Part.5 敗北の予感

偵察を終えたあと、東雲は窮地に陥っていた


(この状況...まずい、まずいぞ)


視界はぐらりと揺らぎ、聴覚はまるで仕事をしていない

必死に抗うが、何もかもが無駄な努力に終わろうとしている

何故こんな状況なのか...それは...


(ね....ねむい...!)


8時間近い偵察の末、睡眠など取らずに登校した東雲の睡魔は、彼の脳を支配しきっていた

もはや自分が何をしているのか、教師が何を話しているのか、そしてわずか3秒前に何を考えていたかなど全てわからない


(クソ...!一昨日も睡眠時間は2時間だぞ...!)


ほぼ二徹の状況は、戦闘と偵察をこなした彼にとってもはや崖っぷちに小指1本でぶら下がっているのと同じである

そしてきたる授業終了のチャイムも、睡魔を打ち負かすには足りなかった......しかし


「...貴方、もしかして寝ていないのですか?」


女神はやってきた

咲樹の声色が耳に入った途端、脳を支配した睡魔が塵となって消える

緩慢な動きで咲樹の手を握ると、東雲は命の残滓を絞り出した様な声を発する


「咲樹...M〇NSTERのCHA〇Sを...頼む...」


そういった瞬間、東雲が咲樹の方へと倒れ込んだ

睡魔は遅効性の毒

1度脳の奥底まで入り込めば、延命措置はあれど生き残ることは出来ない


「...酷いクマですね......仕方ない、保健室にでも連れて行きますか」


咲樹は東雲の肩を持つと、ゆっくりと保健室へと歩いて行く


(...この人華奢な体してわりと重いんですね......!)


......少しばかりの身体強化をトッピングして


~1学年棟 保健室~


暗い部屋の中で、東雲は目を開いた

脳にずっしりと来た睡魔は無く、視界も聴覚もはっきりしている


(ここは...あぁ、保健室か)


上体を起こし、体を確認する

着ていたパーカーは脱がされ、黒いコンバットシャツ1枚となっている

どういう状況か分からないまま混乱していると、部屋の扉が開く


「あら、起きましたね」


扉を開けて入ってきた咲樹珍しく髪を縛っている

ハイポニーの髪型のまま、東雲の寝ているベッドに座り込むと、手に持っていたコップを渡してきた


「ホットミルクです。ところで貴方、いったい何時間寝ていたと思います?」


その咲樹の問いに、ホットミルクを飲みながら東雲は少しの間考えを巡らせる

まだ外は明るく見えるし、咲樹居るということは...


「2時間くらい?」

「10時間と3分49秒ですね」

「えっ10時間?」

「はい」


咲樹の即答とその応えに東雲は驚きを隠せず、落とす前にと近場の机にコップを置く

彼が気絶したのは9時半過ぎ、そこから10時間...


「えっっと、外明るいのは...?」

「電灯です」

「あっ電灯...」


気まずい空気が流れ、もう一度ホットミルクを飲んでから質問を繰り出す

「そいえばなんでいたの...?」

「1-1と1-2の合同授業だっので」

「あね...」


数十秒の、沈黙


「なんでまだここに...?」

「貴方が起きなかったので」

「どうして?」

「ツーマンセルでの下校はまだ解除されていませんので」

「あっ...」


寝起きの頭はさらに混乱し、思考がまとまらない


「あとそれ」

「あっこのホットミルク...ありがとう」

「私が飲みたかったから汲んだのですが」

「......」


なんとか組み立てた思考は、今の一言で空白に塗り潰された

もはや言葉も出ないし、何も喋ってはいけない気がする


「...まぁいいです。何も言わなかった私にも落ち度はあるので」


「......」


「あと、ヘアゴムお借りしてました」


「あっ俺のやつだったの...髪縛ってどんな気分?」


「楽ではありますけど、頭が痛いですね」


「そっ....かぁ」


あまりに、あまりに気まずい空気が流れる

しかも咲樹はこちらをまるで獲物として見ている様な目をしている


「あの...まだ何か...?」


恐る恐る聞いてみるが、何も答えてくれない


(怖い怖い怖い怖い!どうして?この短時間にやらかしすぎたから?まってまって、どうすればいいの?)


寝起きと言うのも相まって、この状況でいきなり襲われでもしたら東雲は咲樹に

身体強化でパワーは互角、しかし相手はオリジンを使えるとなれば敗けは必至で、思わず東雲は身体を咲樹から遠ざけた


「なんで逃げるのですか?」


その言葉は余りにも冷たく、まるで死に損ないに言い捨てる様なトーンだった


(あーもうマジで怖い、暗いから表情も分からないし、でも辞めてその目だれか助けて)


「あっ...えっ...と...あの...あ...」


「なんで目を背けるのですか」


背中が壁にふれ、ひんやりとした感触が広がる

そして唐突に伸ばされた咲樹の両手に頬を取られ、無理やり視線を合わされる


(あっあ...だめだこれ...やばい...勝てない)


心臓の高鳴りが内側から鼓膜を突き、無理やり落ち着かせた呼吸が乱れる

月明かりも無い部屋の中で至近距離、鼻と鼻が触れ合うほどの距離で目を合わせられる

広がった瞳孔、腹の底を見透かしたように冷たい目


(....ッ....ッあ、あぁ...ッ敗ける....殺される....ッぁ)


そして......


「...冗談ですよ。少しばかりのイタズラです」


いつもの声色で放たれた言葉と共に、咲樹の手が引かれる

口を隠しながら軽く笑い、何時もの様子に戻る


「最近人を怖がらせるのが好きな物でして...って」


未だに呼吸と心拍が整わず、怯えた表情を見せる東雲に、彼女は僅かに心配した目を向ける

顔色は悪く、その目は虚ろに何処かへと焦点が合い

両手は掛布団を強く握って胸元まで手繰り寄せている気が


「あの...ごめんなさい、そこまで怖がらせる気は...」


東雲の固く握られた手を包もうと咲樹が手を伸ばすと、まるで畏怖の対象を目にした様に瞳孔が閉じる

それを確認した咲樹は途中まで伸ばした手を引き、代わりに机に置かれたホットミルクを差し出す


「こ...これでも飲んで落ち着かれて......」


東雲は震えた手でそれを取ると、ゆっくりと口まで運ぶ


(あの目はそうだ...イタズラで出せるモノじゃない...)

(確かに殺意のある、獲物を殺す時の目だ...どうして)

(くそ...悪寒が止まらない...深呼吸しろ...東雲...)


直感的に感じた『死』

あの時の咲樹は、一撃で東雲の命をもぎ取れる様な気迫だった

冷や汗の滴る首を手で触り、その手を胸まで下ろしていく

脳裏に浮かぶ『死に方』の数々が思考を圧迫する

頸動脈への一撃、気管の圧迫

心臓を一突き、頚椎を砕く

大腿部大動脈の切断、眼窩から脳への一刺し

......飲み物への毒物混入


(クソ......こいつに敗けるのが見えた...?)


(彼に勝つビジョンが見えなかったけど...これは)


その日、東雲は安眠できなかった

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