第20話

「そういうわけで、もう一つの頭に助けを頼んだってわけだ。石原さんにな。」


 前橋の言葉が落ちると、川田の顔は驚きと恐怖に変わった。その表情は、彼が持つ自己確信の影が一瞬にして崩れ去ったことを物語っていた。


「元陸軍大将の石原莞爾の名前は確実に聞いたことがあるだろう。退役軍人が現役の軍隊に影響を与えることはほとんどないが、数少ない例外だ。石原さんがどれほど効果的であるかは理解できるだろう。なんたってお前ら関東軍の元親玉なわけだからな」


 前橋の声には、石原という名前が持つ圧倒的な重みが響いていた。その重みは、川田の心に鋭く突き刺さったようだった。


「陸軍内でだいぶ色々と手を回してくれたよ。それでもかなり大変だったがな。確かに、お前らにうんざりしてる奴は多かったが、確たる証拠がなければ、高級幹部たちは自分らの兵士を動かして、彼らの命を危険にさらすことはできんと渋られたってわけだ。だから兵士の命が安全な方法で支援してくれたよ。あの大型装甲車に加えて、俺に戦車中隊――13台の戦車を貸してくれたってわけだ」


 その言葉の奥には、前橋がかつて直面した数々の困難と、それを乗り越えるために必要だった圧倒的な支援の重みが感じられた。


 それと同時に、私は彼の話に愕然とした。前橋の言葉には、一つ一つが重く、残酷な現実が刻まれていた。彼の語りは冷静でありながら、その裏には計り知れない計画と緻密な戦略が見え隠れしていた。


「俺の懸念は、戦車とは言え13台で500人の歩兵大隊を打ち負かせるかどうかだった。しかしな、遠距離からの集中砲火で奴らの士気は大きく崩れたよ。拡声器で投降を呼びかけたら、あっさりと従った。この戦略が外国の敵に通用するかは分からんが、少なくとも渋々命令に従っているだけのこいつらには、味方からの呼びかけには、思ったよりも早く降伏してくれたよ。まあ、『陛下が俺たちの行動を追認したからお前らは賊軍になる』って大ぼら吹いたのもあるけどな」


 前橋の声には、冷たい笑いが含まれていた。彼はその場を支配し、自らの計画の成功に対する自信を隠そうともしていなかった。


「ただまあ、でかい図体の戦車ではこの要塞の小さな入り口には入れんし、この要塞を砲撃で破壊できるかも疑わしかったってわけだ。仮に破壊できたとしても、エヴァの妹を生き埋めにするわけにはいかなかったしな。だから内部の警備兵の処理についてはエヴァに頼ったってわけだ。それが話のすべてってことですよ――これは閣下が向かう刑務所への土産話ってことで」


 彼の言葉は、冷ややかに響いた。まるで、目の前の敵将がすでに終わった存在であるかのように。前橋は冷酷さを漂わせながら、川田に向かって歩み寄り、手錠を取り出した。


「川田中将、逮捕する。言い訳は取調室の中ででもしてもらおうか」


 川田はその言葉に激しく反応した。怒りと屈辱が彼の顔に浮かび、目を血走らせながら反論した。


「おい、やめろ――たかがいち憲兵がわたしを逮捕?笑わせるな!」


 川田の目は、荒ぶる感情で燃え上がった。


「これは公共の利益、そして大日本帝国の強さのためだってことが分からないのか?」


 そういうと、川田の狂気はよりくっきりと姿を見せた。彼は唾をまき散らしながら、まくし立てた。その声は、理性を失い、己の信念に取り憑かれた狂信者のそれだった。


「知っているか、1942年、日本はミッドウェー海戦でアメリカに敗北し、壊滅寸前だったんだ。だが、永田鉄山の案で石原が外務官僚に抜擢され、天才的な外交努力により海外領土を放棄することで、大日本は条件付き降伏に留まり、我ら皇軍は解体されなかった。しかしだ、大日本はそれでも負けた!明治維新より勝ち続けだった大日本はついに一度負けたんだ!わかるか?我々は再び立ち上がらなければならない。今アメリカでは、我々を攻撃する新型爆弾を開発しているという噂が、国際的に科学者や医者の間で広まっているのだよ。我々は今の力だけでアメリカに勝てるのか?否!もっと強力な兵器を開発しなければならない!あそこにいる女?あれは吉原の遊郭に送られる予定だったんだ。それなら、こっちの方がずっとマシだ!あれは実験材料にされることで、日本の安全と強さに貢献できるんだから、あれも自分を誇りに思うだろう。俺がやっていることは全て公共の利益のためだ!もっと力が必要だ!俺たちは――」


 川田の言葉が途切れることなく続く中、前橋は力強く川田の顔を殴りつけた。


 鈍い音が響き、川田はその場で動きを止めた。その一撃は単なる物理的な痛みを超えて、彼の精神をも打ち砕いたかのようだった。川田の目に宿っていた闘志は、まるでその一撃で完全に消え去ったかのように、瞬く間に光を失っていった。


「この部隊を創設した石井中将もまあまあ問題のある人間だった。だが、貧しい患者を無料で治療するというような、少なくとも人としての高潔さはあった。それに比べてお前は、――完全なクズだな。」


 手錠をかけられた川田は、未だ前橋を睨みつけていたが、その瞳にはかつての激情はなく、ただ虚ろな光だけが残っていた。言い返す言葉を探すように口を開いたものの、結局何も言えず、無言のまま黙り込んだ。


 前橋は私に向き直り、硬い表情がわずかに緩んだ。


「出るぞ」


 その言葉に、私は深い安堵を感じると同時に、新たな決意が胸に湧き上がるのを感じた。ソーニャがそばにいることで、私は再び使命感を強く感じ、これから先に待ち受ける道を乗り越えていく力を得たのだった。まだ私の道は終わっていない。でも、今、確かに私は大きな一歩を踏み出したのだった――ソーニャを、そして自分自身を守るために。


 施設を出たとき、夜の静けさが徐々に明け、空には新たな光が差し込み始めていた。冷たい夜風が朝の暖かな空気に変わりゆく中、その一瞬は、新たな始まりを告げる約束のように感じられた。

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