第12話

 彼は重い口を開き、言葉の一つひとつが私の胸に鋭く刺さるように続けた。


「お前がその血脈から他を圧倒する殺傷能力を受け継いだ。となれば、お前の妹もそれを引き継いだと考えるのが自然だろう」


 その言葉を聞いて、私は薄暗い未来の予感が頭をかすめた。自分の中に潜む恐ろしい力が、ソーニャにも宿っているのかもしれないと。


「陸軍の研究機関、通称731部隊は、生物兵器を開発するために人体実験を続けている。お前の妹を買ったやつはそいつらだ。俺たち憲兵が掴んだ情報によれば、この機関は、お前の妹から得られる殺傷能力を利用して生物兵器の開発を目論んでいるとのことだ」


「731部隊?」


 私は怒りと震えを抑え込みながら低く呟くと同時に、その名前が耳に入った瞬間、冷たい刃が背中に押し当てられたような感覚が走り抜けた。その存在は風の噂でしか聞いたことがなかったけど、その内容は単なる噂で片づけるにしてはあまりにも気分の悪いものだった。かつて日本が戦争に敗北しかけたとき、陸軍の極秘事項が漏れて、その一つがこの731部隊の存在だったと、人々はささやいていた。

 

 ある噂では言っていた。わざと被験者に重大な病気を感染させる、意識があるまま体を切り刻む手術をする、新種の毒物を実験のために注入する――私は聞くだけで吐き気を催した。この組織がいかに非道な行為を繰り返してきたか、私は想像するだけで身体が凍りつくようだった。


「そいつらはソーニャを実験用のラットと同じように扱ったってことなの?」


 前橋は険しい顔でうなずき、私の問いに答えた。


「そうだ。我々憲兵の拷問も大概だがな、それでもこいつらのやり方は桁外れに非人道的だ」


 その言葉が響くと同時に、私は爪が掌に食い込むほど強く拳を握りしめていた。ソーニャがそんな恐ろしい扱いを受けていることを想像するだけで、全身が震え、胸の中で怒りの火が燃え上がった。


「ソーニャを助けなきゃ」


 私は強く決意を込めて言葉を放った。


「ソーニャをそんな奴らの苦しみから、必ず救い出す!」


 その強い意思に対して、前橋は冷静に、しかし厳しい現実を突きつけてきた。


「通常の一般人にとって、それは極めて難しい」


 彼の言葉には冷たさがあり、私の決意に冷や水を浴びせるようだった。


「731部隊は厳重に守られていて、その施設においては事実上の不処罰で運用されている」


 前橋は私の目をまっすぐ見て言った。


「元々は中国東北部の関東軍にあったんだがな、現在の731部隊は遠隔地の施設で、軍の検閲で地図から消された山々の奥深くに位置している。幾重にも巻かれたセキュリティ――武装警備兵、監視カメラ、それに侵入者の進行を妨げる複雑な地形によって守られている。さらに、建物自体はほぼ要塞化していて、許可されたカード保持者以外の侵入は難しくなっている」


 前橋が話すにつれ、私は情報を吸収しようと頭を巡らせた。その場所の恐ろしさが次第に形を成し、私の中で膨れ上がっていった。まるで出口のない迷宮に足を踏み入れるかのような感覚に襲われた。


「内部に協力者のような人はいないの?」


 私は最後の希望を探るように、前橋に尋ねた。


「いく人かの内通者はいる」


 彼は認めた。


「いくら部隊勤務とは言え、内部で起きていることに辟易している人間はいるにはいる。だから、彼らから今のところは情報はもらえはしているというわけだ。しかし同時に、部隊の背後に潜む巨大な力の前で、声を上げることもできないでいる。その力は陸軍の闇、ひいては国家の闇につながる、巨大で邪悪なものだ。彼らはその全貌をつかんでいるのではないにせよ、陸軍内部にいる以上はその恐ろしさをひしひしと感じているはずだ。そしてそれは俺も同じ。陸軍の腐敗を取り締まるのが本来の仕事とはいえ、多くの権益に守られたこの部隊を、いち憲兵将校の俺が罰することは極めて難しい」


「でも」


 私は前橋の言葉に反論した。


「もし今までのあなたの言ったことが正しいなら、私の力でそいつらを叩くことは可能なんじゃない?」


 私は続けた。


「もちろん、私が死の淵まで行くような深い傷を負う必要はあるから、リスクは高いのかもしれない。でも、何もしないなんて私にはできない」


 その決意の強さが声に滲み出ると、前橋は静かに、しかし確信を持って答えた。


「そうだ。実際に道はある」


 前橋は答えた。


「お前の王家に伝わる、赤い宝石が埋め込まれたネックレスだ。持っているだろ?」


 彼がその話をすると、私は驚くと同時に、動揺を隠せなかった。


「確かに元々は持っていたけど――」


 私は答えようとしたものの、動揺で言葉が詰まった。


 前橋は私の言葉を無視して続けた。


「お前も知っての通り、女王と第一王女が持っているこのネックレスの1つ、つまり女王が持っていたものは1945年に略奪され、とある列強の手に渡った。その国の研究機関によれば、この赤い宝石は人間の血が結晶化したものらしい。胆石や尿路結石のように、時に人間は石を身体から作り出す。だからおそらく、この宝石はお前の先祖の誰かの血が結晶化したものらしく、しかもその血液量は、二つのネックレスに対して少なくとも一人の人間すべての血液程度の量を凝縮したもののようだ。」


 普通なら、こんな話に驚くところだろうが、私には違っていた。かつて母様から、このネックレスは私たちの先祖の体が形を変えたものであり、その魂が宿っていると聞かされていたからだった。いつも私たちを先祖が見守ってくれるから、肌身離さずこれを持っているように母様言っていたもので、私はその事実を静かに受け入れた。


「一方で、お前の王家に伝わる歴史的文物なんかも略奪の対象になってな、それらも研究対象になった。それによると、お前が知っている神話の内容はもちろん、あるお前の先祖が、自らの子孫たちの運命を案じて自らを犠牲にし、殺傷能力を制御できるネックレスに身を変えた、というような伝説もあるらしい。さらに、伝説レベルの話ではなく、お前の王国が列強の侵略者たちと混血し始め、公用語が英語になった後に書かれた、かなり信ぴょう性の高い近年の文献でもネックレスに関する記述があった。この記述でも、やはりネックレスを肌に当てていると致命傷を負わなくても力を覚醒させることが可能で、かつ暴走して無用な殺人をすることもなくなるとの表記があったのことだ」


 前橋は続けた。


「ここで研究機関で出した結論は、この力はネックレスによって制御可能だということだった。理由としては、そもそもお前たちのその力自体が今の科学で解明不可能である以上はっきりわかることはないが、その機関の推測では、お前たち王族の殺傷能力を司る遺伝子から生じるエネルギーが、ネックレスに凝縮された先祖の遺伝子のエネルギーと共鳴し、何らかの統制機能が働くのではないか、そんなところのようだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る