あの日、あなたの光になった

鍔木小春

あの日、あなたの光になった

 発光症。それは数十万人に一人が罹患する謎の奇病。

 ある日突然全身が発光し、それ以外の不調は特に現れないのがこの病気の特徴である。

 原因不明、治療法不明。

 人から人への感染例は認められず、また発光以外の症状がみられないことから、特に何もせず自然治癒することを祈りながら経過観察をするのが通例となっている。

 日常ではあんまり見かけないけど遠く離れたSNSが他人の発症例は知っている程度。そんなレアな奇病がまったくの他人事ではないのだと気付いたのは、仕事帰りの車窓に映る自分の姿を見たときだった。


 目覚まし時計の音と共に、目元に張り付く遮光アイマスクを外した。

 自分の光を遮って視界を真っ暗にできるこのアイマスクは、発光症患者の必需品だ。

 頬についた跡をむにむにと解きほぐして、朝食を食べにリビングへ向かう。

 

 家族は何も言わないけれど、なんとなくテレビの邪魔にならなそうな端っこに座るのが習慣になっていた。

「今日も暑くなりそうねぇ」

 他愛ない会話をしながら、普通の家族団欒を過ごす。

 お母さんと目が合わないのはちょっと寂しいけど、直視させて目を疲れさせちゃうのは嫌だから我慢我慢。


 自分自身が光っていると、歯を磨くのも微妙に苦労する。

 口の中は影になってしまうから、鏡に映してもよく見えないんだよね。

 磨き残して虫歯になったら嫌だなぁと思いながら、丁寧に歯ブラシを動かして全体を磨いていく。

 ゆすいだ後に舌先で軽くチェック。……うん、ちゃんと磨けてるはず。たぶん。

  

 洗顔した肌に化粧水を叩き込んでいると、年相応の荒れに嫌でも気付いてしまう。

「どうせ誰も見ないんだけどさ」

 それでもていねいに美容液を塗り込むのは、自分の精神衛生のため。

 光る肌を隠すマスクって、意外とお肌にダメージ与えるからね。


 発光症患者は光ってるから日焼けしなそうって思われてるの?

 とんでもない!

 普通に肌ガサガサになるし紫外線で肌は荒れるのが本当のところだ。

 だから、遮光アイテムで隠れるところまで日焼け止めはしっかり塗る。塗りムラになってもわからないのはこの病気の唯一の利点かもしれない。

 光が漏れにくい黒ずくめのオフィスカジュアルに遮光マスクを着けるまでが、私の朝のルーティンだ。


 夏は発光症の大敵だ。光を遮る服装は、薄手の生地を使ってもやっぱり暑い。

 さすがに耐えかねてパーカーを脱ごうとしたところで、怖そうなオジサンにギロリと睨まれて慌てて着直した。

 好きで光ってるわけじゃないのに、なんか悲しくなっちゃうな。

 しょんぼりと吊革を握っていたら「どうぞ」と目の前の人に席を譲られた。

「あ、どうぞ、お気遣いなく」

 光ってるだけで他の不調はないのだけど、周りから見たらそうは思えないのだろうなぁ。

 なんとなく気まずくて、降りるふりをしてドア付近に移動した。


 窓際に置かれたデスクが、私の席。

 と言うと聞こえは悪いけど、これは私から言い出した周りへの配慮だ。

 遮光性の高い格好をしてるとはいえ、目の前に光ってる人が座るのは集中力下がるからね。

 明るい窓の近くなら眩しさも多少はカモフラージュされるかな、ということで、みんなから離れた窓際を提案して移動したのだった。

 ブラインド代わりのパーテーションを立てて光を遮れば、周りへの配慮もばっちりだ。

 仕事に支障は……ぶっちゃけ出てる。仕切り越しにやり取りするのは上司も億劫なようで、あまり複雑な相談や綿密な打ち合わせを求められない事務作業を任されることが多くなった。

 この扱い、やっぱ凹むよね。私、けっこう仕事できるほうだと自認してたからさ。

 発光症自体は体調に影響は与えないっぽいけど、この生活が続いたらストレスで調子崩しちゃうかも。

 私がもともとそんなに社交的なほうじゃない……というかぶっちゃけ陰キャだったのは幸か不幸かって感じ。隔離されて雑談もできないこの感じ、喋ってないと死んじゃうような陽キャだったら1日で発狂してたと思う。


