第4話

「あ、こんにちは、殿下」


 彼の邸宅を散策していると、一条が私に挨拶した。それにしても、この邸宅というのは信じられないくらい大きくて、私の住んでいた王宮なんかよりもずっと大きいものだった。元々金持ちだから彼をターゲットにしたわけだけど、東京都心でこんな広大な土地を持っているなんて、彼の一族の資産には改めて驚かされた。私は好奇心からこの広大な屋敷を回っていると、彼に出くわしたところだった。


「私の妻は素晴らしい女性でしょう? 外見も内面もすべてにおいて」


 彼は、自信に満ちた声で彼女に言及した。


「ええ、私もそう思う。あなた、あんな素晴らしい女性と結婚できるなんて、とても幸運な男ね」


 彼は、自嘲のような表情を浮かべた。


「全くその通りです、殿下。私は本当に愚かな男です。私は自分の欲を抑えられない愚か者、それは否定できません。こんなどうしようもない自分があんな素敵な女性と結婚できたのは――人生で最高の出来事だと思います」


 確かに彼のあの晩の行動はまずかったかもしれない。今の彼はとても誠実なのは間違いなく、私の警戒心を解いていった。まあ、それでも性欲が強いというだけで私たち女性にとっては気持ちの悪いものだけど。


「ところで、殿下。あなたはとても魅力的な外見ですね」


 彼は言うと、すぐに慌てた様子で言い直した。


「誤解を招く表現で申し訳ありません、殿下。私はあなたと不適切な関係を結ぼうと考えているわけではありません」


 私は眉をひそめて、次に彼が言う言葉に注意を向けた。


「私が申し上げたいのは、金髪に、小麦色の肌、その上女性としては背が高い――170センチメートルくらいでしょうか? 他国の女性を見ても、あなたのような外見はあまり見たことがありませんし、独自の魅力があります。そうした他にはない特徴が、殿下の美しさを際立たせていると感じております」


 彼の説明に嘘はなさそうで、本心で言っているように感じたから、やましい意図はないと素直に思えた。


 私は答えた。


「私の王国は、古来から、数えきれないの旅人と文明が交差する中央アジアにあったの。最近では、地理的に近いロシアの文化が名前なんかには影響していて、私の名前も含めて人名はロシア風になってる。でも、貿易で栄える世界有数の国際都市でもあったから、交易の需要を反映して公用語は英語だった。何世紀にもわたって、数多くの文化や民族たちが私たちの土地に痕跡を残して、時には融合し発展してきたの。


結果として、私たち王国の人々は豊かで多様な血統ををひいていて、それが私たちの容姿にも反映されたのよ。私の見た目はどこの国の人間かすぐにわからないでしょう?髪の色から白人だと思う人もいるだろうし、顔のつくりからアジア人だと思う人もいる。あるいは、肌の色からアフリカの血を引いていると思う人もいるかもしれない。こうした世界でも例を見ない、私たちだけの入り混じった血統、これが古くから続く多様な文化と民族が行き交う歴史の証であって、私たち王国の誇りなのよ」


-----


 私は自分が愚かだとわかっていた。


 敬愛する槍の先生が、私に告げた言葉が今も胸に響いている。


「逃げなさい。自分の身を守りなさい」


 彼女の目は私を鋭く射抜いていたけど、その声には厳しさの中にも深い愛情が込められていた。


「戦うのは生き残った未来にとっておきなさい」


 でも、私は窮地に陥っている人たちを放ってはおけなかった。自分の力を過信し、すべてを守れると信じていた。人々も、妹のソーニャも。でも、たかが小さな王国で開かれた、子供だけの槍の大会で優勝できる程度の力では、大きすぎる敵の前では無力だった。私が守りたかった人々は、すぐに撃たれて死んだ。


「おい、弾を無駄にするな。こんな虫どもは刃で殺せ。弾薬を節約しろ」


 指令を出す将校は命令した。


 私は動きを封じられ、遊び半分で浅い傷を負わせられ続けた。私は無力に叫ぶことしかできない、ただの子供だった。ソーニャも兵士たちの手に落ちて、身動きがとれないようにさせられた。こいつらの不気味な笑みは次に何をするのかを暗示していたけど、多分無邪気な妹にまだ理解できていなかったと思う。


 私は、せめて一矢報いようと、兵士に噛みついた。


「ああ、このクソガキが」


 兵士は怒鳴り、私を殴り倒した。


「ラッキーだな。こんなきれいな王女様となんてなかなかない機会だからな」


 兵士の一人は吐き気を催すような喋り方で言った。


「おい、独り占めするな。俺にも入らせろ」


 別の兵士が言った。


 ソーニャが兵士に平手打ちをされるのを見た。私が最後に見たのは、兵士たちが気持ち悪く笑う姿だった。意識が遠のき、暗闇に支配される中で、思ったのはソーニャだった。私にとって、命を賭けてでも守りたかった、世界で最も大切な存在だったのだから。

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