第2話

「何をやっているの!?」


 私は怒りと混乱の中で叫び、机の上にあった小さなナイフを手に取り、大尉の目を狙って投げた。でもその大尉はさっとナイフよけて、私はほかの兵士に取り押さえられた。


 部屋の裏口に向かって一人駆け出す存在があった。この恐喝で娼婦役だった私の一番の親友、カーチャだった。でもすんでのところで、カーチャは倒れた。大尉がカーチャの肩を撃ったのだった。


 カーチャは大きく震えていた。肩を撃たれたのだから無理もないとは思った。でも、多分あの傷は致命傷ではないのだけれど、どうしてそこまで震えるのか少し疑問も持った。


「それがどうした?」


 大尉は嘲笑を浮かべながら、私を見下ろしていた。その冷たい目には、一片の慈悲も感じられなかった。


「この後の俺の状況なんざどうだっていい。それがお前らの悪事を正当化することはないだろう」


 彼は銃を私に向けた。私の胸が強く脈打ち、怒りと恐怖が入り交じった感情が渦巻いていた。


「金髪、茶色の瞳、褐色がかった肌。手配書通り、お前が頭だな。さて、次はどうする、お姫様?」


 その言葉に、私は凍りついた。彼は私を知っている――いや、私たち全員が誰であるかを知っていた。数で圧倒的に勝り、訓練された憲兵たちに囲まれた今、逃げ場はなかった。大尉の言葉が頭に響く。


「お前が言った法律の原則なるものも、そのドラ息子の父親の力も、ここでは無意味だ。お前たちに勝ち目はない。もしここで投降すれば、これ以上手出しはしない。対等な取引だとは思わないか?」


 彼の冷たい声が、私の中で何かを切り裂いた。しかし、そのとき、手錠を外されたばかりの将校である一条が――罠にはめたときは特に気づかなかったが、下手をすると稔よりもハンサムで、背が高いということに今気づいたけど――口を開いた。


「大尉、私は彼を撃つ必要があったとは思いません」


 先ほどの情けない姿とはとても想像もできないほどの尊厳をにじませながら、彼は言った。


「すべて人は、自身の言動に対して釈明および黙秘する権利があり、法的な弁護を受ける権利を有します。これは正しくないです。私たちは、彼を正当に逮捕して適切な司法審査を受けさせるべきでした」


 私たちは罠にはめたのだから、彼が恨みを抱き、私たちを逮捕しようとする上官に協力しようとするのはある種当然のことのように思えた。だけど、彼は逆に、私たちを擁護した。


 一条の言葉は正義感に満ちていたが、その場の空気は一瞬で凍りついた。大尉はまるで感情を感じていないかのように冷静に反応し、その表情にはわずかな動揺すらなかった。彼の言葉は冷徹で、まるで裁判官が最終判決を下すかのようだった。


「悪いが一条君、第一に、君は買春をするという違法行為を行ったことに疑いがないから全く説得力がない」


 その言葉は冷たく、まるで氷のように硬質だった。大尉の目には一片の同情もなく、ただ事実を羅列する機械的な正確さだけがあった。


「さらに、もっと重要なことは、悪徳代議士の父親の力を背景に、こいつはこの組織で重大犯罪に手を染めていた。内容は、殺人、強盗、それに強姦が少なくとも50件以上は確認されている。事態をさらに深刻にしているのは、こいつらは別に大きな収入源があり、それが麻薬密売、ヘロインの売買だということだ。この事実から導き出される結論は――当然死刑だ。まあ要するに、逮捕して審理なんかするのは時間と税金の無駄だってことだ」


 私はその冷酷な断言に驚愕し、すぐに反論した。


「違う、そんなのありえない!稔は確かに粗暴な面もあったけど、そんな悪事に手を染める人間じゃない。大体、私たちは人を傷つけるような犯罪はしてない。全部小さな犯罪で、殺人の被害者なんか絶対いない!」


 私の言葉は震えていたが、心の中では強い確信があった。しかし、大尉は冷たい笑みを浮かべたまま、私の反論を一蹴した。


「わかった、じゃあここで聞くべき人間は――」


 彼は銃をカーチャへ向けた。


「そこの娼婦役。ここで死ぬか、いままで関わったことすべて吐くか、どっちか選んでくれるか。普通はお前も死刑なんだが、良くも悪くも憲兵ってのは絶大な権力を持っていてな。きちんと吐けば命は助かるようにしてやるよ」

 

 カーチャはそれまでも不自然なほど震えており、彼女の目は恐れで見開いていたが、その冷酷な選択肢に、カーチャの顔からさらに血の気が引いていくのが見えた。彼女の震えは激しくなり、その声はかすかに震えていた。


 その将校が続けた。


「調べでは、王家の指輪――王位継承者の証でもある、家紋が彫られた指輪があるはずだ。現実に王位に就いた人間のみが所有を許されていて、それ以外の人間が持ち歩くことはお前の王国では厳しく禁止されていたという指輪が。一条君、その娼婦役の脱いだ服を調べてくれるか」


 一条はためらいながらも、大尉の命令に従った。カーチャの服から取り出されたのは、茶色い皮袋に包まれた何か。それを開くと、中から現れたのは、私の目に焼き付いた母様の指輪――王家の象徴だった。