 周りの人の眩しそうな視線を受けながら家路につく。

 なんとなくだけどストレスを感じていると光が強くなるような気がする。

 コンビニで気分転換のデザートを買ったら(絶対裏で発光みかんゼリー女とかあだ名つけられてる。そればっか買ってるもん)あとは家に帰るのみ。


 もとから家族団欒より部屋で一人くつろぐほうが好きな性分とはいえ、夕飯を食べてそそくさと部屋に引きこもるのはちょっと寂しい。

 初めのうちは気にせずリビングに長居していたのだけど、あんまり何度も眩しそうに目を細められるとさすがに……ね。

 あとは部屋でダラダラと動画を見たりSNSをぽちぽちしてたら1日が終わる。我ながら退屈な毎日。

 身体が光り始める前からこんな感じだった気もするし、光り始めてから無気力が加速し始めたような気もするし、どっちにしてもつまんない生活でしょ?

 これといった趣味もないし光ってるせいで婚活もできないし、このままずるずるとパラサイトシングルになっちゃうのかなと思うと、けっこう凹む。

 だからせめて何か趣味でも見つけたいなーと思ってふらっと入ったTSUTAYAで、私は彼女を見つけたんだ。


「まもなくルミナスプラネット1stシングル『Shiny☆Shiny』発売記念ミニライブが開演いたします。整理券をお持ちのお客様は……」

 当て所もなくDVD売り場をぼんやりと見ていたとき、不意にイベント開始のアナウンスが店内に響いた。

「何だろう? 誰か芸能人とか来てるの?」

 これから何が始まるのか、そもそもそのルミナスなんとかが何のグループなのかすらも分からない。

 でも、このまま無目的に面白いことを探すよりは楽しそうという予感があった。

 人の流れを頼りに、私はイベントスペースへ向かった。


「みんなーっ、今日も会えて嬉しいよーっ!」

「オレモー!」「みあたんが一番可愛いよー!」

 ルミナスなんとか、改めルミナスプラネットは、5人組のアイドルグループだった。

 それも、残念ながらさほどメジャーじゃないほうの。

 整理券を持ってる数人が最前列、それ以外が2列目というささやかな数のファンに向けられた彼女たちの歌は――なんだろう、今までアイドルなんて興味なかったはずなのに、なぜだかすごく刺さる。

