第7話 一緒にいてほしい

 ところで……と、ベッドの横に丸椅子を引きずってきて座ったマーディンさんが、「なんで死にかけてたん?」と首を傾げた。


 「宝石龍の愛し子をこんなとこに閉じ込めて凍えさすなんて、この国の人間たちは宝石龍の鉱山はいらないってわけ?」


 フランカには優しかった赤い目が、険しく尖る。なぜかフランカが叱られたような気になって、しゅんとうなだれてから、それに気がついた。


 マーディンさんという悪魔は、フランカのことを「宝石龍の愛し子」と言ったのだ。


 「私が愛し子だと、なぜ……」


 「え、もしかしてこの国の人間ってそれからまずわかってない? ンなことある? 星が盛大に降ったっしょ、フランカんちの真上に」


 顕現した宝石龍と同じ金色の流星群がクラーセン家の真上に途切れることなく振り続けた光景は、十八年経ってもまるで昨日見た光景のように話す人がいる。それほど目立つものだった。


 もちろんフランカは赤ん坊だったから、直接見たわけではない。

 だけど黒髪のフランカに対して、根元の毛のピンク色が毛先に向かって金のグラデーションに光るペトロネラの髪を、「あの時の黄金の流星群のように美しい」と褒める人が必ず現れるから、よく知っていた。


 「流星のお告げがあった夜、クラーセン家には私以外にペトロネラという赤ん坊が……」


 首を傾げるマーディンさんに、流星の降り始めとペトロネラが来たタイミングが重なったことから、先日の宝石龍顕現までの事情をフランカはなるべく感情を含まないように説明する。


 「……ですので、人々はペトロネラを宝石龍の愛し子と思っているのです」


 うん、うん。と、マーディンさんは悪魔とは思えぬほど穏やかにフランカの話に相槌を打っていたけれど、終盤になって金の髪をかき上げると「あー、そういう女いるよねぇ」と嫌そうに顔をしかめた。


 「ペトロネラってのが愛し子に成りすましたのはわかった。――成りすましがすんなり成功した理由もなんとなーく察した。で、フランカはそいつをどうしたい?」


 「わ、私ですか? ペトロネラを?」


 フランカの困惑に、マーディンさんも困惑した表情を返した。


 「そりゃフランカの話をしてるんだから、フランカがどうしたいのか、どう思ってるのか聞くでしょ普通。自分を陥れた元凶に何かしら思うこともあるだろうし……え、待ってまさかそれすら制限されてたとかないよね?」


 「……」


 フランカとペトロネラは愛し子候補として、書類の上では対等な立場だった。


 そしてペトロネラは〝自分が愛し子だったら〟という未来や願望を話しても受け入れられていた。皆が彼女を本命だと見ていたから。

 だけどフランカは許されなかった。


 自分が愛し子であれば……もしかしたら両親に褒めてもらえるかもしれない。そう呟いた五歳のフランカは、顔をしかめたナニーに窘められた。


 お嬢様、そうでなかったときのために知識を身につけるべきです、と。


 それは彼女の心からの親切だったのかもしれない。

 愛し子ではないのに未来を夢見て語る可哀想な子供に対して、将来痛い目を見ないように思いやりのある提案をしただけだったのかもしれない。


 だけどフランカにとってそれは、心を無遠慮に踏みにじられた最初の出来事だった。


 マーディンさんには「どうしたいか」と聞かれたけれど、フランカはいつだってそういう理由で自分のしたいことを口に出せたことがない。

 特にペトロネラに対して何かを言ったが最後、それを聞いた人々はなぜか悪い方に解釈し、ペトロネラを守るためにフランカを排除しようとするから。


 あの日ナニーはフランカへ、二人の愛し子候補の立場の差と、それによってフランカには選択の自由がないことを教えたのだった。


 「私……どうしたいのか、わかりません……」


 したいこと、やりたいこと……自発的な強い思いだけではなくて、ふとした小さな願い事すら口に出したことはなく、叶えられたこともなかったから。

 誰も聞いてくれなかったし、誰も叶えてくれなかったし、叶えようとして頑張るフランカの努力は端から巧妙に殺されてしまっていたから。


 「死にたいとは、思ったことがあるのですが……」


 ペトロネラが愛し子に成りすまし、フランカの尊厳を踏み荒らした夜のことを思い出して言う。ただそれも道具や手段がなくて叶わなかった。


 「は? なんでフランカが死ぬ必要があんの。マジで成りすましをこの国ごと消し炭にしたほうがいいんじゃね?」


 物騒な言葉が真横から聞こえて、フランカは思わずまじまじとマーディンさんの顔を見てしまった。


 綺麗な弓型の眉が限界まで寄っている。

 怒気なのか、殺気なのか……重たい気配が伝わって、今彼は自分のために怒ってくれているのだということがよくわかった。だからフランカは思わず嬉しくなってしまった。


 同時に、簡単に国の消滅を口にするこの人は、やはり悪魔なのだなと思った。


 だけどやっぱりなぜか怖くはなかったから、思わず言ってしまった。


 「国を消し炭にするより……私は、マーディンさんに一緒にいてほしいです」


 マーディンさんの背中でコウモリのような羽が動いた。

 フランカが座っているほうの羽だけがぱっと広がったから、フランカの肩を抱こうとしたのだろう。


 羽は優しく伸ばされて、だけど「あ!」という顔とともにそろそろと引っ込められていく。


 だから最初は恐ろしかったその羽も、こめかみから生えた金の角も、こちらを見てくる赤い目も、今は全く怖くなかった。

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