第3話 二十年前のユベルとメイレアの出会い ミツルの両親

 戦場から引き戻された夜、俺は、焼けるような無力感を酒で薄めることしかできなかった。仲間たちが命を賭けて戦う中、俺だけが戦場から遠ざけられ、虚無に包まれる毎日だ。夜の街を彷徨いながら、重い足取りを引きずるように歩いていると、ふいに細い声が暗がりから響いた。その声には、切羽詰まったような震えがあり、無意識に俺の体が反応した。


 駆けつけた先で、数人の男たちに囲まれた少女を見つけた。その瞬間、俺の心の中にある酒の酔いは、一気に吹き飛んだ。衝動的に彼女を引き離し、馴染みの宿へと連れて行った。後になって無謀だったかもしれないと気づいたが、あの時は迷いなど一切なかった。


 宿の薄暗い部屋に入ると、少女は震える手でゆっくりと外套のフードを下ろした。彼女の黒髪が夜の闇と一体となり、薄緑色の瞳が、まるで闇夜の中でほんの少しだけ輝く星のように微かに光っていた。その瞳は、全てを見透かすように静かにこちらを見つめ、俺の心を掴んで離さなかった。


 彼女の唇が、ほんの少しだけ微笑んだ。


「助けていただき、ありがとうございます。あなたがグロンダイル卿ですね?」


 その声は、無邪気で柔らかく、今この状況にそぐわないほどのんびりとしたものだった。俺の名を知っていることに驚きながらも、何かがおかしいと感じた。目の前のこの少女には、明らかに切迫した状況にあるはずの危機感がまるで感じられない。


「お願いがあります。どうかわたくしを連れて、この国を出てください」


 彼女の言葉に、俺の頭の中はさらに混乱した。どうしてこんなに危機感のない少女が夜中に一人でうろついていたのか? しかも、なぜ俺にそんな無茶な頼みごとをするのか。彼女は説明もなく、ただ微笑みながらそのお願いを繰り返すだけだった。


「君は何を言っているんだ? 俺は君を知らないし、どうして俺に頼るのかもわからない。だが、今夜はここに隠れていろ。朝になったら家に送ってやる」


 俺がそう言うと、彼女は小さく首を横に振り、どこか困ったように言った。


「困りました。家には帰れないのです。わたくし、そこから逃げ出してきましたので……」


 彼女の声には、まるで現実感がなく、まるで夢を見ているような不思議な無頓着さが漂っていた。俺は呆れながらも、ため息をつき、さらに問いかけた。


「それにしても、どうして俺のことを知っているんだ? 俺に何の用がある?」


 俺の問いに、彼女はまるで困った様子もなく、のんびりとした口調で答えた。


「それはもちろん、わたくしを連れ出してくださる方が、あなた以外にいないからです」


 その能天気な返事に、俺は思わず眉をひそめた。彼女は本気でそう思っているのだろうか? それとも俺をからかっているだけなのか、全く判断がつかなかった。


「俺は面倒事にかまってる暇はない。他をあたってくれ」


 俺がそう言うと、彼女は一瞬だけ考え込むように目を伏せたが、すぐにその無邪気な微笑みを取り戻し、そっと囁くように言った。


「実はですね、わたくし……大変なことを知ってしまったのです」


 その言葉にも、何の切迫感もなく、どこか他人事のように感じられた。俺は少し苛立ちを覚えながらも、話を続けることにした。


「それはどんなことだ?」


 俺の問いに、彼女は一瞬だけ真剣な表情を見せたが、それもすぐに曖昧なものへと戻り、まるで秘密を打ち明けるように静かに言った。


「グロンダイル卿、もうすぐこの世界に未曾有の厄災が訪れます」


 その言葉には驚かされるべき内容が含まれているはずだったが、彼女の穏やかな語り口のせいで、どこか現実感が失われていた。俺は呆れたように苦笑し、軽く彼女の言葉を流した。


「そんな戯言で家を飛び出してきたのか? 親御さんが心配するのも無理はない」


 俺が軽く笑い飛ばすと、彼女は腕に巻かれた細い腕輪を見せてきた。その腕輪は微かに光を放ち、まるで生きているかのように脈打っていた。


「これは王家に伝わる国の宝です。この腕輪が、全てを教えてくれました……。グロンダイル卿、あなたはこの世界の有り様をどう捉え、どうお考えですか?」


 彼女は信じられないほど平然とした表情でそう告げた。その顔を見ていると、俺は何故だか言葉を失い、ただ黙って彼女を見つめることしかできなかった。この少女は、本当に自分が言っていることを理解しているのか、それともただの能天気なお嬢様なのか――それさえも俺にはわからなかった。

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