 その瞬間、私の世界が崩れ落ちた。母の指輪は1945年の戦乱で失われたと聞かされていたのに、それが今ここにあるはずがなかったから。


「というわけで、お姫様、お前あんまり頭よくなさそうだけど、さすがに理解できたか?」


 大尉の声は冷たく、しかしその言葉には揶揄が混じっていた。


「この女が裏切っていたことくらい、お前でもわかるだろう。俺たち憲兵は、最近世間で暴れている犯罪者集団が、1945年に滅亡した中央アジアの王国からの難民で構成されている情報を掴んだ。この集団が、ひそかに第一王女エヴァを中心に結成されて、滅びた祖国――Homeland (ホームランド)を再建するための資金集めを目的として当該犯罪グループが組織されたともな」


 彼の言葉が鋭く、私の心に突き刺さった。多くの人が私たちの行動について気付いてはいたと思うけど、捜査機関がまさか私たちの動機まで解明していたとは全く思っていなかったから。


「それにもかかわらず、お前、ああ失礼した、殿下」


 彼は嫌味ったらしく言った。


「殿下様は自分の部下が裏切っているのに、これを見るまでは全く気付いていなかったと。状況をまとめると、この娼婦役の女は、王国では公爵家の生まれで、殿下様を除けば最高位の貴族に属していた。その女が陰謀を企んでいたということだよ。それで、この女は妙案を考えた――悪徳代議士のドラ息子を組織に引き入れ、父親の権力を利用して活動をしやすくする。そして、ハンサム好きの殿下様をその息子がハニートラップで篭絡して、周囲を見えなくさせた後、この女が実質的に組織を掌握する。そういう計画だったんだ。結果として、君以外の構成員は既に多くの重大犯罪に手を染めていて、殺害された人間は100人以上。ヘロインの密売だけで3500万円以上稼いでいる。脅迫された一条君にせびった金の5倍以上だな」


 私は少しの間、何も言えなかった。ただその場に立ち尽くし、彼の言葉が頭の中で反響し続けた。現実が歪んで見えるような感覚に囚われ、目の前の状況が信じられなかった。


「嘘よね、カーチャ?」


 私は震える声でカーチャに尋ねた。


「私たちは、祖国で起こった悲劇を十分に経験したから、資金集めでもそういう悲劇は絶対に繰り返さないって誓ったよね。私たちは、腐敗した金持ちから金を巻き上げるだけって言ったよね。それに麻薬密売って一体どういうことなの、カーチャ?」


 カーチャの反応は私の期待とは違っていた。


「本当におめでたいのね、あんたって、殿下」


 彼女は皮肉たっぷりに言い放ち、その目には冷たい光が宿っていた。


「本当に心の底からその底なしのバカさ加減を祝ってあげたいわ」


 涙が頬を伝わりながら、彼女は続けた。


「全部お前の王家のせいだ!お前の母親が取引をやめなければ、私は今でも金持ちでいられたのに!」


 彼女の言葉に、私はただ立ち尽くし、言葉を失った。彼女が続けた。


「そのおバカな頭で今日の成功に酔っている隙に、今夜お前を殺すつもりだった。それから、このグループを乗っ取って、私が王国の正当な後継者となるはずだったのに――最高位貴族公爵家最後の生き残りとして。王家の正当な後継者は不慮の事故で死にましたってことにしてね。そうして私は失われたものを取り戻すはずだった」


「何を言ってるのカーチャ?あなたの言ってることが全く分からない」

 

 私は必死に理解しようと努めたが、彼女の言葉は私の理性を突き崩し、混乱を招くばかりだった。


 カーチャは叫びながら続けた。


「私はアメリカの大学に留学して、豪華な生活を送るはずだった。家族と共に幸せに暮らすはずだった。でも、お前の母親がその取引を止めたせいで、私の未来はすべて崩れたのよ!」


 さっきまで冷笑していた将校がカーチャを強く殴り、カーチャはその気を失ってその場に倒れた。


「犯罪者ごときがちょっとしゃべりすぎだな」


 彼がそういうと、私たちがさっき罠にはめた男、一条はまた少し顔をしかめ、進言した。


「大尉」


 一条がそういうと、その将校はそれを遮った。


「あなたは適切な法的手続きに従ってこの女を処理すべきだった、だろ一条君?君は俺が今まで会った中で間違いなく一番いい奴だな。それに、有り余る財産を持っていて、高い生まれの貴族――この女と同じく公爵家の生まれだ。本当に君は完璧だよ」


 ここで将校の顔が少し嘲笑するものに戻った。


「性欲が強すぎて毎晩娼婦を買わないと済まない以外は。全く、すべての人間ってのは欠点があるものだなあ。本当に面白い」


 一条は彼の言動に顔を赤らめたまま黙って俯いた。


 部屋から連れ出される間、私の頭は驚きと混乱にまだ支配されていた。私は確かに状況の概略を聞かされたけど、まだ全体像が見えていなかった――特にカーチャの言動に関して。


 王国が何かを取引をしていた?女王陛下、母様がそれを止めた?その取引って一体何?それを止めたらどうしてカーチャが貧窮に苦しんだの?


 私は頭が真っ白になりながらも、何とか冷静を保とうと努めた。けれど、カーチャの告白と将校の言葉が頭の中でぐるぐると回り、結局は不安と混乱が増すばかりだった。裏切り、処理できない情報、もう遠くなってしまった王国の再建、それらが全部絡み合い、少なくとも今は冷静になるなんてできないということを悟るしかなかった。

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