第3話 お姉さま、愛を感じて!

 王城内にある北の塔は、貴人の犯罪者を幽閉するためにある。

 王都の大聖堂よりも高い建物の一番上の部屋は、凍てつきそうなほど寒かった。


 夜会用のドレスから粗末な部屋着に着替えさせられたフランカの吐く息は薄く、白い。


 「お姉さまには……更生して、愛を見つけて生きてほしい」


 豪雪ウサギの白い毛皮のケープと手袋に包まれたペトロネラはそう言って、大きなオレンジ色の瞳を潤ませた。フランカが吐く息よりも白さが濃く見えるのは、きっと身内が温かいからだろう。


 「この女は、君の健気な思いを受け取るに値する人間ではない。宝石龍の愛し子を虐待するなど許されないことだ」


 ふわふわと揺れるペトロネラの髪にキスをしながら、ラウレンス殿下はその冷たい水色の瞳でフランカを睨みつけた。


「でも……血が繋がっていないペトロネラを愛してくれるパパとママは、お姉さまが死んでしまったらきっと悲しむわ。だから両親のためにも、姉さまには生きていてほしいの。今は、その……混乱して、みんなの愛がわからなくなっているだけ」


 胸の前でふかふかの白い毛皮に包まれた両手をぎゅっと組んで、ペトロネラはつらそうに目を伏せた。


 フランカは寒さで青くなった頰を強張らせ、そうね……と、声にならない声を出した。二人にはきっと聞こえなかっただろう。


 あなたは私の両親をまるで血の繋がった本当の親のように言って、二人はそれをいつも嬉しそうに受け入れるの。


 あなただけを、受け入れるのよ。


 ……それがどんなに私にとって悲しいことか、知らないわけもないでしょうに。


 まるでフランカのほうが最初に家族の愛を拒絶したかのように言って、それを聞いた誰かの同情を引く。そしていつだってフランカが悪者になるのだ。


 ペトロネラは、フランカの祖父の再婚相手の連れ子が平民と駆け落ちしてできた子供だ。父の義妹の娘である。

 ペトロネラが産まれた直後に二人は事故死し、ペトロネラはクラーセン家に引き取られた。


 引き取られた先の家族に愛を求め、打ち解ける努力をする健気なペトロネラ。

 そんな少女を虐げる、意地悪で出来の悪い姉、フランカ。


 そう見られるように仕向けて、家族の愛の輪からフランカを弾き出したのはそちらが先だというのに。


 「ペトロネラが宝石龍の愛し子だってわかっても、パパとママは私たちへの態度を変えなかったでしょう? 愛は平等に分け与えられていたのに……」


 ペトロネラは瞳を潤ませた。

 オレンジ色の瞳は、まるで砕いた星を散りばめたようにキラキラと輝く。人々はその瞳の輝きを、お告げの星のようだと讃えていた。


 宝石龍の愛し子がその家にいるという神のお告げは、その家の敷地内にだけ降り注ぐ流れ星で示される。


 孤児みなしごとなったペトロネラを抱いたシスターがクラーセン家の玄関に足を踏み入れた瞬間、雨が降っていた夜空はサッと晴れ、金色の流れ星がクラーセン家の屋根に降り注いだ。


 クラーセン家にはペトロネラが引き取られる数ヶ月前に生まれたフランカがいたけれど、誰もが、両親ですらペトロネラのほうが愛し子だと思った。あまりにタイミングが良すぎたのだ。

 だから両親にとってはそれから今までずっと宝石龍の愛し子はペトロネラで、フランカはいつも宝石龍の愛し子そう〝じゃないほう〟だった。


 両親の愛は確かに変わらなかったけれど、それは最初からペトロネラだけが愛されていたからだ。


 「ペトロネラの宝石龍だって、見て……お姉さまが愛を拒絶するから、ペトロネラは悲しくて……すごく寂しそうでしょう?」


 過去に宝石龍が顕現した国が他にもあるから、愛し子が幸せであればあるほど宝石龍の鉱石の量と質が上昇することを世界中の人間が知っている。


 だからたとえ本命はペトロネラだろうと思っていても、どちらが愛し子かわかるまでは、皆がフランカにも愛し子候補としてそれなりの敬意をもって接していた。

 

