第7話忍者たち1
高級ブランドの直営店や、貴金属や宝飾品を扱う庶民には到底縁のない、洗練された店構えの商店が軒を連ね、聳え立つビルは、金融機関や証券会社、大手企業の本社ビル。華やかさの香るようなこの界隈はニュー東京の一等地である。
目抜き通りの中ほどに十数階建てのビルがあった。一階は有名なジュエリーショップで、ショーウインドーには純金のネックレスやプラチナの台座に宝石をちりばめたブレスレット、きらびやかなアイテムが飾られていた。
店内にはショーケースに収められたまばゆい光を放つ品々に、目を奪われた上品な身だしなみの客たち。ショーケースの向こうでは、店員たちが控えめな表情で、客の決断を待っている。
ドアが開いて、入って来たのはライダースーツの面々。六人ばかりで、実際にオートバイで来たのかはわからないが、この店の客層に合致しないのは一目瞭然で、奥から警備員が出てくる。腰には自動拳銃を収めたホルスターを下げていて、大手企業や金融機関、貴金属店などの警備員には、都知事により拳銃の所持と使用が認められている。
「客に番犬をけしかけるとは、この店のマナーはなっちゃいないな」
ライダースーツの中の、小柄な男が吠えた。
「お客様、ご無礼はお許しください。なにぶん物騒な世の中でして。それで、どのような品をお求めでしょうか」
「安物はいらないぜ。先日この店にどでかいダイヤをあしらった、黄金の首飾りが入ったそうじゃないか。そいつをもらおうか」
「邦貨百二十万円の品でございますが」
「払えるぜ」
男はたやすそうに応じて、仲間の大男に目くばせした。小柄な弟より三十センチも上背のありそうなその男は、いきなりアーマーに身を鎧う。フィジカルサイバーだった。コスチュームの装備と同時に大剣を抜き放って剣風を巻き起こす。ザクッ、骨肉を断つ音。サイバーの男は大剣を横にして、平らな面に女の生首が載った大剣を店長の前に差し出す。
悲鳴が上がり、首を失ったスーツ姿の女の胴体が血を噴きながら崩れた、
「金は払えんが、コイツでどうだ。なかなかの上玉だぜ」
小柄な男はニヤニヤ笑いで、気の利いたセリフでも吐いたつもりか。剣に載った女の首は、クレジットの計算をしながら品定めをしていた、そんな思考の残滓を留めているようで、物とするには、まだあまりにも生々しかった。
「そ、そんな・・・」
青ざめて絶句する店長。
客や店員たちは一刻も早く逃げ出したかったが、出入口のあたりにもフィジカルサイバーの姿がある。ライダースーツの連中は小柄な男以外、全員がフィジカルサイバーとなっていた。
「足りなきゃいくらでもあるぜ」
小男の言葉で別のサイバーが走り、男性店員を斬り下げた。店内はもう血の海となり、逃げようとした男女が斬り伏せられる。銃声が響き、警備員が撃った銃弾は、しかしコスチュームに跳ね返される。大男のサイバーは、振り上げたプラズマソードを警備員に叩きつける。警備員の体が肩口から腰まで斜めに斬り下げられて、ズルっと断面がズレて崩れた。
「ハハハハハ、鉄でも切るプラズマソードだ、人間の体なんざぁ柔いもんよ」
小男は常軌を逸した笑い声を上げて、
「さあ、てめえの首が付いているうちにお宝出した方が、利口ってもんだろうが」
青ざめる店員に迫った。
グラウンドをジャージの集団がランニングしていた。先頭を走る三人はフォームもしっかりしていて、一定のスピードで息も乱さず、運動選手の走りであったが、後についてくる連中はフォームもなにもあったもんじゃない。グダグダになりながらどうにかついてきたって感じだったが、それも精魂尽きたとみえて一斉に地面にへたばった。
「おまえらな」
先頭を走っていた三人が戻ってきて、呆れ顔でグランドにのびている連中を見下ろした。
「まだ五周だぞ」
へたばった仲間たちを不満げな表情なのは、二十歳になるかならずの青年。ここにいるのは全員がそんな年格好の者たちである。
