第6話 金色の悪魔
頬に温かさを感じて目が覚めた。
意識は覚醒したけれど目は閉じたまま、ふわふわした心地よい暖かさに身をゆだねる。
遠くでパチッと何かが爆ぜる音がした。たぶん暖炉の薪だろう。
木を燻すような匂いが微かに鼻に届き、暖かさの正体を知って少しだけ幸せな気分になった。
まだ空腹は感じているが、体が温かいというだけで体力が戻ってきているのを感じた。
底をつきかけていた気力も戻ってきているようだ。
あの凍えた部屋を、誰かが――暖めて……くれる人がいる、わけがない。
目を閉じる寸前に感じた孤独と寒さを思い出し、フランカはバチッと音が出そうなくらい勢いよく目を開けた。
最後に目を閉じた時と同じアングルだ。ベッドに寝ていたことがわかったフランカは、部屋の薄暗さに瞬きをして、もう一度しっかりと目を開いた。
視界に飛び込んできたのは誰かの足だった。
粗末な木の丸椅子に座り、足を組んでいる。見たことがない素材で出来た靴のつま先が揺れていた。
「起きた?」
かけられた声はおっとりと優しかった。
フランカは上半身を起こし、その声を追いかけて視線を上げた。
藍色と紫色の中間くらいの色で塗りつぶされた薄暗がりの中で、丸椅子に座った男がこちらを見ている。彼の肩越しに暖炉の炎が揺らめいていて、そこだけすごく眩しかった。
「具合はどう?」
男性が首を傾げると、ハーフアップにまとめられた金髪が軽やかに揺れた。
暖炉の炎で逆光気味でもわかるくらいに男の顔は美しいけれど、それ以上に恐ろしかった。
椅子から立ち上がってこちらに一歩足を踏み出した男の背中に、コウモリのような暗く赤い色の羽が生えていたからだ。
左右のこめかみからは、髪より少し赤みの強い金色の大きな巻き角が生えている。羽も被膜を動かすための骨の部分は金だった。
目を見開いて言葉に詰まったフランカの顔を覗き込む男の瞳は血のように赤く、縦に裂けた瞳孔の奥は真っ黒で光がない。
「……っ」
聖書にある悪魔そのものの姿に、フランカは恐ろしくなって目を閉じた。と同時に、こんなにも優しい声で人間の体調を心配する悪魔がいるのだろうかと、暗くなった視界の中で思った。
ゆっくりと目を開くと、困ったような表情で立ち尽くす悪魔と再度目が合う。
「オレのこと怖い? ……ま、そうだよねぇ、人間とはちょっと形が違うもんね」
悪魔は金の角を触りながらそういうと、羽をきゅっと背中に引き寄せた。おそらくフランカから羽が見えないようにしてくれたのだろう。
「もうちょっと宝石龍に力が溜まってたら、見た目をどうにかすることもできるんだよ? そしたらほんとはもっと早く来ることもできたんだけど……」
肩甲骨のあたりから腰まである羽を角度を調節してどうにか背中に隠そうとしながら、悪魔は小声で言って眉をひそめた。
「名前を聞いてもいい?」
悪魔へ名を明かすことに、少しだけ躊躇した。
だけどその異形の姿に怯えたフランカのため、四苦八苦しながら羽を隠してくれた悪魔の優しさに、フランカは自分の名前を教えてもいいかと思ってしまった。
だって久しぶりの気づかいだったから。
それが悪魔のやり口だったとしても、フランカはそれでもいいと思うくらい、じんとしてしまったのだ。
だから素直に名前を告げると、悪魔はパッと表情を明るくしてフランカの名前を繰り返した。
「オレはマーディンっていうの」
悪魔が自ら名を告げたことにびっくりしながらも、フランカはうなずいて少しだけ咳払いをした。そして恐る恐る口を開く。
「ま、マーディン様」
「うん。でも様はいらないよ」
「……で、では、マーディンさん?」
「ありがと。でも、さん付けもちょっとこそばゆいかな」
フランカの呼びかけに、悪魔は嬉しそうに応えた。
背中の羽が広がりそうになったのか、慌てて翼手を縮こまらせる悪魔の存外かわいらしい姿に、フランカは思わず笑みを浮かべた。
「……マーディンさん」
「あ、さん付けにはこだわるんだ? オッケー。そーだよ、マーディンさんだよ」
何よりも、久しぶりに悪意の欠片もない会話をしたことで、心が軽くなったような気がしていた。
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