第17話 悪魔とのほのぼのとした約束のために
朝市で朝食をとって帰ってきたばかりだが、マーディンさんが「買い忘れた物がある」と言ってベランダの鉄格子をくにゃっと曲げて飛んでいった。
三ヶ月の間、毎日無理やり開閉していたせいで、鉄の棒が伸びきった毛糸のようにも見える。
フランカはマーディンさんを見送ってから、暖炉の前のソファに座ってリンゴの皮を剥き始めた。
暖炉はあの日にマーディンさんが火をいれてから、一秒たりとも絶えることなく室内を温め続けている。いわく、魔法の炎なのでいたずら好きの暖炉の妖精が〝目覚めぬ夢の罠〟を仕掛けることもできないのだという。
やはり悪魔のほうが妖精よりも強いのだろうか。
マーディンさんがどこかから持ってきたソファに並んで座って、魔法の炎を見ながらおしゃべりをする時間は、フランカにとって今まで生きてきた中で最も心安らぐ時間だった。
今日はマーディンさんと一緒にアップルパイを焼く約束をしていて、朝市で大量にリンゴを買ってきた。
買い忘れを買いに出かけたマーディンさんが戻ってくるまでに、サイドテーブルの上の籠に山盛りになったリンゴの皮を剥き終えたいが、張り切って買い過ぎてしまったから無理かもしれない。
一週間前に初めて皮剥きに挑戦した時のリンゴは、実よりも皮のほうが分厚く剥けてしまったし、切り口はガタガタして散々な有り様だった。
だけどマーディンさんは「おいしいよ!」と言ってくれた。
剥く時に力入れ過ぎて茶色く変色してしまったリンゴは見た目も悪く、手に持ちすぎたせいでぬるくておいしくなかったはずなのに。
そんな腕前のフランカに対して、マーディンさんのナイフさばきは見惚れるほどだった。
あの長くて綺麗な空色の爪で、どうしてあんなに上手にナイフを扱えるのだろう。
フランカの剥いたもののようにブツブツと途切れることもなく、螺旋状に繋がって剥けたリンゴの皮は、どこか芸術品のように美しかった。
今度こそあの綺麗な皮を作るのだ! と、もはや食べるためではなく剥くためにリンゴを手に取って、フランカは肩に力を入れた。
「リンゴを回す……リンゴを回す……」とマーディンさんのアドバイスを呪文のように唱えつつ、ナイフの刃をリンゴのヘタの部分にそっと当てた。
リンゴの色は赤だけだと思っていたのに、お尻の部分は赤以外の色彩が豊かだった。
ツヤツヤした外見から勝手に陶器の手触りを想像していた皮は、実はちょっとベタっとしていて、それなのに茶色い小さな点々のせいでザラつきもある。
胴体以上に剥きにくいお尻部分に、リンゴの形の複雑さを実感したりだとか。
そんな小さな発見の連続を経て、ようやく最後まで皮を剥き終える。
最初にマーディンさんに教わりながら剥いた時には、初めて刃物を扱う緊張でリンゴのそんな小さな特徴に全然気付かなかった。だから今はちょっと余裕ができてきたのかもしない。
二つ目を手にしてじっくり観察すれば、一個目に剥いたリンゴとは色と形が全く違う。
リンゴにも個性があるのだと、味だけではない違いに愛おしさが湧いた。
足元に置いた屑籠に、ドサッ……ドサッドサッ……と、果物の皮にしては重たい音が途切れながら落ちていく。
さっきと同じように分厚く剥けてしまった皮に、一回で完璧に仕上げられないこともあっていいのだとフランカは笑った。
それまで〝じゃないほう〟なのだから、せめて仕事は一度で完璧に仕上げられるようになれ、と言われてきた。
ただでさえペトロネラをいじめるとして評判が悪いのだから、宝石龍の愛し子ではなかったと確定した時に、それくらいできなければもっと立場が悪くなるぞ……と。
二つ目を剥き終わり、一つ目のリンゴの横に置く。
大皿の上に二つ並んだ歪なリンゴは、それでも二個目のほうが皮を剥く前の形に近いような気がする。
マーディンさんが返ってくるまでには、きっともう少しうまくなっていると思う。
そうしたらあの空色の爪で優しく頬を突いて、「やるじゃんフランカ!」と褒めてくれるかもしれない。
頑張るぞ。と、もう一度気合を入れる。
相変わらず肩の力が抜けず、真剣にリンゴと向き合ってちょっと前かがみになって集中してたから、フランカは気がつかなかったのだ。
フランカを観察する、王太子殿下の存在に。
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