「五周も走ったろ」
「十周のランニングって言われたよな」
「そもそもその設定が間違ってるって」
荒い息の中から返ってくる言葉に、
「はあっ」
ムカついた表情。
「カズマ、怒るなよ。僕らだって教官じゃないんだ。陸上部の経験があったから、ランニングの指導を任されただけで、同じ訓練生なんだぜ」
先頭を走っていたもう一人は、カズマとは対象的に穏やかやな感じの青年だった。
「雅也の言う通りよ。私たちにこの人たちの面倒見なけりゃならない義理は無いし、グダグダやってて実戦で消えることになったって、自業自得でしょう」
先頭の三人のうちのもう一人は女だった。スレンダーボディをジャージに包み、きりっとした顔立ちが冷淡そうであった。
「何言ってんだよ紗良。ほかの場合ならともかく、こと戦闘となれば、仲間のヘタレはこっちにもとばっちりだぜ」
カズマがふくれっ面で言い返す。
「そのときには運が悪かったと諦めて、自力で活路を開くしかないでしょ。けどイケメン君、キミも見かけ倒しよね」
イケメンと言われて振り向いた顔に、
「てめぇがなに反応してんだ、鏡見たことあるのか、このブサメン」
紗良は罵声を浴びせ、
「黒塚君、キミのことだよ」
「えっ、オレ」
「なにが、えっ、オレだよ。すかしやがって」
先ほどのブサメンから、やっかみの声。
「いや、名前呼ばれたから、返事しただけだけど」
「そんなの気にしないで。それよりキミ、運動できそうにみえて案外ヘタレじゃん」
「運動部とか入ってなかったから」
「なにしてたの」
「楽そうなとこあちこち。最終華道部だったけど一日で辞めたよ」
「ケッ、情けないヤツ。その点俺なんか柔道部で鍛えてるもんな」
先ほどのブサメンがしゃしゃり出る。
「鍛えてるにしては、同じようにへたばってるじゃん」
ハネの指摘に、
「柔道は走らないスポーツだからな。けど、寝技は得意だぜ。教えてやろうか」
近くにいた女の子に誘いの目を向ける」
「ゲッ、マジゲス。ハネちゃん守って」
女の子はハネにすがりつく。
「口だけだよ」
ハネは面倒くさそうに応じた。
ハネが3ラボに呼び出されたのは家に帰った日の翌日だった。フィジカルサイバーとしての戦闘訓練が始まった。何週間、もしくは何カ月になるのか、期間を定めずの訓練で部屋も用意された。何日も行方不明だった息子がやっと帰ったと思ったら、翌日には家を出て、またいつ帰るとも知れないというのに、母親は寂しそうな様子も見せず、しかし穿鑿するような視線を送り、
「じゃあ、行ってくるよ」
出て行くハネに、
「しっかりおやりよ、夜羽さん」
この時はいつになく母親らしい顔で、送り出してくれたのである。
訓練では体力を鍛えたり、フィジカルサイバーになって武器の扱いや戦い方を教わったりする。訓練生は二十人ほどいたが忍者はハネとブサメンに絡まれてハネにすがりついてきた女の子、雨宮結衣と、そのブサメン蒲生新吉の三人。これに紅河サロメが加わるのだが、彼女は今日は休みをもらっている。サロメはフィジカルサイバーになってまだ一ヶ月にもならないのに、上の評価は高く、将来のエースと期待されているらしい。
体力の鍛錬が終わって、次はフィジカルサイバーとしての訓練に入る。忍者はフィジカルサイバーにおけるジョブの一つに過ぎず、他にもサムライがあるし、キクモリ公園で見たアーマーソルジャーや、まだハネたちの知らないジョブがいくつもありそうだ。ジョブごとに攻撃力や防御力に差があり、武器や戦法も異なり、長所短所も違ってくる。ゲームみたいだが実はトータルサイバーバースはゲームのシステムや世界観を参考にして構築されていると言われている。そもそもブラックノヴァはどこかの未知の世界から来たものであり、当然そちらの世界には、サムライもナイトも忍者もいないはずである。