第3話エーテル

 今イケブクロと呼ばれているその地域が、壊滅以前の池袋なのかはわからない。ニュー東京は地名もなにか曖昧で、適当感がするのである。キクモリ公園は駅にほど近い広場で、あたりのビル街も、壊滅以前の大東京のビル街と比べるとお粗末なものだ。

 バンを改造した屋台が出ていて、ハネとヨシキは一円五十銭でたこ焼きを買った。これもタコだかなんだかわからない代物だが、粉ものにハズレ無しがヨシキの持論だった。確かにお好み焼きも、代替肉や正体不明の具材を、ザクザク切ったキャベツと一緒に小麦粉の生地に絡めて焼いて、ソースをぶっかければイケたものである。

 公園の仮設の舞台では、ちらほらと集まってきた観客をまえに、バンドのメンバーたちが楽器を鳴らしていた。本格的な演奏ではなく、本番前の軽めの練習で、素人臭さが抜けきっていない無名の新人バンドだ。壊滅以前の東京だったら見向きもされないイベントだが、ニューとは付いているものの、なんもかんもがチープになっているニュー東京である。

「カッコつけてるわりには、イマイチじゃね」

 ハネの感想だった。

「俺もあんな風に演奏できたらな」

 ヨシキはタコ焼きを食いながら憧れの表情。

「バイクだ、バンドだと気が多いね」

「まあ、演奏なんて俺には無理そうだから、そっちは諦めたけどね。ハネちゃんは、バンドに限らず、なにかやりたいとか思ったことない」

「「あんまりないな」

 ハネは今まで、なにかに情熱を注いだり、青春を賭けたいとか思ったことはなく、あんな風だったらいいなぐらいの憧れを抱いたことはあるが、それに向けて行動を起こしたりとか、そんな熱量とは無縁だった。前に、少しだけつきあった女の子から、アンタって、人生投げやりと言われたが、ハネの人となりを言い得ていると言えよう。

「・・・・」

 ハネはあたりを見まわした。

「どうしたの」

「なんでもないけどよ」

 妙に、背筋がゾクッとした。

「くたびれたぜ、あっちへいって休まないか」

 ハネは公園のすみのベンチを指さした。

「もうすぐ演奏が始まるよ」

 ヨシキはタコ焼きを食べ終えて、待ちきれない表情だった。

 舞台の前には人が集まってきて、ハネは落ち着かないながらも演奏の始まるのを待った。そして、パンッパンッパンッ、耳に響く乾いた音は、ドラムではなく銃声。

「テロだ」

 誰かの叫びに、人々は一斉に逃げだす。

「なんで、そんなものが出てくんだよう」

 ヨシキは腹立たしげに、タコ焼きの入れ物を叩きつけた。

「腹を立てている場合かよ。逃げるぞ」

 ハネはヨシキの腕をつかんで走り出した。

 壊滅的な状態から復興をを遂げつつあるニュー東京であるが、テロには悩まされ続けていた。いや、ニュー東京だけではない。ブラックノヴァの出現で世界の政治や軍事情熱が枠組みごと変った。テロ組織も生まれ変わり、世界が新しい状況に対応する中で、その脅威は世界中に拡散した。テロは世界中で起こっていて、ニュー東京は戦場の一つに過ぎない。そしてテロの脅威を増大させているもう一つの要因が、

「サイバーだ」

 叫びがあがる。

 公園のあちこちに現れたのは、中世ヨーロッパの甲冑を思わせる銀色のコスチューム。時代の遺物?いや、これこそが最新鋭の殺戮装備なのだ。重い鉄の鎧に見えてТシャツ一枚分ぐらいの重さしかなく、それでいて厚さ二センチの鉄板も貫通する、重機関銃の弾をも跳ね返す、超絶級の堅牢さだ。手にしている剣は電磁ソード。鉄をも切り裂く業物である。サイバーコスチュームの、タイプ、アーマーソルジャー。これも反重力モーターや龍と同様にブラックノヴァがこの世界にもたらしたものだ。それがどういう経緯でかテロリストの手に渡り、テロ行為に使われている。こいつの厄介なところは、普通の服装から即時に装備出来ることだ。武器も丸腰から、コスチュームとともに装備完了となる。ブラックノヴァが構築したトータルサイバーバース。多次元装備と超空間転送がかのうなこのネットワークシステムが、こんな魔法も可能とさせる。

 群衆の中からいきなり戦闘力戦車並のテロリストが現れては、取り締まる側も対応が難しいのだ。サイバーコスチュームを装備する戦士を、フィジカルサイバーと呼ぶ。この場合のサイバーとは電脳空間を意味するのではなく、魔法のように強力なコスチュームを装備して戦うさまが、テレビゲームやVRゲームのキャラクターを彷彿とさせるところからきている。ゲームのキャラクターのような荒唐無稽なまでの存在でありながら、そのもたらす破壊も死も現実の、リアルキリングマシーンなのだ。

