第19話

「なんだ、がっかりだな!もっと楽しませてくれよ、お姉ちゃん!ハッ!」


 と、彼は嘲笑を浮かべて言った。


「まあ、当然だな。君の動きを見れば、その力を使ったのはせいぜい1、2回程度だと容易にわかる。それに比べて、こいつは10年前に我々が連れてきて以来、ずっと訓練を積んできたからな!」


 彼は続けて、楽しげに言い放った。


「こいつを限界まで追い詰めるのは本当に楽しかったよ!殴ったり、切り刻んだり、時には銃で撃ったりして、こいつに眠る殺人衝動を目覚めさせるんだ!昔は毎回泣いてたが、今じゃ一言も声を上げない。こいつは我が国の戦略に重要な破壊兵器になるだろう!大陸の中央からこの便利な道具を届けてくれてありがとな!」


 歯を食いしばり、せめて立ち上がろうと足に力を込めたけれど、その瞬間、男は冷酷にも銃弾を放ち、私の左足に命中した。鋭い痛みが全身を貫いて、私は悲鳴と共に再び地面に倒れ込こんだ。痛みで視界がぼやけ、再び立ち上がることは叶わなかった。


 ソーニャが静かに近づいてくる。その足音は、冷たく無感情な瞳と共に私の心を凍らせた。私の隠された力が普通の人よりも早く傷を癒してくれるとしても、今回の傷は深すぎ、まるで私の意志を押し潰すかのように、全身が重く沈んでいく。


「もうこれでおしまいなの?」


 その問いが、諦めに覆われた私の心の中でこだました。身体の力が抜け、冷たい絶望が胸を支配し始めていた。


 ソーニャは私の上に立ち、槍を高々と振りかざした。でも、その瞬間、彼女の目に何かを見た。ためらいの一瞬、疑念の影を。


「ソーニャ」と私は震える声でささやいた。


「お願い、自分を思い出して。私を思い出して。」


 一瞬、彼女の表情が柔らかくなり、かすかな認識の光が見えた。しかし、それもすぐに消え、部屋に響く男の声が冷酷に命じた。


「さっさと仕留めろ!」


 その声には容赦がなかった。ソーニャの目が再び硬くなり、槍を振りかざした。彼女が槍で打ち下ろす前に、私は本能的に動いた。立ち上がれないまま、私は彼女の足にしがみつき、せめて最後に私のぬくもりをソーニャに伝えたかった。


 私は最後の一撃に備えて身構えた。でも、しばらくたっても、私には痛みも槍が私を貫く感覚も、何も感じなかった。顔を上げると、彼女の険しい表情が和らぎ、少しずつ私が覚えている妹の姿が現れてきた。


 その瞬間、私は何かに気づいた。胸をソーニャの脚に押し付け、ネックレスが彼女に触れるように私はしていたのだった。そうだ、このネックレスは王家に眠る力を――ソーニャの力も制御できるんだ。私が両腕の抱擁をぎゅっと強めると、ソーニャの目が驚きに見開かれ、彼女の槍を握る手が緩んだ。彼女の肌を覆っていた不気味なピンクの色が徐々に薄れ、自然な褐色の肌に戻っていく。


「いや、いったい――何をしている?」


 男は叫び、事態を呆然と見守りながら、徐々に理解していった。


 ソーニャの表情はさらに柔らかくなり、彼女の目には涙が溢れ始めた。これまでの冷酷さが嘘のように、彼女の瞳は私を見つめながら、徐々に感情を取り戻していく。


「お姉ちゃん――思い出した。私、思い出した」


 彼女は震える声で囁いた。その言葉には、深い悲しみとともに、ほっとした安堵が含まれていた。


 男の怒りはもはや言葉では表現しきれないほどで、部屋の空気が張りつめていった。


「今すぐやめろ!」


 男咆哮し、無情に銃を取り出して私たちに向けた。その銃口がこちらに向けられた瞬間、私は運命の分岐点を迎えた。


 私は傷が少し癒えるのを感じた。まだ自由に動けるわけではなかったけど、どうにか立ち上がる力を振り絞った。よろめきながらも、ソーニャの前に盾となって立ち、彼女に向けられる弾丸を受ける覚悟を決めた。この決断に、ひとかけらの後悔もなかった。


「これでいいの」


 私は心の中でつぶやいた。ソーニャにこれ以上の非人道的な扱いをさせるわけにはいかない。彼女を守ることができる今、この瞬間が私の全てだった。悔いはなかった。目を閉じ、彼女の幸せを心から願った。


「バン!」


 銃声が響いた。その音が耳に届くと同時に、全ての時間が止まったように感じられた。でも、またしても痛みは感じなかった。不思議に思って目を開けると、目の前に広がる光景に思わず息を呑んだ。あの吐き気のする男が苦しみながら、腹部から血を流していた。


 私は振り返った。そこには、銃を取り出し、的確に狙いを定めた男がいた。その男は――前橋少佐だった。彼の姿は確かで、信じられないが現実そのものであった。


「前橋少佐!」


 私は驚きと安堵の入り混じった声で叫んだ。信じられない思いが胸に広がり、感情が溢れ出す。


「よくやった、エヴァ」


 彼は冷静に言った。その声には無駄のない確信が込められていた。


「お前は――死んだのでは――」


 苦しむ男は、腹部の傷から出た声を絞り出すように呟いた。男の表情には混乱と驚愕が浮かんでいた。


「驚いたろ、川田中将」


 少佐は冷ややかに微笑んだ。


「俺と同じように、この腐った部隊に幻滅している連中が、陸軍には山といるんだ」


 その笑みには、暗に抱えている怒りがにじみ出ていた。彼の目には、ただの一将校が知り得ないような深い洞察と経験が刻まれているように思えた。


「そもそもな、中将閣下、たかがいち憲兵将校が高性能車両を勝手に借りられると思うか?」

 

 前橋は続けた。彼の声には、自身の計画の緻密さとその裏に隠された深い策略が滲んでいた。


「帝国陸軍は表向きは一つの方向を示しているが、実際にはいくつもの頭を持つヒュドラだ。各々の頭が勝手に主張し、勝手に暴れまわる。だからお前たちのような一つの頭が好き放題やっていられるってわけだ。俺みたいなちっぽけな兵士には、まったく太刀打ちできん」


 その言葉には、軍の複雑さとその暗闇に渦巻く権力闘争への深い理解がこもっていた。前橋の言葉は、川田の目を見開かせるほどの鋭さを持っていた。

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