つまりトータルサイバーバースは、遥かに進んだ未知の世界のテクノロジーで構築されたものだが、その内容は地球規模でローカライズされているのだ。ブラックノヴァのインテリジェンスなら、地球の各地域、各国の歴史に精通するのも大した手間でないだろうし、ゲームシステムの理解などものの数秒であろう。ただ、都市伝説のような出所も根拠も不明な噂なのだが、トータルサイバーバースの完成には、あるゲームクリエーターが協力しているというのだ。その協力がどのような形のものなのか、また、クリエーターの氏名国籍性別など、一切が不明である。もっともこれは当然のことで、ガセネタなら一切合切が絵空事であるのだし、事実ならば、クリエーターに関する情報は最重要機密で、まず、表に出ることはないはずだ。
ジョブごとにコスチュームの機能や戦い方が違うので、フィジカルサイバーの訓練は、ジョブ別に分かれて行われる。ハネと雨宮結衣、蒲生新吉の三人がグラウンドで固まっていると、山村研究員がやってきた。教官となる忍者がいないので彼が代役を務める。と言っても、山村は忍者でもなければ、そもそもフィジカルサイバーでもないのだ。今日は白衣ではなく、薄手のジャケットにパンツのラフな装いで、やはり手にはタブレットがあった。
「忍者になる前に、動画を見ておさらいしておこうか。黒塚君はこの動画は初めてだね」
ハネは昨日から参加しているが、雨宮と蒲生は三日前から来ている。三人は山村のもとに集まり、タブレットの画面を見る。一人の男が映っている。スーツ姿のごく普通のサラリーマン。それが数秒で忍者コスプレとなる。
「彼はキミたちと同じ下忍だ。忍者には上中下の位階がある」
「それって強い順ですか」
ハネが聞いた。脳裏には、サロメが飲んだエーテルの瓶のラベルの、『上忍半蔵』の文字。
「強いとかではなくて、上位の忍者には指揮スキルがある。それがどんなものかは、指揮を受けてみればわかる」
「はーい、質問」
雨宮はすぐ隣にいるのに手を挙げる。ハネちゃんなどと甘えた声で言ってたくせに、今は山村にすり寄って、山村は迷惑そうだった。
「私たちも、努力したら上忍になれますか」
「どうかな」
山村は素直にわからないという顔をした。
「経験値を積んでクラスチェンジしないと成れないジョブもあるけど、忍者では上忍中忍下忍と、エーテルの段階から決まっていて、下忍が経験値を積んで中忍上忍へとクラスチェンジしたという話は聞いたことがない。ただ、トータルサイバーバースについてはわかっていないことが多く、絶対にないとは言い切れないけど」
ほぼほぼ無いというニュアンスだった。
「それじゃあ、あのロリっ子にずっと頭があがらないの」
ふくれっ面の雨宮に、
「チームワークが大切だからね。仲良くやってくれよ」
山村はそつなく返して、
「それじゃあ、まず君たちの着用する忍者コスチュームに、どれだけの耐久力があるか、見てみよう」
タブレットの動画を進めた。画面には小銃を持った男が現れる。日本陸軍正式三十七式ライフル。通称アリサカAR。その小口径高速弾は、五十メートルの距離なら厚さ一センチの鉄鋼板を貫通する。男は十数メートルの至近距離から忍者に連射を浴びせた。画面の隅に発射数がカウントされて、忍者コスチュームは弾を跳ね返したが、三十一発目がコスチュームを破った。
「弾が貫通したぜ。大丈夫かよ」
ハネが驚いて声をあげたが、雨宮と蒲生は既に見ているので無反応だった。
「心配いらない。それについては後で説明するから、続きを見てくれ」
次のシーンでは、忍者は何事もなかったかのように立っていて、コスチュームも無傷に見える。再び男が現れて銃を撃った。しかし今度は連射速度はかなり遅い。十秒ぐらいの間隔をおいて一発ずつ撃たれる。前は三十一発目でコスチュームは破れたが、今回は四十発目も跳ね返した。
「コスチュームが丈夫になってますね」
