第16話 悪いのはぜーんぶ、(side:ペトロネラ)
ババアは口うるさいし、その隣のジジイは「愛し子のためにこれだけやってやった」と恩着せがましい。ついでにペトロネラの家族だからと特別に招待された両親が、ジジイとババアにへらへらゴマをすってるのは見ているだけでムカつくし。
苛立ちだけが積もっていくまずい晩餐を終え、ペトロネラは自室に帰ってくるなり花瓶を床に叩き落した。
ジジイが「これは三代目の国王が窯を開かせた陶器がどうの」と、これも恩着せがましく講釈を垂れて寄越した青磁の花瓶。青いのか茶色いのかわからないぼんやりした色で、なんかヒビだらけだし、地味で退屈な代物だ。
形も歪んでいるし、どんな花を活けても暗くて部屋の雰囲気が沈む。
楚々とした雰囲気が美しいとか、貴族が訪問のたびにうっとりしたような目で褒めるけど意味がわからない。
なによ、
ヒビが入ってるのがなんで美しくて高いのよ。ただの傷物じゃない。
それなりに価値はあるみたいだけど、見れば見るほど地味。
塔に押し込めたどこかの誰かを連想させて不愉快だった。
青磁の花瓶は水を撒き散らして割れ、活けたピンクのバラも落下の衝撃で花弁を散らす。
水に濡れた花びらのぬめったように血色の良いピンク色が、背中を鞭打った実家のメイドの傷跡と色がそっくりだ。
ペトロネラのドレスにシワをつけた、あのメイド。
感情のままに鞭打ってから、しまったと思った。
あとから「お姉さまに命じられて仕方なく……」と泣いみせたらころっと騙されて、「ペトロネラ様は悪くありません」なんて言ってたけど。ともかく使えない使用人だった。
怪我が原因で死んだらしい。どうせ死ぬならもっといっぱい打っておけばよかった。
腹立ちが治まらずにバラの花を踏み潰していると、花瓶が割れる音を聞いて慌てて駆けつけた騎士とラウレンスがペトロネラの足元を見てぎょっとしたように目を見開いた。
「国宝の花瓶が……」
「ひどいわ! 殿下はペトロネラより花瓶のほうが大事なんですね……っ」
間髪入れずによろめいて声を上げる。
自分が割ったし、怪我もない。だけど自分より先に気づかわれた花瓶に腹が立ち、ペトロネラはしゃがみこんで顔を覆い、さめざめと泣いてみせた。
何より一番優先させるべきは、愛し子様であるこのペトロネラでしょ?
そんなこともわからないなんて、使えない婚約者。
「いや、そんなことはないよ。私の愛し子……怪我はないかい?」
ドレスの裾を踏まないように近づいてきたラウレンスにしがみついて、ペトロネラは自分がいかに不幸か訴えた。
ちょっとお買い物しただけで「無駄遣い」と咎める王妃様が怖い。
なんでもかんでも「愛し子のために」と言う陛下の言葉がつらい。
パパとママがペトロネラのことをほっといて、陛下と王妃様にばっかりかまうのが寂しい。
センスのない侍女のせいで、みんなに一番かわいいペトロネラを見せてあげられなかったけど、我慢した。
しかもラウレンス殿下がペトロネラより花瓶の心配をした。愛されてなくて悲しい。
「どうしてペトロネラばっかりが我慢しなくちゃいけないの?」
オレンジ色の瞳を潤ませて見上げれば、ラウレンスが「そんなにつらい思いをしていたなんて知らなかったよ……まさかそれが、宝石龍が明滅している理由かい?」と抱きしめてきた。
察しの悪い男ね。そうだって言ってるじゃない。
だからペトロネラは全然悪くないってこと、わかるでしょう?
「父上と母上にも注意するし、侍女のことも相談しよう」
ラウレンスの言葉に、ペトロネラはほんの少し満足して彼の胸に顔をうずめた。
そうよ。全部、全部、ぜーんぶ、至らない周りが悪いのよ。
ペトロネラが幸せだけを感じて生きていけるようにしない、あんたたちが悪い。
「ありがとうラウレンスさま! でも、でも……」
でもそれよりもっと悪いのは――
「ペトロネラがこんなに不幸せなのは、やっぱりお姉さまのせいかもしれないわ。お姉さまが一人ぼっちで泣いていないか心配なの。愛を見つけてほしいけど、独りじゃきっと無理よね……ペトロネラ、無茶なこと言った自分が恥ずかしくて怖くて……だから……」
地味で暗くてさえないあの女は、頭は良かった。ペトロネラが何日もかかってやっと達成できるような難問を、なんでもない顔をして半日でこなしてしまう。
一人で何でもできるような顔をしたあの地味女は、でも、ああ見えて寂しがりやなのだ。笑っちゃう。
この三ヶ月、宝石龍がこっちを向いて明滅しているのもどうせボッチがさみしいとか、つらいとか、そういう程度の低い理由かもしれないとふと思った。
「だから、お姉さまに愛を与えられる人をサプライズで与えてあげたらどうかしらって。お姉さまもきっと反省しただろうし、その隣で支えてくれる男の人がいるなら安心よね!」
ラウレンスにこう言えば、きっと何人か男を見繕って北の塔に送り込んでくれるだろう。
あの地味女の周りに人はいなかった。ペトロネラが排除していたからだ。
同情か憐憫かは知らないが、フランカに寄っていく人間もごくたまにいた。でもそういう見る目のないやからは全部ペトロネラが追い払っていた。
だってこんなにかわいいペトロネラがいるのに、どうしてあんな地味女の側に行きたがるのかわからない。
ペトロネラを一番に考えない人間なんか、存在意義なんてないも同然でしょ?
ラウレンスが送り込む者がどんなものかは知らないが、それがもしも悪魔のような男だって、孤独なあの女はありがたがって受け入れるだろう。
そしてきっと、そんな男でもべったり依存して幸せを感じるに違いない。
だってフランカはペトロネラと違って人望がなく、惨めで、地味でみっともない女なのだから。
「なんて慈悲深いんだろうね、ペトロネラは」と、ラウレンスが微笑んだ。
そうでしょ。と、ペトロネラも同じように微笑んだ。
潰れたバラの花から滲み出た汁で靴底が滑るのが、たまらなく不愉快だった。
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