月と人間

間灯 海渡

第1話

 旅先の異郷で、チェックインやら何らを全て済ませ、あてもなく宵口の街中をぶらついていると、何やら耳の後ろの方から


 ーードーーン……ドーーン……。


 という、小気味のいい音が響いてきた。花火の音である。望外の、喜びだった。


 どうやらその街で連日やっていた祭りの最終日にあたる今日、フィナーレとして河川敷で花火大会を催す様である。

 私は、その異郷の地の思わぬ歓待に招かれる事にした。


 

 ーー打ち上げ花火を間近で見たのは、もう十数年も前の事で、ここ最近は花火大会が近場であったとしても、私の捻くれ荒みきった心はなんの反応も示さなくなっていたが……こうして全く予期しない時に、しかもここにくるまでにたび重なる疲弊や労苦を味わった今ならば、この胸を打つ音も、また格別違った様に感じられた。

 ずいぶんと調子のいい様に感じられるだろうが、人間案外こんなものなのだ。

 いや、または私の中にまだ花火で喜ぶ様な純真さが残されていたという事も考えられる。それが旅先での高揚感に当てられ、呼び覚まされたのかも知れない。


 ここは県内でも大きな街とはいえ、東京からはずいぶん離れた土地である。

 北陸、日本海側の地であるこの街は、真夏の今でもどこか少し涼しく、冬になればこの商店街も濡れた重い雪で真っ白に染め上がるのだろう。

 まだ空が暗くなってから幾分も経っていないが、私が歩く商店街や小さなオフィスビル群のシャッターは、軒並み閉まっていて、ガラスから伺える室内は闇夜よりも暗い。

 普段ならば、この様な街並みを見ながら歩いていると、寂寥感と焦燥感に駆られるのだが、今日は夜空に瞬く花火があるので、話は変わってくる。

 ここから河川敷には少しある為、花火はまだビルの谷間からときおり殊勝げに顔を覗かせるばかりだが、それでもその色彩鮮やかなな光が、もう寝静まったビルの窓に映り込み、暗いガラスの中を染め上げている。


 商店街を抜け、交差点を渡ると、街の各所から続々と人が現れ、大通りを挟んだ両側の歩道にまばらに列を作っている。

 子供や若い人やカップルはもちろん、歳を召した人など、街を行く人間は十人十色である。

 そしてそれぞれが、白いTシャツだったり、薄桃色の浴衣だったり、金魚が描かれた小さな甚平だったり、品のいいタイシャツだったり、これも十人十色の装いをしている。

 そしてそれらは皆、頭上に段々と姿をあらわにしつつある花火を求めて、河川敷の方まで歩くのだ。

 ーー暗い街並みを抜けて豊かな光の方へ向かう行列を見ると、何やら少しだけ神聖な気分になる。そこはかとない祈りを抱えて皆で歩いている様な……そんな気分になるのである。

 これも旅の感傷だろうか。

 私もその行列に混じり、溶け合いながら光の方を目指す。


 

 河川敷に着くと、そこには多くの人々が、河原のなだらかな草むらに腰を下ろし、上空の花火を見上げている。よく見ると、向こう側の河原にも同じ様に人々が群れをなしている。

 花火はもうビルに阻まれる事なく、夜空に号砲を轟かせながら、赤、青、黄、緑の花を咲かせ、それに皆感嘆と惜しみない賞賛を送っている。


 私も、河原の方まで降りて行き、皆と同じ様に腰を下ろして花火を観ることにした。

 私が腰を下ろした場所の目の前に、ちょうど河川を渡す橋がかかっており、花火はその橋の下から上へ、飛び上がる様に空に打ち上げられていく。

 橋には、まだ河川敷に辿り着いていない人々の行列が、影をなして歩いており、そこに自動車達や、ときおり市バスが、ぼんやりと灯るく走ってくる。

 花火の途切れる合間合間にそれらと、目の前で騒がしく談笑する人々をぼんやり眺めていた。


 すると、ひときわ大きな花火が上がった。黄金の、空に大きな大輪の花を咲かせた後、柳の様に落ちていくやつである。美しかった。

 それに見惚れていた私に、背後から声が掛かった。


 ーー「あぁ! お月様と戦っているよ」


 その声は、私の背後に並んで花火を見ていた親子連れの、小さな男の子が発した声であり、もちろん私に向けられた言葉ではなかった。

 しかし、その言葉には何処か惹きつけられるものがあり、私が真意を探ろうと、夜空に目を向けると、ちょうど花火の上がる橋の真上に、三日月が浮かんでいたのである。まるで夜空を綺麗にその形にくり抜いたかの様な三日月が……。

 そして先ほどまで気が付かなかったが、花火が打ち上がる度にその月に重なる為、まるでこの花火自体が、月に向けて打ち上げるものであるかの様だった。


 真後ろの男の子は、この事を指して言っていたのである。


 ーー「あぁ、また、お月様に負けちゃった。中々勝てないねぇ」


無邪気そうにそう言う男の子に、母親と父親は、穏やかな笑みを返している。

 

 ーー不意にひときわ大きな花火の音が鳴った。心臓を打つ様に連打されるそれは、今夜の終幕の花火であった。


 赤の虹が、青の菫が、緑の幾何学模様が、そして黄の獅子の鬣が次々と夜空に咲き、それらは皆月に覆いかぶさろうとしている。

 しかし、いくらやっても月の輝きは薄れず、打ち上げられ火を散らし煙となって消えていく花火と対象的に、月は何一つ変わる事なく、冷たい輝きを放ちながら空に鎮座している。


 花火が消えた後、より闇を濃くした夜空に浮かんでいたのは、結局ただこの三日月だけであった。

 それに合わせるかの様に……本日は以上となりました。この度は皆様誠に……と言うアナウンスが流れ、それを聞いて、先ほどまで花火に絶対的な賞賛を送っていた人々が、手のひらを返した様に帰っていくのである。


 よく見ると、街の灯りも先ほどより暗くなった様である。

 私は、先ほどの男の子を目で追った。


 男の子は、両親に連れられ帰る途中で、母親に、また今度見られるといいね。と言われると、元気よく


 ーー「うん。いつか、また来ようね」


 と言った。


 

 私は、続々と帰り道を辿り始めた人々に抜かれながら、河川敷から先ほどまで花火を見ていた夜空を見上げた。

 花火などもう、何処にも残っておらず、煙も遠い空に流されていく。


 橋の上の人はずいぶんと減り、市バスは河川敷の遥か向こう側にいって影も形もない。

 その情景を見ていると、この街の夏が急に過ぎ……秋が来て……そして重たい雪を引き連れて冬がやってきた気がした。


 私は、もう一度夜空を見上げた。

 やはり、暗い空には三日月がただ一つ、浮かんでいるだけである。


 私はそれを見て、なんだか、無性に寂しくなったのである。

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