「同じものさ。トータルサイバーバースから提供される物にこちらで手を加えることはできない。ではなぜ、三十一発で破れたコスチュームが四十発も持ちこたえられたといえば、時間をおいて撃ったからだ。射撃の間を二十秒伸ばしている。その間にコスチュームの耐久力は、わずかずつ回復している。そう、コスチュームの耐久力は時間の経過とともに回復する。現在の人類の科学ではとても成し得ない性能だ。あの銃撃を一分おきに受けたら、千発でも持ちこたえられる。もっとも、そんなに長い時間、コスプレしてもいられないけどね」
「でも、それじゃあ、コスプレしてたら、けっこう無敵じゃないですか」
「ちゃちな拳銃を違法に所持してえいる、町場のヤクザあたりには無敵かもしれんが、君たちの相手に想定しているのは同じサイバーや、サイバーでなくても、強力な火器を装備した武装集団だ。過信は禁物だよ。それと、君が頼もしく思う性能は、サイバーならば当然相手も備えているわけだからね」
こちらの心強さは、相手の倒し難さってことか。
「耐久力はわかったけっど、コスチュームって普通に脱げないし、コスプレしている時以外は触れないし、さっきみたいに撃たれて穴が空いたら、どうやって修理するんですか。それに洗濯しないと、何度も着てたら汗臭くなるんじゃないですか」
「私もそれはイヤよ
と雨宮。
「そんなのは、トータルサイバーバースの不思議な小人さんたちが、直して、クリーニングもしてくれるのさ」
山村の答えに、ハネたちは啞然とした。
「ハハッ、不思議な小人は冗談。トータルサイバーバースにそんなものがいるのか、どんなシステムで運営されているのかも知らないけど、とにかく、コスチュームや装備品は、コスプレを解けば、次にフィジカルサイバーになるときには新品同様か新品になっている。どんなにズタボロになっても、一旦コスプレを解いて、再びフィジカルサイバーになれば、忍者やサムライ、その他どんなジョブであれ、コスチュームや武器などのアイテムは、傷一つなく更新される。コスプレを解いて、一分後に再びコスプレしたとしても問題なく更新されている。もちろん汗臭さもなしだ」
「素敵」
雨宮のうっとりした声。
「それじゃあ、三人とも忍者になってみて」
山村に促されて、三人はフィジカルサイバーとなり、トータルサイバーバースの多次元装備により着替えの手間も無く、ジョブの忍者のコスチュームが体を包む。タイトな黒装束で、ハネと、ハネより頭一つ分低い雨宮、スレンダーなシルエットと並ぶと、蒲生新吉の体型はずんぐりして見える。
「あんたのコスチューム、ぱっつんぱっつんじゃない。しゃがんだら、お尻がビリッといくかもね」
雨宮がからかう。
「バカ言うな、ベストフィットよ。おまえの方こそ小人の仕立て屋さん、あんまり胸が無いんで男ものだと思って作ってるかもな」
新吉は、雨宮の胸の小さいのをからかってヘラヘラ笑ったが、今は目もと以外はコスチュームの覆面に覆われていて、バカ笑いをさらさずに済んだ。
「ケッ、変態。私はハネちゃんと組むから、アンタは一人で忍者ごっこしてな」
「いいぜ、俺はリーダーと組ませてもらう」
「あのロリっ子、カマトトぶってるくせに実は計算高いしたたかものだよ。アンタなんか相手にしないわよ」
「ハネだって、さっきサムライの東郷紗良から色目を使われていたんだぜ。おまえじゃ物足りないさ」
「なんですって」
「いいかげんにしろよ」
ハネがたまりかねて声をあげる。
「俺たちは、チームじゃないのかよ。いがみ合っててどうするんだい」
「そうだよ、3ラボの忍者は、キミたちと紅河君の四人しかいないのだから、割れてる場合じゃないよ」
ハネの苦言に山村からの忠告もあって、雨宮も新吉もバツ悪く押し黙った。
「それじゃあ装備を確認して」
