第12話 アレクシスの来訪
それはエリスが庭園の手入れをしているときのことだった。
「エリス様、大変です! 殿下が本日夕食を共にされると、たった今使いが来て……!」
――と、侍女が血相を変えて、アレクシスの来訪予定を伝えに来たのは。
◇
「本当に殿下はこちらにいらっしゃるのね?」
「はい、間違いありません」
「……そう」
侍女から話を聞いたエリスは、急いで私室に戻り身支度を整え始める。
その心に、強い不安を抱きながら――。
エリスはこの一ヵ月ですっかりエメラルド宮に馴染んでいた。
最初はどこかよそよそしく感じていた侍女たちの態度も、実際に話してみると、実は自分を心配してくれてのことだったとわかった。
アレクシスが女性に冷たいことは、王宮内では有名な話。
そんなアレクシスの妻になるなんて不憫だ。どうにかお支えしなくては――と。
そもそも、この帝国では成人した皇子に宮殿を与える習わしがある。
第一皇子にはルビー宮、第二皇子にはサファイア宮、そして、第三皇子のアレクシスにはエメラルド宮を。
それらの宮殿には皇子が使う謁見室や執務室、複数の妃たちを住まわせる為のいくつかの棟やホールがあり、妃たちが何不自由なく暮らせるように設備が整えられている。
だが、アレクシスはいつまでたっても妻を娶ろうとしない。
それどころかアレクシス本人も殆どここを訪れることなく、アレクシスが十八で成人してから約四年もの間、実質
そんな状況でも、使用人たちはいつでも皇子妃を迎え入れることができるよう宮の管理を続けてきた。
それなのにアレクシスは、昨年五度目の婚約が破断になった際に、宮を返還する意思を示したのだ。
だがもし本当にそんなことになれば、ここで働く者たちは全員職を失うことになる。
だから侍女たちは、初めての妃を大切にしなければと、エリスに粗相をするようなことがあってはならないと気を遣っていたのだ。
そんな背景と、エリスの優しく穏やかな性格のためか、エリスは気付けばエメラルド宮に溶け込んでいた。
アレクシスがこの一ヵ月、一度も宮を訪れなかったことも、エリスと使用人の距離を縮めた大きな要因だろう。
ともかく、エリスにとってこの一ヵ月は夢のような毎日だった。
祖国で受けた仕打ちの傷はそう簡単に癒えはしないけれど、それでも、親切な使用人たちと心穏やかに過ごす日々は、彼女にとってかけがえのない日々だった。
それが今、突如脅かされようとしている。
エリスは今、それほど憂鬱な気分に陥っていた。
「エリス様、顔色が悪いようですが……少し横になられますか?」
先ほどまで庭の手入れをしていたエリスの指先を、桶の水で丁寧に洗いながら、侍女の一人がエリスの顔を覗き込む。
アレクシス来訪の報せを聞いたエリスの顔は青白く、周りの侍女たちを心配させた。
「……ありがとう。でも大丈夫よ」
エリスは、アレクシスの来訪の目的は自分と伽をするためだと考えていた。
初夜からちょうど一ヵ月。このタイミングで訪れるとしたら、それしかない、と。
(女性がお嫌いな殿下にも、後継者は必要だもの)
――本当はすごく怖い。
初めての伽は、痛くて痛くて、声を上げないようにするのに必死だった。
身体の奥を容赦なく突き上げられて、あまりの痛みに何度も意識が飛びかけた。
嫌だ、やめて、触らないで――そう泣き叫びたくなる気持ちを必死に堪え、ただただ時間が過ぎ去るのを待ったのだ。
あのときの様な思いをもう一度するのかと思うと――これから先、子供ができるまであの痛みに耐えなければならないと思うと、エリスは足が竦んで動けなくなりそうだった。
けれど、それが皇子妃としての自分の役目。
アレクシスが自分に唯一求めているものは、子供を産むことなのだろうから。
「……湯浴みの準備をしてちょうだい」
青白い顔で、エリスは侍女たちに指示をする。
すると、侍女たちは顔を見合わせた。
「でも、エリス様。やっと傷が癒えたところなのに……」
「そうですよ。普通に歩けるようになるまで二週間もかかったことをお忘れですか?」
「殿下の伽に応じる必要なんてありません!」
「夕食ごとお断りしたらいいんです! 体調がすぐれないと言えば、殿下だって諦めるほかないと思いますわ!」
「……あなたたち」
自分を庇おうとする侍女たちの姿に、エリスの心が熱くなる。
自分は一人ではないのだ、と。ここには、こんなにも自分に優しくしてくれる人がいる。
ならば、自分もそれに応えなければ――そう思った。
「ありがとう。あなたたちの気持ちはとっても嬉しいわ。でも、お願い。殿下の悪口は言わないで。わたしのためにあなたたちが罰を受けたりしたら、耐えられないもの。――ね?」
「エリス様……」
「それに、ここで殿下の
「…………」
「さあ、わかったら殿下をお出迎えする準備を始めてちょうだい。もうあまり時間がないわ」
「……はい」
こうしてエリスは侍女たちと共に、アレクシスを迎え入れる準備に取り掛かった。
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