第22話

「でも、前橋大尉――いや、少佐の方がずっと素晴らしい方だと思います」


 私はその言葉に無言で頷いた。前橋少佐のことを考えると、確かに彼の正義感と誠実さは際立っていた。そんな彼を思い浮かべると、自然と心が温かくなる。


「ところで、殿下、今日はお伝えしたいことがあって来ました」


 一条の声が再び私を現実に引き戻す。私は姿勢を正し、彼の話を受け入れる準備を整えた。彼の目には何か重要なことを伝えようとする決意が宿っている。


「カーチャさんと槍の師範であるライサさんのことです」


 一条は慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「カーチャさんについてはご存じの通り、私たちが最初に会ったときに聞いた話ですが、彼女はアメリカの有名大学に入学許可を得ていました。しかし、あなたの王国が滅亡したために、留学資金源が断たれてしまい、誰もが羨むような生活をする彼女の夢が消え去ってしまいました」


 その言葉を聞いて、私は胸の奥に重い悲しみが広がるのを感じた。かつての親友であったカーチャが、私たちの国の崩壊によって夢を失ったのだという現実が、私の心に鋭く突き刺さる。しかし、その感情を察したのか、一条はさらに続けた。


「でも、それがあなたへの裏切りの原因では必ずしもなかったんですよ。実は、悲劇が起こる前から、彼女はあなたの王家に対して反感を抱いていたんです。彼女は公爵家の出身で、貴族の中でも最高位に位置していましたから、元々、殿下たち王族に対して敵意を持っていました。実際、王族の隙をついたクーデターの計画なんかは、彼女の父、ひいては祖父の時代から虎視眈々と計画されていたみたいなんです。ですから、1945年の動乱というのは、あくまで長年くすぶっていた彼女たち公爵家の敵意が爆発したきっかけにすぎなくて、殿下への裏切りはあなたのお母様のせいではなかったんです」


 少なくとも、表面的には、私とカーチャは親友だった。王国時代も一緒にお忍びで街に遊びにも行っていたし、日本に亡命してからもずっと助けてくれていた。だから、母様の決断のせいで彼女が狂ってしまったわけではなかったという事実は幾分か私の心の重荷を軽くした。でも同時に、彼女が私に敵意を抱きながら接していたという裏の事実が、私の胸に新たな悲しみを刻んだ。憲兵という膨大な情報を持つ捜査機関の言っていることだからきっと正しいことなのかもしれないけど、それでも私はカーチャを信じたかったし、仮に私が騙されていたにしても、そうしたことは彼女から受けた感謝と引き換えに許してあげたかった。


「そしてライサさんについてですが」


 一条はさらに話を続けた。彼の声には深い悲しみと同時に、何か重要な真実を伝えようとする緊張感が感じられた。


「実は、彼女がなぜあなたを裏切り、カーチャさんを含む公爵派に肩入れしたのか、私たちはずっと理由がわからず調査していました。殿下の王国の人々や目撃者の多くが、彼女は厳格だけど心優しい人物で、悪意を感じたことはなかったと証言していたからです。しかし、最近になってようやく一つの事実を発見しました。それは――」


 一条は一瞬言葉を飲み込んだ。彼の目が一瞬遠くを見つめ、やがて覚悟を決めたように話し始めた。


「殿下、彼女には二人の息子がいたのを覚えていますか?」


 彼の質問に、私はすぐに答えた。


「もちろん」


 私の声には、過去の記憶が蘇る感傷が含まれていた。彼らと一緒に槍の訓練を受けた日々が、今でも鮮明に心に刻まれている。ソーニャも含めて、私たちはまるで兄妹のようだった。彼らの笑顔や、共に過ごした時間が思い出された。


「二人とも、1945年の戦場で亡くなったんです」


 その言葉が私の耳に届くと、私の心は一瞬止まったかのようだった。あまりにも突然の知らせに、何も言えず、ただ一条の顔を見つめることしかできなかった。


「ご存じの通り、殿下の王国からの多くの難民が他国への移住に成功しました。しかし同時に、不幸なことに逃げおおせることができなかった方々もいました。殿下の槍の師範であるライサさんは全力で戦いましたが――二人の息子を救うことはできず、彼らは最終的に命を落としました」


 一条の声が静かに響く。私の心の中には、深い悲しみと無力感が押し寄せてきた。彼女が息子たちを失った痛みが、私にも伝わってくる。ライサが私たちを裏切った理由が、今ようやく理解できた気がした。彼女の行動の裏にある深い悲しみと絶望が、私の胸に重くのしかかる。


 一条の言葉が私に新たな視点を与えてくれたけど、それでもその真実がもたらす苦しみから逃れることはできなかった。

 

 私はその知らせを受け入れるのに苦しみながらも、心の中でそれを整理しようと努めていた。


「これもまた、殿下やお母様のせいではありません」


 と一条は優しく語りかけた。その声には深い共感と慰めが込められていた。


「ライサさんは心優しい人で、あなたと妹さんへの愛情は本物でした。彼女は殿下が知っていたままの人だったのです。もし彼女を変えてしまった責任があるとすれば、それは困難な時代の空気と、我々日本も含む大国間の強欲な争いによるものでしょう。彼女は最初から殿下を裏切っていたわけではなく、その優しさは決して偽りではありませんでした。彼女の愛は真実だったと、私は信じています」


 と彼は静かに締めくくった。彼の言葉が心に染み渡り、私の心にほんの少しの安堵をもたらした。

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