山村の言葉で、三人はコスチュームに付随する装備品を確かめた。十字手裏剣三十本と棒手裏剣六本。それとソニックソードは三人とも同じだった。ただし新吉の腰には、長さ四十センチの棒がぶら下がっていた。
「なにそれ」
「おまえはないのかよ」
「ないよ」
ハネは雨宮を見た。彼女の装備にもそんなものはなく、新吉は得意顔になる。
「それについては、後で披露してもらうとして、まずは手裏剣を投げてみて」
グラウンドには五本の標的が立ててあった。ハネたちは三十メートルの距離から手裏剣を投げた。ハネは以前に一度だけ投げたことがあるが、あれはわけもわからないまま試しに投げただけで、本格的な練習として手裏剣を投げるのは、これが初めてである。三十メートルの距離はピッチャーからバッターまでの距離よりも十メートルちょっと遠い。投擲武器の射程としてはかなりの遠距離である。投げると手裏剣は加速して投擲力に関係なく空中を飛ぶ。そんなに腕力の有りそうにない雨宮の投げた手裏剣も、標的に届くのだ。
ハネは五本連続で外して、六本目から十本連続で的に当てた。腕の動きにコスチュームの補正が入っている気がしたが、気になるほどではない。雨宮も新吉も七割ぐらいの命中率だった。
「わりと簡単じゃん」
新吉も明るい声をあげる。
「まあまあだね。それじゃあ次は棒手裏剣、いってみようか」
ハネたちは棒手裏剣を投げる。こいつは手を離れた瞬間からとてつもない加速でぶっ飛んでゆく。
「ウッホー、こいつはスゴぜ」
新吉は興奮の声をあげ、雨宮も目を瞠った。
「これって、軍用ライフル並の威力があるって聞きましたけど」
ハネの問いに、
「そうだよ」
山村は答えた。
「こんな開けた場所で使って、外したのが流れて、誰かに当たる心配はないのですか」
「君は周囲の状況に配慮できるね。有用な資質だよ。でも、その心配はいらないのさ。なぜならそれは、何百メートルと有効射程のあるものではないからだ。ライフル並の威力があるのは百メートルまで。そこを過ぎると極端にスピードは落ちて、二百メートルも届かないのさ。百メートル以内ならヒグマでも倒せるが、百五十メートル先のキツネは殺せない」
「威力の割には、射程が短いんですね」
「推進力の消滅とともに急減速の現象が起こるのだ。手裏剣はどれもそうで、十字手裏剣は三四十メートル。そこを過ぎると、当たってもかすり傷だ。だが、たとえ棒手裏剣が射程内でも、手裏剣ではコスチュームには通用しない。そこでメインウエポン、刀の出番となるわけだ」
山村の言葉を受けてハネたちは刀を抜いた。ハネは背中に差していたが、雨宮と蒲生は腰に差している。しかしそれは当人の好みではなく、コスチュームの仕様がそうなっているので変えようもない。長寸の刃物を抜けば物騒だが、ハネたちの刀は、刀剣をモチーフにしたアートな造形物といった感じで、刃物の鋭さはない。
「これで切れるんですか」
ハネは刃の部分に指を当てるが、定規の縁に触っている感じで、指を切る心配もなかった。
「確かに、指で触れてもケガしないね。じゃあ振ってみて。あっ、人に向けて振ってはダメだよ」
山村の注意に怪訝な顔でうなずき、ハネは刀を振った。
「!」
一瞬刀が水色を帯て、空間を切ったような手応えがあった。
「これは・・」
初めての感覚に驚きを覚えるハネの背中に、ビシッと鞭で打たれたような衝撃があった。もっとも、コスチュームの上からだから痛くはないのだが、振り返ると残心の構えの新吉。
「おまえ、山村さんの話し聞いてなかったのかよ」
「いや、少し離れてたから、大丈夫だと思ったけど」
「聞いていても、理解する能力がないのよ」
雨宮が笑ってくさす。
「コスプレしてたからよかったけど、普通の服装だったら血まみれだよ」
山村は笑い、
「この刀の威力を理解してもらえたかな。ソニックソードだ」
「ソニックソードっていうんですか。この刀、柄の一部が押さえるとへこみます」
