合もあるよね。どれが得かな~?」
そういうことを考えて成りすましを殺す権利は、誰にあげればいいと思う? と、フランカの耳元でマーディンさんが囁くように言った。
小さな声だったけれど、しんと静まり返った室内にはよく響いた。
フランカは少し考えて、やはり「王太子殿下でしょう」と答える。
「国をどう存続させるのかを決めるのは、この国の未来の王であるべきです」
マーディンさんの言葉とフランカの答えを聞いて、ラウレンスは怯えた視線をペトロネラへ走らせた。
己の体が資源へと変わっていく恐怖に息を乱すペトロネラを通して、家畜を屠殺するように自分の婚約者を殺さなければならない残酷な未来を見て怯えたのだろう。
「そんなの、嫌よ……!」
肩で息をしながらペトロネラが泣く。
それを見て、マーディンさんが「え、不満? なんで?」と、きょとんとした声をあげた。
「あー、自分ひとりはヤダってこと? じゃあ魔法をかける人間を増やしてあげよっか? 成りすましのパパとママにもおんなじ魔法をかけてあげるね!」
「それは私の両親を、ということですか?」
金の渦を指先に二つ作ってくるくると浮かべるマーディンさんへ、フランカは尋ねた。
ペトロネラの本当の両親はすでに鬼籍に入っているからだ。
「そのつもりだけど、フランカがパパママかわいそって思うならやめとく」
とても不本意です、という表情を隠しもせずにマーディンさんが言う。金色の渦を消したり出したりしながら、下唇を突き出している。
その子供みたいな様子に、フランカは小さく笑った。
「ペトロネラがクラーセン家に来た時に、きっと私の親は消えてしまったのだと思います。私を選ばなかった両親に、心を寄り添わせることはありません。どんなことがあろうとも、彼らの身に起こることは彼らの責任からそうなったのだと思います」
「そお? じゃ、遠慮なく!」
先ほどの金の渦より大きい渦を再び爪先に出したマーディンさんが、にこやかに指を振った。
金の渦がクラーセン家のある方へ飛んでいくのを目で追っていると、驚いたことにペトロネラが顔を上げてマーディンさんを怒鳴りつけた。
「あ、あんたなんか! どこが神様なのよ! ペトロネラにこんなひどいことをするやつ、神様なんかじゃない!」
涙でアイメイクは溶けて、自分の体が変化する恐怖にえずいたせいで口の端から涎が流れている。かつて宝石龍の愛し子として人々に愛され、
纏っていたかわいらしさをかなぐり捨てて吠えるペトロネラの姿に、必死さだけは伝わった。それに対して、反応はさまざまだ。
神に弓を引く愚かな行為にラウレンスたちはさらに怯え、らしくない様子にフランカは驚き、マーディンさんは鼻で笑った。
「えー? まだ不満? しょうがないから継続の魔法もかけちゃう。もしかしたら成りすましたちの子供も、死体が黄金に変わるかもしれないね?」
〝繁殖〟という言葉がフランカの頭に浮かんだ。
鉱山は掘りつくしたら終わりだが、体が黄金に変わる生き物ならば増やせば増やしただけ採れるだろう。倫理的、人道的な問題を無視すれば、それは肉をとるために増やす豚や牛といった家畜と相違ない。
「でも子供産んだら、黄金の質が落ちるかもしれないね? そのへんオレも把握してないんで、唯一成りすましを殺すことができるお前の判断で決めるといいよ」
マーディンさんはラウレンスを指さして言った。
その空色の爪先から真っ赤な光が伸びて、愕然と目を見開くラウレンスの胸に吸い込まれていく。
「フランカの言う通り、国をどう存続させるかはお前が決めるといいとオレも思う。だから魔法をかけられた成りすましたちを、お前だけが殺すことができるようにしといたからね!」
朗らかにマーディンさんは続けた。
「お前が殺さなかったら、成りすましたちはずーっと、永遠に、この世から人間が滅びても生き続けることになるからさ。国も財政難で困っちゃうだろうし? あ、もしもお前が死んだら、お前の子供だけが成りすましたちを殺せるようにもしといたから、心配しないで!」
「わ、私が……人を殺すなど、それもペトロネラを……など……そんな……」
震える声で呟き尻で後ずさるラウレンスを取り巻く男たちは、守るべき主人の怯える姿を、じっとりした異様な目で見始めている。
「フランカに選ばれたんだから、しっかり頑張ってね? お前が最期まで成りすましの世話をするかぎり、ちゃんと黄金は手に入るからさ」
ラウレンスは気づいていないけれど、取り巻きたちがラウレンスを見る視線は鉱山で坑夫を監督する者たちの視線だった。
取り巻きたちの中で倫理よりも黄金のほうへ天秤が傾いたのだろうと、フランカは思った。
「オレが優しい神でよかったねー?」
これから取り巻きたちはラウレンスやペトロネラのことを、黄金を採るための家畜と屠殺者として大切に扱うだろう。
もちろんマーディンさんもその未来をよくわかったうえで、ラウレンスとペトロネラへと笑顔を向けた。
「やめて! なんでペトロネラが! ペトロネラは家畜じゃないわ!」
うなだれて黙り込むラウレンスとは違い必死の形相で叫ぶペトロネラへ、マーディンさんは赤い目を煌めかせて笑いながら言った。
「でもお前はフランカのことを家畜扱いしてたじゃん? 自分が生きている間は宝石龍をこの世にとどめておくために、フランカが死なないように最低限のものだけ与えてここに幽閉したのはそういうことでしょ?」
「ペトロネラには価値があるのよ! そこの地味女とは違うんだから! そんなふうに扱われていい女じゃないの!」
「自分は人を家畜扱いしてもいーのに、自分がされんのは嫌なんだ? 人間ってごうまーん。カミサマその心理全然わかんなーい」
その肉体を黄金に変える。国のためにペトロネラの血を継ぐ者を繁殖させて殺せ。
マーディンさんはとても残酷なことを言っている。慈しみと愛に満ちた存在として教義にあった神様とは程遠く、フランカがその外見から勘違いした悪魔のようだった。
「でもま、そこまで自分に価値があるっつーなら、しょうがないからお前らの体液は体から離れた瞬間に黄金になるってゆー付加価値つけたげよっか?」
そう言いながら、マーディンさんは空色の爪を空中で回して金の渦を三つ生み出した。
マーディンさんが息を吹きかけると、ひとつはペトロネラへ向かって、残り二つはクラーセン家のほうへ竜巻のように勢いよく飛んでいく。
「これからずぅっと血を抜かれて泣かされて、唾も自由に飲み込めない生活になるけど、お前の価値は上がるっしょ。よかったねー」
マーディンさんがペトロネラに微笑みかける。
ルビー色の瞳が輝き、蜂蜜のようにとろりと角の金色が艶めいた。
「家畜として生きるくらいならオレを怒らせて今すぐ殺されようとか考えた? 苦しいのも怖いのもヤダもんねえ? でも残念だったね。そんなんお見通しだし、なんでフランカを傷つけたやつにそんな慈悲をあげなきゃなんないの」
暴言の意味を看破されて、ペトロネラが今度こそ言葉に詰まった。
「心配しなくてもお前には黄金の価値があるんだから、国中から大事にしてもらえるよ。よかったじゃん」
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