第4話祝砲
大きな窓から吹き渡るそよ風が心地よい。窓の外は薄もやがかかったようにハッキリしないが、緑に彩られた庭園のようだ。部屋の中も乳白色のもやに満たされて、すべてがぼんやりとしているが、宮殿のように奥行のある空間。話し声が聞こえる。男女のほがらかな声は、人生になんの懸念もない人たちの屈託のない響。
——どこだろう、俺の人生にこんな場所があったのか——
ハネは訝しみながらも、懐かしさを覚えた。もやの中に動く人影を目で追いながら、何かを叫ぼうとして・・・
目を覚ますとベッドに寝かされていた。ベッドの横に見慣れぬ機械があり、モニター画面に青い光が波形を描き、数字が十秒ぐらいの間で変わっている。そして、その機械から出ているコードの先端の装置がハネの手首に粘着テープで貼り付けられている。点滴のスタンドもあって、垂れ下がったチューブの先が腕に刺しこまれていた。
——なんか、入院しているみたいだな——
いままで大きな怪我や病気とは無縁に生きてきたハネには、初めての経験だ。
ゆっくり体を起こす。けだるさがあったが、大きなケガがあるようではない。。手首に付けてあった装置を取り外して、点滴の針も抜いた。足を床に下して、ベッドから立とうとしていると、ドアが開いて女性看護師が駆け込んできた。
「アラ、目覚めたのね」
ドアを開けたとき輝いていた目が、急に冷めたまなざしとなる。
「腹が減ったんで、売店でパンとコーヒー牛乳買おうと思ってるけど、俺の財布知らない?まだ十円ぐらい入っていたはずだけど」
「なにいってんの、先生に診てもらうまでは動いちゃダメよ。あっ、はずしている。点滴の管も取って、急変したかと思ったじゃない」
ハネの腕に貼り付けてあったのは、脈拍その他、バイタルを測定する機械のセンサーで、異変があれば看護師のリストウォッチに知らせるようになっている。
「死んだかと思った患者が、無事に起き上がってんだから、そんな、あいにくな顔しなくてもいいんじゃないの」
「驚いただけよ。いま、先生呼ぶからね」
看護師はリストウォッチに話しかけた。
「ナースセンター」
短い呼び出しの間があって、
「五号室、ええ例の患者。いえ、そうじゃなくて、目を覚ましました。いま、起き上がってます。担当の山村ドクターをお願いします。それと、そちらの準備はキャンセルでよろしいかと」
看護師は連絡を終えると、ハネに体温計を手渡す。
「計って」
ハネは体温計を脇にはさみ、改めて病室に目をやった。個室だった。セレブが使うような豪華な部屋ではないけど、病院で個室は高額だと母親が話していたのを思い出した。
——おふくろ、柄にもなく奮発してくれたのかな。まあ、なんだかんだ言ったって母一人子一人だから、こんな時には財布の紐も緩むだろう——
そんなことを考えていたら、体温計が電子音を鳴らし、それと同時にドアが開いた。 ハネの担当は山村という若い医師で、整った髪型に銀縁メガネ、白衣を着た様もそつのなさげなたたずまいは、ハネの高校の進学組の秀才が、順調に行ったらこんなのって感じだ。
ハネは短い診察のあと、検査にまわされた。ℂТや採血、脳波調べたり、いろいろな検査を受けさせられた。それが済んで病室に戻ると、服が畳んで置いてあった。放課後キクモリ公園に行ったときに着ていた、制服のシャツとズボン。が、よく見るとシャツもズボンも新品だった。はいてみるとズボンはちょっと短い。シャツはピッタリ、前に着ていたのと同じサイズだ。薄っぺらい財布もそばにあった。札はなく、五円銀貨一枚と十銭銅貨が五六枚だ。
「目覚めたのだね」
声に振り向くと中年の男が、担当医の山村と連れ立って入っていた。風采は山村とは対象的。ヨレヨレのシャツに薄手のジャケットを羽織り、グレーのズボンもくたびれていたが、革靴は黒光りしていた。うだつの上がらない感じだが、顔に見覚えがあった。