 普通のアップテンポな曲調、よくある感じの応援ソングなのに、彼女たちが歌ってるとなんだかすごく心に響くのだ。

 特に黄緑の衣装の子がいい。叫ぶように力強く歌う声がこちらを励ましてくれるようで。

 間奏のダンスも一番気合い入れて踊ってるみたい。全力でパフォーマンスする姿を見ていたら私も明日から頑張れそうで……

 って、初見なのに完全にオタクの目線になってしまった。

 そのくらい、初めて生で見るアイドルのパフォーマンスは衝撃だった。


 ライブの後にCDを買うと、握手会の参加券を渡された。

 メンバー全員と、一言交わすくらいの時間握手できるのだという。

 興奮覚めやらぬまま、参加しようか迷ったのだけど……

「えぇと……だ、大丈夫です」

 服の隙間から覗く自分の光がわずかに眩しくなっているのを感じ、慌てて辞退する。

 マスクで遮っているとはいえ、発光する人と目線を合わせるのは彼女たちにとって負担だろう。

 握手券だけ返して、私はそそくさとその場を去ったのだった。


 それから私は時間さえあればルミプラ――あ、ルミナスプラネットの愛称ね――の情報を追いかけていた。

 小さな事務所に所属する、まだ結成されたばかりのグループであること。

 基本的には私の住むこの地域で、他のグループと合同でライブをやることが多いということ。

 Xのフォロワーがやっと1000人を超えたばかりで、それはアイドルグループの公式としては決して多いほうではないということ。

 そして――私が一目惚れした黄緑担当の里穂が、残念ながらあまり人気が奮わないということ。


 里穂はいつも全力だ。YouTubeに上がってるライブ動画でも、飛び抜けてパフォーマンスが力強く見える。

 全ての楽曲を手がける橡崎というアーティストの大ファンのようだ。彼の過去楽曲を引用しながら、新曲のサウンドがいかにかっこいいかということを語っていた。

 どうやら歌はあんまり上手くないようだ。でも、なぜか惹かれてショート動画の歌声を繰り返し聞いてしまう。

 サービス精神も旺盛らしい。事あるごとに他メンバーとの可愛らしいツーショットを載せていて、そのときだけコメントがやけに多いのがちょっと切ない。

 気付いたら私は完全に里穂推しになっていた。

 この子を応援したい。もっとみんなに魅力を知ってほしい。

 コメントを送り、ショート動画のお知らせをリポストするのが私の日常になっていた。


 アイドルのライブには、生誕公演というものがあるらしい。

 二週間後のライブがちょうど、里穂の生誕公演なのだという。

『大好きな曲だけでセトリ組んでもらったので、ぜひみんな来てほしい!』

 彼女の告知に付くいいねの数は……正直、一般人かな? と思うほど少ない。

「応援しに行かなきゃ」

 自然と、そう思っていた。

 光が迷惑になるとか、そんな考えは頭からすっぽりと抜け落ちていた。

 むしろ、今の私だからできる応援方法があるのではないか――。

 馬鹿げているなーと自分でも思うけど、思い立ったならやってみよう。

 里穂の全力に応えたい。貴女のファンがここにいるのだと伝えたい。


 初めて来るライブハウスは、思っていた以上に小さな空間だった。

 この小さな会場の半分近くがトリを飾るグループのTシャツを着た人たちで、残りが他4組目当てとすると……

 ルミプラのファンは、数えるほどしかいないのではないか。

 ましてその中で里穂推しとなると、果たして私の他にいるのだろうか。

 半ば不安になりながら、里穂の立ち位置に合わせ左端のほうに立つ。

 ルミプラはトップバッターだと告知されていた。ならば、少しくらい前に出ても他グループ目当ての人の邪魔にはならないかな。

 最前列を陣取っている集団の後ろ、2列目のあたりに立って開演を待つ。

 慣れない雰囲気にそわそわしていると、周りの観客たちから声をかけられた。

「そこ、スピーカー近いから耳痛くなるよ」

「インスト来てた人だよね? 貴重なご新規さんだ」

「最前空いてるよ。もっと眩しいサイリウム使う奴いるから平気平気」

 温かい。

 安心した気持ちになったところで、開演を告げるアナウンスが響いた。


 インストアイベントぶりに見る里穂のパフォーマンスは、相変わらずの全力で見てて気持ちが良い。

 客席すべてを見渡してアピールするような全力のダンスも。

 SNSで「ここのリズムに歌声を乗せるが好き」と語っていたソロパートも。

 ライブの定番曲でコール&レスポンスを煽る姿も。

 動画で知ってはいたけれど、実際に見るとこんなにも楽しいなんて!

 そうしているうちに、ルミプラの持ち時間はあとわずか。

「今日は、全力ガール里穂ちゃんのお誕生日です!」

 終盤のMCでエースの水色担当・美優が発表する。

 瞬間、私は遮光パーカーをぱっと脱いだ。

「里穂ちゃん! いつも応援してるよ!!」

 パーカーの下に着た薄物のシャツから光が漏れ、私は黄緑の光になった。

 里穂を応援する光そのものになった私は、彼女の全力に応えるように声を上げる。

「里穂ちゃん!」

 気のきいたことすら言えなくて、ただ名前を繰り返す。

 最後の曲が始まり、周りのファンたちがそうしているように腕を振って応援する。

 身体が光っていることに、今だけは感謝したくなる。

 里穂が目線を合わせてくれた。

 眩しそうに目を細めた顔じゃなくて、満面のアイドルスマイルで。


 最後のグループまで見終え(みんな可愛かったけどルミプラが一番!)ライブハウスを出ると、違和感に気付かされた。

 いつもより、周りが暗い気がする。

 閉店したお店のショーウィンドウに映る自分を見て気付いた。

 光が、消えていたのだ。


 それからはもう身体が発光することもなく、私は発症前と同じ日常を少しずつ取り戻していった。 

 遮光ウェアで身体を覆わなくても電車でイヤな顔されなくなったし、職場の席もみんなと隣り合わせのデスクに戻ることができた。

 遠慮せず家族団欒だってできる。

 完治した理由は医者にも不明なのだそうだけれど、あの日里穂を全力で応援したのがきっかけだったりしたら素敵だなと思ってる。

 誰かを照らしたときに全身の光が役割を終えたなら、それはとても素敵だと思うから。

 夢見がちすぎ、かな?


 今日もまた、見知らぬ人が発光症を発症したニュースがSNSを流れていく。

 あなたも照らせる人を見つけられたらいいねと思いながら、里穂のダンス動画に高評価を押すのだった。

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