 だが夜会の最中に雪しかない北の平野に黄金の宝石龍が顕現し、それをペトロネラが「ペトロネラの宝石龍がやっと来てくれたわ!」と叫んだ瞬間に、皆がフランカを切り捨てた。


 誰もがペトロネラの言葉を信じ、彼女がその場で涙ながらに語った〝フランカによるペトロネラへの虐待〟を糾弾し始めた。

 陛下は「殺せばいい」とすら言ったのだ。


 愛し子がフランカのせいで不快な思いをしているということだけが重要で、その話が真実かどうかは人々にとってどうでもよかったのだろう。


 「愛を感じてほしいのよ、お姉さま……そうすればきっと人生が豊かになるって、ペトロネラは信じてる!」


 また適当なことを言っている。と、フランカは思った。


 ペトロネラの言葉は、周りから見て〝無慈悲で冷淡なフランカ〟に対して、〝無邪気で慈愛深いペトロネラ〟に見られるよう調整された言葉であって、胸を打つような熱さも、人を心配する時の真剣さもない。

 だけど毒はある。


 「お姉さま!」と、ペトロネラはもどかしそうに叫んだ。

 そして毛皮のブーツを軽やかにひるがえし、青白くひび割れた唇を固く結んでいたフランカを抱きしめた。


 「……宝石龍がいるからってろくな政策もなしに散財するこの国の王族は、みぃーんなぼんくらばっかり。だから宝石龍の鉱山がないと、将来この国のみんなは飢えて死ぬってわかるよね?」


 突然のペトロネラの行動に、ラウレンス殿下が目を見開いている。その彼には絶対に聞こえないような小声で、ペトロネラが囁く。


 「あんたが死ぬと宝石龍まで死ぬ……みんなを飢え死にさせたくないわよね? 勝手に死んだら、あんた人殺しになるんだよ?」


 ペトロネラは薔薇色の小さな唇を、フランカの冷え切った耳に寄せて続けた。


 「言っとくけど、ほんとの愛し子はあたしでーす! とか言っても誰もあんたの言葉に耳を貸さないから。だってペトロネラはお姉さまみたいな酷い女を心配する優しい愛し子さまで、」


 フランカは思わず顎を引いて妹を見た。


 「あんたは悪役」


 「ペトロネラ……あなた……」


 もしかしたらペトロネラ自身も勘違いしているのかもしれないと、ほんの少しだけ信じていた。だけどやはり知っていたのだ、ペトロネラは。


 本物の宝石龍の愛し子はフランカであることを。


 「ま、ペトロネラは自分が生きてる間だけ贅沢できてちやほやされればいいの。ペトロネラが死んだ後の鉱山の出来なんかどうでもいいけど、あんたはペトロネラの許可なく勝手に死なないで。迷惑だから」


 オレンジ色の潤んだ瞳に、黒い目を見開いて驚くフランカの顔が歪んで映っていた。


 「ペトロネラ?」


 ラウレンス殿下のいぶかしげな呼びかけに、「最後の挨拶をしていたんです、お姉さまに……」と、しおらしくうなだれてペトロネラが彼の腕の中に戻っていく。


 「お姉さま、愛を見つけてください。たとえばお姉さまが見下してた平民たちを愛してみて! じゃないとペトロネラはお姉さまが心配で、全然幸せじゃないわ。宝石龍もかわいそう!」


 ラウレンス殿下に抱き着いてこちらを見たペトロネラは、笑顔だった。


 けれど、

 ――宝石龍がしょぼいのは、私を心配させるあんたが悪いんだってみんな思うでしょうね。

 と、そんなふうに腹の中で笑っているのが透けて見えるような、そんな醜悪な笑顔だった。

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