「あなたは、サイバーに電気ビリビリのかんしゃく玉を投げて、助けてくれた人ですね」
ヨシキを手にかけた、アーマーソルジャータイプのフィジカルサイバーに殺されそうになった時、何かを投げつけて奴の動きを封じて、助けてくれたのだ。
「おかげで生きていられます。命の恩人です」
「たまたま、あの場に通りかかっただけ。キミがツイていたのさ。恩に着る必要はない。来島省吾だ」
「黒塚夜羽です。拳銃持ってましたよね」
「今も持ってるぞ」
「警察の人ですか」
「政府職員だ」
所属や役職は言わないで、単に政府職員で済ますところはうさんくさいが、どうやら公務員のようだ。
「ヨシキはどうなりました」
「キミの友人かい。彼はツイてなかったね」
やはりそうなのか。ヨシキはハネの少ない友人の一人で、くだらない話題で盛り上がれた、気のいいヤツだったのに。
「君は第四高校だったね。合同葬があったと聞いたが」
「合同葬ですか」
「第四高校では、他に何人も犠牲者が出て、それで、合同で葬儀をしたんだ。警視庁の幹部も出たと聞いたが、あれ、先月だったかな」
来島は山村に聞いた。
「えっ、先月って、今日、何日?」
驚くハネに、山村は手にしていたタブレット端末の、カレンダー画面を見せた。
「オレ、二十日も寝てたんですか」
信じられないハネであった。
「それじゃあおふくろにも心配かけたな。声を聞かせたいんで、電話借りれます」
ハネはスマホを持っていなかった。
「それとも、既にそちらから連絡がいってて、こちらに来る途中ですか」
「いや、実は、君がここにいることは、お母さんにも知らせていないのだ」
「なぜです。四高の生徒だって身元もわかっているのに、入院していることを家族に知らせないなんて、普通、あり得ないでしょう」
「それは、君の置かれた状況が普通じゃないからさ」
来島は言い返すと、
「おい、君に預けたんだがな」
来島の言葉で、ハネは自分がなぜここに来ることになったのかを思い出した。預かったケースを開けて、中のドリンクをサロメが飲み、自分も飲んだ。そして、気を失ったのだ。
「飲んだよな。既に検査でそのことは確認してあるから、しらばっくれても無駄だぜ」
「すみません」
「飲んだことを怒ってはいないのだ。こちらも手間が省けた」
「手間ですか」
「君の飲んだアレは、エーテル(霊薬)なんて洒落た名前がつけられてろけど、トータルサイバーバースに登録するためのアイテムみたいなものですよ」
ここは、来島に代わって、山村が説明した。
「エーテルを飲むことで、君の存在はトータルサイバーバースとリンクして、所定の装備を支給される。それがフィジカルサイバーです。ただし、このエーテルがなかなかに厄介な代物でね。適合しない者に飲ませると、死ぬことも多く、死ななくとも登録不全でフィジカルサイバーになれなっかったりする。それじゃあ、どんな人間が適合するのか、遺伝子解析で割り出そうとしてもうまくゆかない。トータルサイバーバース製のエーテルには一つ一つに微妙な差異があり、遺伝子解析による適合者の割り出しを難しいものにしているのです。そしてエーテルそのものについては、こちらの科学技術では、どう分析しても、まだなにもわかっていない。エーテルの使用は常にリスクがあり、君はそのリスクを一人で引き受けてくれたのです」
アレは相当にヤバいものだったようだが、自分はそのリスクを克服したみたいだし、勝手に飲んだ責任も追及されなさそうなので、安堵したハネであった。
「どんなに適合検査をしても、飲めば往々にして不測の事態が起きる。だから、万一の事態となってもすぐに対処できる、設備やスタッフの揃っている施設の中でないとエーテルなどは飲めないのだが、野外飲み干すとは、恐れ入ったぜ」
