第18話 何も心に響かない

 「もっと弱っているかと思ったが、ずいぶんと元気そうだ」


 突然声をかけられて、フランカは思わずナイフを持つ手に力を入れてしまった。

 刃は皮の上を勢いよく滑って、リンゴを持った左手の親指をざっくりと傷つける。リンゴの赤より明るい色の血がじわりと滲んだ。


 その痛みよりも、いるはずがない人の声に驚いて、フランカは肩をすくめたまま扉の方へ顔を向けた。


 「ラウレンス殿下……なぜここに」


 王族の顔を見た条件反射で立ち上がりそうになって、フランカは握りしめたままだったナイフとリンゴの重たさにふと我に返った。


 「物資を切り詰めたというのに、まだ生きているとは。いったい誰をたぶらかしたのやら……」


 側近を三人従えてこちらを見てくるラウレンス殿下の表情は、フランカをこの塔に押し込める時にこちらを見てきた時と全く同じ冷たさだった。


 フランカの健在をいとう殿下の発言に、もしかしたら少し前の自分であったら傷ついたかもしれない。

 だけど今は心に何も響かなかった。


 彼らはペトロネラのためにと暴走して、食事や水や暖を取るための薪を断ち、冷たくて不衛生なこの塔にフランカを閉じ込めた。

 生きるために必要最低限の物すら奪われたけれど、今はマーディンさんからそれ以上のものを与えられている。


 宝石龍の中身を育てるためだけにフランカを生かすペトロネラや、衰弱死を狙う殿下たちよりも悪魔のほうが優しいだなんて、なんという皮肉だろうか。

 それがフランカの魂を得るために必要な行為なのだとしても、マーディンさんが喜ぶならば魂などいくらも惜しくない。


 リンゴとナイフをサイドテーブルに置いた。

 親指の腹で大きくなる血の玉を、マーディンさんが当たり前のように用意してくれていた清潔な白い布でぬぐって、傷を上から圧迫する。


 ソファに座ったまま些細な傷の止血を優先させるフランカを咎めるように、ラウレンス殿下は一歩大きく足を踏み出し部屋の中に入ってきた。


 それでもフランカは立ち上がることもない。礼もしない。それどころか挨拶だってするのが厭わしかった。


 私は……私から全てを奪い、私の死を望む者に礼儀を尽くしたくない。


 フランカは側近たちと徒党を組んで目の前にそびえ立つ殿下に視線を向けた。


 これが選択することなのだと思った。

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