第19話 私の最優先事項
「立ち上がって王太子殿下を出迎えることもしないなど、なんたる不敬か!」
ラウレンス殿下の三人の取り巻きのうちの一人がいきり立った。
フランカも愛し子候補だったので、殿下の側近とは顔見知りである。確か彼は、王都神殿の司教の息子ではなかったか。
彼は昔から宝石龍の愛し子を崇拝していた。教会関係者は総じてそうだが、彼は特に傾倒しているように思う。
それが宝石龍の愛し子への尊崇なのか、ペトロネラへの愛念なのかは知らないが。
「……全く反省していないようだな」
怒鳴られても微動だにせずソファから腰を上げないフランカに対して、ラウレンス殿下が低い声で言う。
「反省とは?」
以前のフランカであればもしかしたら側近の言う通り、王族への不敬を良しとせず、少なくとも立ち上がるくらいはしたかもしれない。けれど今のフランカは、彼の尊大な態度を鼻で笑った。
「私は何も間違ってはいません。……むしろ反省すべきは殿下の方ではありませんか?」
間違っているのは、ペトロネラの言うこと全てを正しいと信じて従う者たちだ。信じるのはかまわない。けれど盲信はいただけない。
フランカの目の前に立ちはだかり、「僕は偉いんだぞ!」と鼻の穴を広げるのならば、下々のためにも情報の精査は必要だろう。
宝石龍の愛し子を間違えるなど、特に王族たちの誤りは致命的である。
「私のどこに反省すべき点があるというのだ」
首を傾げた殿下の代わりに、側近――いや、取り巻きの一人が苛立った様子でフランカに口を開いた。
「殿下、この女は愛し子様のご温情を何も理解していないようです。愛し子様はあんなにも健気にこの女の幸せを願っているというのに!」
「本当にこの女のために相手をあてがう必要があるのですか? さっさと始末――いえ、このまま捨て置いてしまえばよいのでは」
コホンと咳ばらいをしつつ言う取り巻きに、肩をすくめながら殿下が答える。
「私の愛し子の願いは、何をさておいても叶えてあげなくては」
「とはいえ、このように愚かな女の相手をしたいと名乗りを上げる男もいますまい」
彼らの会話から察するに、どうやらペトロネラが何かを彼らにねだったらしい。しかし彼らはそれを積極的に叶えたくはない様子。
こちらを見下しながら嫌そうに会話を続ける殿下たちにうんざりする。
ペトロネラのお願いなど、どうせフランカにとってはろくでもないことに違いない。
「それでいったい何をしに来たのです。あなたたちの愛し子様を悲しませる悪女の私に、どのような用があるのでしょう」
彼らも彼らでペトロネラのお願いとやらを聞くのを躊躇しているようだし、文句を言いに来たというのならばもう十分だろう。さっさと帰ればいいのに。
「どうせペトロネラに何か吹き込まれたのでしょうが……私はもう彼女の都合のいいように動く気はありません。あなたたちもそれを積極的に叶える気がないのなら、どうぞお引き取りください」
私はマーディンさんとアップルパイを焼くために、リンゴの皮剥きを再開したいのです。と、フランカは心の中で続けた。
この前初めて知ったのだが、皮を剝いたリンゴは放っておくと茶色く変色してしまうのだ。それを止めるためには塩水につけなくてはいけないらしい。
皮剥きにばかりに集中して塩水の用意を忘れていたフランカは、彼らにさっさと立ち去ってもらって、早急に塩水を作りたいのだ。
塩と水の配分がいまいちよくわからないが、両方とも同じ量を混ぜればいいのだろうか?
目の前の男たちのことなどどうでもいいという態度を隠しもせず、それどころか彼らを見ることもせずに再びリンゴを手に取ったフランカへ、ラウレンス殿下が顔に朱を走らせた。
「本来ならば処刑されるところを私の愛し子に救われたというのに、恩に報いるどころか、命の恩人に対してそのような言いぐさ! やはり何も反省していないのだな!」
フランカの命の恩人はマーディンさんだし、そのマーディンさんと一緒に焼くアップルパイのリンゴの変色を防ぐために塩水を用意することがフランカにとっての最優先事項である。
ペトロネラのことなどどうでもいい。
その信者たちの言うことなど、さらにどうでもいい。
「お前がそのような態度だから、優しいペトロネラの心が休まらず、宝石龍が悲し気に明滅を繰り返す事態になってしまったのだ!」
「ああ、おいたわしや……ペトロネラ様……!」
なんだろうこの芝居がかったやり取りは。
フランカがしらっとした目を向けても、彼らの言葉は止まらない。
「だが私の優しい愛し子は、お前のような悪女のことを可哀想だと慈しむ。お前が独りぼっちで寂しいだろうと思えば思うほど胸が痛み、幸せな気持ちになれぬと言う」
ペトロネラの顔でも思い出しているのか、彼らはそろって沈黙し、うっとりと目を伏せた。
そしてラウレンス殿下が「だから、」と続けた。
「ペトロネラはお前に相手を見つける私に願った。宝石龍の愛し子であり妹でもあるペトロネラを苛め抜くお前のような女でも、男に愛されれば優しい女に変わるだろう……と、な」
なんと優しいのか! と、殿下の取り巻きたちがこの場にいないペトロネラを褒めそやす。
そんな取り巻き三人による愛し子様賛歌が耳鳴りのように響く頭で、フランカはラウレンス殿下の言った言葉の意味を理解して卒倒しそうになった。
ペトロネラに言われて、彼らはフランカへ男をあてがおうとしている。
「お前のような女を愛する男はいないだろうと思ったが、ちょうど宰相の分家にぴったりの男がいる。愛した庶民の女が自分以外の目にさらされるのを厭い、大事に地下に閉じ込めて世話をしていた男爵位の三男だ。愛が重くて女の方は壊れてしまったが……」
冷たい水色の視線を向けて、ラウレンス殿下が微笑んだ。
「庶民女は黒髪黒目だった。私は陰気すぎて趣味ではないが、あの男はそれがことのほか好きなんだそうだ。だからきっと、お前のような女でも死ぬまで愛してくれるだろう」
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