来島はさらに続けて、
「それにデジタルピッキングで、ケースを開けたのにも驚いた。あのケースには、敵に奪われた場合に備えて、爆弾が仕掛けられていたのだ。無理やり開けるとドカンとなる仕掛けだったが、よくぞそのトラップを回避できたな」
愉快そうな来島だったが、知らないうちに、危ない橋を渡っていたものだと、今さらながらに肝の冷えるハネであった。
「それじゃあ、君の新しい能力を見せてもらおうか」
期待する表情の来島に、
「けど、自分がフィジカルサイバーになったような感じは、全然しないんです。まったくいつもの俺なんですけど」
自信なさそうなハネに、
「最初はみんなそんなもんさ。とにかくついて来てくれ」
来島は問題ないと請け合い、ハネは二人について病室を出た。
廊下を歩いて、エレベーターの前に立った。そのエレベーターは誰もが乗れるものではなさそうで、山村が身分証をかざすと、ドアが開いた。エレベーターに乗り込み、降りてゆく。山村が押したのは地下二階のボタンだ。
地下に降りて,エレベーターを出ると、長い廊下が続いていた。
「病院の地下に、こんなに大きな施設があるなんて知りませんでした」
「まだ話してなかったね、ここは病院ではないよ」
山村の言葉に、
「でも、まんま病院だったじゃないですか」
キツネにつままれたようなハネであった。
「職務上必要だから、医療設備も整えてあるし、資格のあるスタッフも配置している。ちなみに私も医師免許を持っている。でないと、国の施設で医師法違反することになるからね」
「そうか。だから他に患者さんを見かけなかったんだね。立派な病院なのに、流行っていないのかと思った」
「一般の患者は受け入れないからね」
「警視庁所属の、サイバー事案対応機関、サイバー特課の支援施設、第三特務研究所、通称3ラボだ」
来島が言った。
「山村君も山村医師ではなく、山村研究員が正式の役職名だ。ちなみに私はサイバー特課湾岸支部の、来島班長だ。そして、ここでいうサイバーとはフィジカルサイバーのことだ。いわゆる電脳空間のサイバーを、一次サイバーとかいう。ウチはそちらにも強いが、メインはフィジカルサイバーだ」
四五十メートル歩いて、来島はドアを開けた。
「フィジカルサイバー専用の屋内訓練場だ」
天井の高い体育館ほどの広さの空間だ。
「さあ、フィジカルサイバーになってみろ」
「そう言われても、どうやっていいのかさっぱりです」
「閃かないのか」
来島は山村に目をやる。
「検査では、機能が定着していることは間違いないので、後は始動スイッチを入れるだけですが」
「えっ、寝ている間に、俺、なにか埋め込まれたんですか」
ハネの脳裏に、子供の頃に観た特撮番組の人体改造手術のシーンが蘇る。
「そうじゃないよ。エーテルを飲んで、君は意識の深いところでトータルサイバーバースとリンクしているから、あとは、なにかきっかけをつかめば、フィジカルサイバーとして覚醒できるはずなんだ。そこのところを比喩的に始動スイッチと言ったのさ。なにか、今までと違う感じがしないかい」
山村に聞かれて、ハネは内面に意識を集中させる。
「あれ!」
「どうした」
間髪入れず、来島が問う。
「頭の中なのに触覚がある感じ。なな!なんだこれ」
ハネが一人で驚いて、やや滑稽の図であったが、しかしその体が見る見るうちに黒装束に包まれてゆく。
「やったじゃないか」
来島は歓声を上げる。
「コレって」
「おめでとう。おまえさんはフィジカルサイバーの忍者になれたのだ」
祝福する来島の手には拳銃があり、銃口をハネに向けている。
「な、なにするんですか」
驚くハネに、
「祝砲だよ」
立て続けに銃声がとどろいた。
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