「それは、ソニックソードのトリガーだよ。ただし銃とは逆で、引くと溜めになり、放すと解放する。ソニックソードは、コスプレして持っているだけで斬波動が溜まるが、トリガーを押さずにおくと自然に解放されてニュートラルな状態になる。それでも素振りしただけで多少の斬波動は放たれるから、人に向けて振るのは危険なんだ。ただし、コスチューム相手には斬波動を飛ばしていては通用しない。直接打ち込む必要がある。そしてソニックソードは、斬波動を溜めておくほど切れ味が増す。特に堅いアーマータイプの敵に対しては、マックスかそれに近い斬力状態で打ち込まないと、効果的なダメージをあたえられない」
「さっき、一瞬刀の色が変わりましたけど」
「そのことも含めて、動画を見てくれ」
ハネたちは再び、山村のタブレットに見入る。画面には先ほどの忍者が現れて刀を抜いた。ハネたちと同じソニックソードだ。刀を振ると刀身が水色になる。さらに色は変化し、青系統の濃度を増してゆき、コバルトブルーから群青に変わり、それが一転オレンジ色になる。さらにオレンジから赤に赤から金色となり、そのまま十秒経つと刀身は元の鉛色に戻り、軽く振ると水色となりまた一連の色の変化を繰り返す。山村は画面を止めて解説した。
「刀の斬力は色で分かる。トリガーを押さえて一振りすれば、即座に第一段階の水色になる。斬波動が溜まると明るい青のコバルトブルーに変化して、さらに深い群青になってから、一転オレンジ色になり、それから赤、そして最高段階金色になる。水色は普通の刀程度の斬撃力、コバルトブルーで鉄板に食い込むぐらいか。最高段階の金色では大砲の砲身も切断できるぐらいになる。だが、金色のままなにもしないで十秒経つと、斬波動マックスとなりリセットされてしまう。大砲をも断ち切れる切れ味から、斬波動ゼロの紙も切れないナマクラに戻り、また水色から金色へのサイクル」
「なんか、使い勝手の悪そうな刀ですね」
刀身の色が変わり、それとともに切れ味もクルクル変わる、なんとも扱い難そうな武器に、ハネには思えたのだ。
「慣れれば、そんなに使い難くもないよ。ソニックソードを使う上での注意点は、斬り合いにはオレンジ色から上の状態をキープして臨むこと。それと、パンクさせないことだ」
「パンクって」
「斬波動がマックスまで溜まって、金色から一気に斬波動ゼロの無色にまで戻ることだよ。実戦中にこれをやる大きく不利になるからね」
「でも、溜まってゆくもんでしょ」
「トリガーを戻して斬波動を抜くんだ。だが、抜き過ぎると金色から赤、オレンジと斬撃力が低下する。僕はフィジカルサイバーでないので、ソニックソードを振るったこともなく、経験に基づく有効なアドバイスをしてあげられないのは、申し訳なく思っているよ。それじゃあいったん刀を納めて、もう一つ重要なことがある。画面を見てくれ」
ハネたちはソニックソードを鞘に納めて山村のもとに集まり、またタブレットの画面に目を注いだ。画面には忍者の他にもう一人、アーマータイプのフィジカルサイバーが現れた。手には槍を持っていた。柄の先の剣が青白く光る。プラズマソードの槍だ。二人は向かい合い、アーマータイプが槍を突き出す。忍者は避けも受けもせず、カカシのように突っ立って槍に刺された。プラズマソードの槍は忍者コスチュームを貫通して、腹部を深く突き刺したように見えた。
「これって、芝居じゃなくて」
ハネの問いに、
「芝居というか、実演。アーマータイプも味方のフィジカルサイバーだけど、刺しているのは本当。普通だと致命傷の重傷だよ」
「味方なら、どうして・・」
「まあ、見てなよ」
槍を引き抜かれた忍者は、腹部を押さながらよろめき、今にも倒れそうだった。まさに瀕死の状態でコスプレを解いて、サラリーマン風のスーツ姿に戻った。すると、いまにも死にそうだったのがウソみたいにしゃんとしている。スーツのホコリを払うしぐさなどして、すまし顔で佇み、傷の痛みに耐えているようには見えない。
