第11話 罪悪感
エリスがヴィスタリアに輿入れしてから、一ヶ月が過ぎたある日の午後。
軍の定例会議を終えたアレクシスは、執務室にてセドリックと共に書類仕事をこなしていた。
アレクシスは二十二歳の若さでありながら、帝国軍を
帝国軍は大きく陸軍と海軍の二つに分かれ、更に軍令組織と軍政組織に分かれ……とピラミッド構造になっているのだが、その全てを束ねる重要な立場だ。
「海軍の来期の予算案、数字が大きいな。これではクロヴィス兄上は納得せんぞ。組み直して再提出させろ」
「承知しました。念のため
「新しい兵器の開発はどうなっている。進捗報告の期日はとっくに過ぎていると、技術本部に伝えておけ」
「はい、
アレクシスは淡々と書類に目を通し、可否の判断を下していく。
気になる箇所が少しでもあれば差し戻しだ。
そうして一時間が過ぎたころだ。
三人の側近を引き連れて、第二皇子クロヴィスがやってきた。
約束もしていない突然の兄の訪問に、アレクシスはあからさまに不機嫌な顔を向ける。
「何の用です。俺は忙しいのですが」
「つれないな。まぁいい。手短に話そう」
そう言いながらソファに腰を下ろすクロヴィスに、アレクシスは仕方なく仕事の手を止めた。
「――で、話とは」
アレクシスが問うと、クロヴィスはスッと目を細める。
「お前、初夜以降一度も妃の元を訪れていないそうじゃないか。エリス妃はこの一ヵ月ですっかり侍女たちの信頼を勝ち得たというのに、お前がそんなことでどうするんだい」
その内容に、アレクシスは瞼をピクリと震わせた。
確かにクロヴィスの言う通り、エリスの評判はエメラルド宮の使用人から報告が上がってきている。
相手が誰であろうと優しく接し、誠実で穏やかな性格。驕り高ぶるようなところはない。
下働きのメイドがうっかり花瓶を割ってしまったときも、エリスは真っ先にメイドに怪我がないかを心配したと聞いている。
どうやら、彼女は俺の知る女たちとは少し違うらしい。
アレクシスはここ最近ようやくそんな風に思い始めていたが、けれど結局、初夜以降一度もエリスの元を訪れていなかった。
初夜の罪悪感が邪魔をするからか、アレクシスは結婚前と同じく、皇子宮にて寝食をしているのだ。
「兄上には関係のないことでしょう」
不愛想に突っぱねるアレクシスに、クロヴィスは困った顔をする。
「彼女は噂とは随分違う女性だと聞いているが……。女嫌いもほどほどにしないと、
「俺の評判など元からよくないでしょう。言いたい奴には言わせておけばいい」
「私はお前を心配しているんだよ。お前が初夜以降一度もエリス妃に会いに行っていないことは、既に宮廷内に広まっている。これ幸いと、娘をお前の妃にしようと考える家臣が出てもおかしくない」
「……は?」
「皆まで言わねばわからんか? 今までは皇子妃は王族であると慣習で決まっていた。だが、今回陛下がそれを覆してしまった。皇子妃は王族でなくてもよいのだ、とな。となると、帝国貴族たちはこぞって娘を我らの妃に据えようとするだろう。お前がエリス妃と不仲となれば尚更だ」
「…………」
クロヴィスはそこまで言うと、ソファから立ち上がりアレクシスに一通の封筒を差し出した。
「これは?」
「我が妹、
「…………」
しぶしぶ受け取るアレクシスに、クロヴィスは「頼んだよ」と言い残して去っていく。
アレクシスはその背中を見送って、大きく溜め息をついた。
アレクシスは、この一ヵ月のエリスの行動について考える。
セドリックの報告によると、エリスはこの一月、エメラルド宮で淡々と毎日を過ごしているという。
侍女や下働きの者に当たったり、我が儘を言うようなことはない。宮内府から支給された予算に手を付けることもなく、侍女たちと本を読んだり刺繍をしたり、花を愛でて過ごしているのだと。
最初はエリスによそよそしい態度を見せていたエメラルド宮の者たちも、今ではすっかりエリスに懐いてしまった。
最近は自ら厨房に入り、祖国の料理を作っては使用人に振る舞っていると聞く。
(普通、するか? 公爵令嬢が料理など……)
アレクシスはこの報告を受けたとき、セドリックから「注意した方がよいのでは?」と進言された。
けれどアレクシスは、この調査が内々のものであることを理由に静観することに決めた。
「宮の外に漏れなければ問題ない。好きにさせろ」と。
それはアレクシスなりの罪滅ぼしのつもりだった。
初夜でエリスを手荒に扱ってしまったことに対する罪悪感。それが、アレクシスの心を普段より寛容にさせていた。
(いくら彼女が俺の探している「エリス」と別人だったとはいえ、俺のしたことは到底許されることではない)
アレクシスはクロヴィスから受け取った封筒を見つめ、セドリックに命じる。
「今夜、妃と夕食を共にする。宮に使いを出しておけ」
その言葉に、セドリックはこれでもかと両目を見開く。
けれどすぐに我に返り、「承知しました」と答えると、急いで部屋を出て行った。
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