「刺されたのは、演技だったのですか」
「演技じゃない。本当に刺されて、瀕死の重傷だったんだ」
「けど、もう、まったく無傷な様子じゃないですか。まるで、コスプレ解いたら治ったみたいに」
「そう、コスプレを解いたら治るんだよ。どんな重傷も一瞬でね」
ハネは冗談かと思ったが、山村は真顔だった。
「知ってた」
ハネは二人を見る。
「前にその動画見せられたけど、まだ、半信半疑よ」
と雨宮。
「死にそうになっても、一瞬で全快って、ゲームキャラみたいで、いいじゃん」
能天気な新吉。
「トータルサイバーバースの魔法だよ。どのような仕組みかは、人類の未だ知り得ぬところだけどね」
「けどそれじゃあ、フィジカルサイバーって、不死身じゃないですか」
「トータルサイバーバースの魔法も万能ではないよ。コスプレ中に負った傷なら、コスプレを解除すれば一瞬で回復するけど、傷を負った状態でコスプレしてもそれは治らない。解除してもそのままだ。それに、無闇にコスプレを解除して、無防備な状態を襲われたら一巻の終わりだ。仲間の助けが必要になる」
「チームワークが大事ってことですね」
「そうだね。それともう一つ、重要なことがある。いまのキミたちにはコスプレを解除するのも造作もないが、負傷するとこれが難しくなる。精神の揺らぎで不用意にコスプレが解除できないように、バイタルが不安定になるとロックがかかるんだ。傷の痛みに耐えながら、この作業をするのはかなりの負荷らしく、コスプレを解除できないまま命を落とす者もいる。そうならないために、さっきの忍者のように、味方の攻撃を受けて重傷を負い、コスプレを解除する、そういう訓練も必要になる」
「それ、痛くないですか」
ハネが、不安気な表情で問う。
「コスプレを解除すれば、傷も痛みも即座に消える。だがまあ、死なない程度に斬られたり刺されたりするのだから、その時は当然痛いよ。そもそも苦痛に対する耐性を練る訓練でもあるわけだし」
それはそうなのだが、これは、ガキの頃にビビった予防注射の痛さ程度では、当然済まないはずである。
「私は、麻酔かけてからやってもらいます」
初耳だったらしく、雨宮が言った。
「さっきの話聞いてなかった。それじゃ意味ないでしょう」
「なんだ二人とも、注射にビビるガキみたいな顔してよ。情けないぜ」
蒲生新吉は、ここぞとばかりに二人を見下し、
「そこへゆくと、俺なんかとうに覚悟は出来ているのよ。さあハネ、その刀で、この腹をブスリとやってみろ」
度胸のあるところをみせようと、腰に手を当てて、仁王立ちになる。
「そんなわけにはゆかないよ。外傷訓練は万一の場合に備えて、医療スタッフを配置してからやる決まりなんだ」
「なんだい」
山村の言葉に、拍子抜けの態を装う新吉だったが、内心の安堵の色の隠しきれていなかった。
「それは後日として、蒲生君、君のその武器を見せてくれ」
蒲生新吉は注目されるのが嬉しくて、いそいそとホルスターに収まった武器を抜いた。不格好な棍棒かと思ったら、折りたたみ式の鎌だった。鎌の柄の後端には細い鎖が付いていて、鎖は腰の収納ケースに続いている。その収納ケースからして新吉のコスチュームにしかないものだった。手を入れて鎖の束を引っ張り出す。先端には六角錘の分銅が付いていた。
「それって、鎖鎌じゃね」
ハネがマンガで見たことのある武器だ。
「そうだね」
新吉は嬉しそうに、鎖を回そうとしたが、
「まった」
山村は止めて分銅を注視した。
「その分銅はヤバそうだ。みんな離れて」
ハネたちが離れて見守るなか、新吉は鎖を回す。アクセサリーに付いているような細い鎖だが、トータルサイバーバース製だ。車を吊り上げるぐらいの強度はあるかもしれない。ビュンビュン鎖を回していた新吉が妙な顔をした。
「どうかしたか」
ハネが声をかける。
「鎖鎌関係の表示が読めるぜ。コイツは思ったより面白そうだ」
新吉は鎖を繰り出してゆき、鎖は頭上で旋回の径を伸ばす。鎖は急にイナズマのように飛び、そして竜巻のように螺旋を描くと、また新吉の頭上で回転する。
「どうやってやった」
物理的には有り得ない動きに、ハネは啞然とした。
「知らんけど、こいつを自在に扱えるようになったら面白そうだ」
「フィジカルサイバーの戦闘に、ただの鎖鎌なんて使い物になるわけないから、出てくるとしたら、それなりの性能のものでしょう」
山村は驚きもしない。
ビュンと鎖が伸びて地面を打った。派手に土砂が上がって、スコップで二三回掘ったぐらいの穴ができていた。
「手榴弾ぐらいの破壊力ですかね」
「火薬が仕込まれているんですか」
「そんなローテクじゃないでしょう。運動エネルギーを衝撃波に変換するメカニズムかもしれない。蒲生君、鎖を収めて」
新吉は鎖を回す手を止めて、命を失ったみたいに地面に落ちた鎖を手繰りケースに収めると、鎌の刃を折りたたんでホルスターに収めた。
「どうだい、俺の鎖鎌は」
「なんか、凄いね」
ハネは新吉の自慢に合わせてやった。
「おまえらは、なんか特別なの持ってないのかよ」
「なにもないけど」
ハネは雨宮を見た。
「私は、しいていえば、この悩殺ボディかしら」
しなをつくる雨宮に、ハネは無反応で、
「同じジョブなのに、装備に差が出るのはなぜですか」
山村に聞いた。
「飲んだエーテルによるものだと思うけど、同じジョブでも特別装備の者がいたら、戦略にも幅ができるでしょう」
「俺のは名前付きのエーテルだったからな。名前付きのエーテルは、レアで特別なんだぜ」
ひけらかす新吉に、
「俺も名前付きだったぜ」
ハネが言い返す。
「なんて名だよ」
「下忍サスケだ」
「なにそれ、ひねりも何もないな。忍者でサスケなんて当たり前すぎるだろう。雨宮、おまえはどうだよ」
「「ただの下忍だけど」
「へっ、味気ないぜ。そこへゆくと俺なんか、古風で品があって、いかにもって名前だぜ」
もったいつける新吉。
「なんて名だよ」
「聞いて驚くな、下忍与太郎だ」
どうだとばかりに名乗った新吉だったがあ、ハネと雨宮はキョトンとした表情で、ついに雨宮が吹き出した。
「なにソレ、マジ笑えるわ」
「伝説の忍者、ケツ飛び与太郎を知らないのかよ」
「そんな伝説、知らんがな」
ハネもぞんざいに返す。
「くさしてくれるけど、おまえら、特別な装備なんてないだろう」
「鎖鎌はいらないよ。俺はサロメの剣が欲しい」
「ああ、アレね」
山村も知っているようだ。
「僕もあんなのは初めて見たよ。今までの上忍に、あんなのを装備していた者はいなかったようだ」
「俺もあんなの欲しいけど」
「まあ、無理だろうね」
山村はハネの希望に絶望的な見解。
「トータルサイバーバースについては仕組みもわかっていないから、確定的なことは言えないけど、今までのデータをみると、レベルアップして装備が追加されることはあるけど、あんな大業物が出てきたことはない。ああいう大業物は、名前付きのエーテルで、最初から付属している場合がほとんどだよ」
「武器がどうこうより、大事なのは腕を磨くことだぜ」
新吉が、柄にもなくまともなことを言う。
「それより忍者って、私たちだけなの。動画の人に指導して欲しいけど」
雨宮の希望に、山村は首を横に振る。
「残念ながら、動画に出てくるあの人は二ヶ月前に殉職されたんだ。現在3ラボがサポートを担当するサイバー特課湾岸支部所属の忍者は、紅河君と君たちだけだ」
それを聞いて、ハネは人生終わったかもと思った。あんなシャキッとした、腕の達ちそうな人でさえ命を落とす戦場を、このメンツで生き延びれる気がしないのだった。
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