 フィジカルサイバー、あんなものに目をつけられたら、虎に狙われたウサギ。逃げるしかないのだ。

 フィジカルサイバーは公園のあちこちに現れて、逃げまどう人々に武器を振るい、ハネの視界にゾッとする光景が流れる。

「こんなところで死んでたまるか」

 ハネは吠え、がむしゃらに走るのだったが、ヨシキに腕を引かれた。

「こんなところでバテてらんねぇぜ」

 振り返ったハネは愕然とした。ヨシキの腹が裂けて真っ赤である。

「ハネちゃん・・オレ、もうダメみたい・・」

 ヨシキは白い顔で、吐く息が今にも途切れそうだ。

「おっ、大げさだぜ。そんなのかすり傷さ」

 ハネは顔面蒼白となって、こわばった笑みを浮かべるのがやっとだった。

「おっ、負ぶってやるよ。病院で手術してもらって、明日の朝にゃ・・」

 話しているあいだにも、ヨシキの目から光が失われてゆく。

「ああ、ガゼル、乗りたかったな・・・」

 ため息とともに、そんな言葉を残してヨシキは崩れかかる。

「おっ、おい」

 慌てて抱き止めたハネだったが、ヨシキは息をしていなかった。

「そんな・・・」

 ヨシキを寝かせて途方に暮れるハネだったが、

「友達が死んで悲しいかね」

 冷たい声を浴びせられて、息が止まりそうになった。ゆっくり顔を上げると白銀の甲冑があった。右手の電磁ソードが青白く光る。常に細かな波動を帯びるこの手の武器に血のりはつかない。

「テメェがヨシキをやりやがったか」

 怒りをぶつけるハネに、兜のフェイスガードがオートマチックに開いた。青い目の白人の男だった。翻訳アプリを搭載しているのだろう、おかげで外人でも流暢な日本語を話すのだ。

「悲しまなくてもいい。すぐに友達に会わせてやる。あの世の旅も、友達と一緒なら寂しくなかろう」

 アーマーソルジャーは電磁ソードを振り上げる、ハネは腰を浮かせて、次の瞬間体を翻して走り出す。いくら頭にきていても、コイツにぶつかって行くほど血迷ってはいない。

 アーマーソルジャーは余裕の笑み。サイバーコスチュームをプレイ中は、桁違いの運動能力を与えられている。ハネが百メートルの世界記録を持つ人類最速の男だとしても、逃がす気づかいはないのだ。

 一人の男が駆けつけて来て、何かをアーマーソルジャーに投げつけた。雷が落ちたような音がしてハネが振り返ると、クモの巣が絡みついたように、アーマーに無数の青白い光がパチパチと走る。

「クソ」

 フィジカルサイバーはいまいましそうな顔で、フェイスガードを閉ざしたが、金縛りにでもあったかのように、動けない様子であった。

「逃げろ」

 無精ひげの冴えなさそうな中年男だった。

「でも、ヨシキが」

「死んだ者は救えん」

 男は厳しい現実を突きつけて、首から下げていた、双眼鏡のケースを思わせるひも付きのハードケースを投げ渡した。

「クソどもに奪われるな。危なくなったら、どこか見つかりそうにないところに投げ捨てろ。奴らに渡すぐらいなら、後で回収できなくても構わん」

 男はジャケットの下から大型の拳銃を出した。ニュー東京も日本なので、民間人の銃所持は違法なはずだが。

「あなたは・・」

「グズグズするな。長くは止めておけぬ」

 ハネはもう、ヨシキに目をやることなく走り出した。

「電磁手榴弾とは油断したぜ。だが、少し痺れただけだ」

「これならどうだ」

 男は拳銃を撃ったが、アーマーに弾かれただけだ。

「チッ、さっぱりかよ」

 ぼやく男を前に、アーマーソルジャーは動きを取り戻しつつあった。


 わき目もふらずにひた走るハネであったが、横から出された細い足に、足を引っ掛けて前のめりに倒れた。ハードケースが首から外れて転がる。

「クソ、なにしやがる」

 這いつくばった格好のハネの前で、細い手が転がっていたハードケースを拾いあげる。

 あわてて立ち上がったハネが相手を見る。セーラー服の幼顔に、

「あっ、おまえはニャロメ」

 バシッ、強烈なビンタがハネの頬を打つ。

「痛っ、サロメだっけか」

 手の跡ができたかと思うほど、ヒリヒリする頬をさする。 

 紅河サロメは、そんなハネに目もくれず、ハードケースを仔細に眺めて、セーラー服のポケットからカード型の電子機器を出した。それをハードケースのロック部分に当てると電子音がせわしげに鳴って、カチッ、ロックの外れる音がした。

「さすがセナ、いい仕事するわ」

 サロメはケースを開ける。

「それは俺が預かったんだぞ。勝手なことするな」

 ハネの文句など意に介さず、サロメはケースの中に目をやる。衝撃から品物を守る低反発の敷物の上に二本の瓶があった。大きさはドリンク剤の瓶と同じ、内容量百ミリリットルぐらいか。サロメは瓶のラベルを確認して一本取ると、ケースをハネに投げ返した。

「ソレが何なのか知っているのか」

「フィジカルサイバーになるクスリよ」

 サロメは蓋を開ける。蓋は瓶からはずれない。ねじると変形して飲み口が開く仕組みで、一度開いたら閉じることはできない。

「そんなの飲んで、大丈夫なのかよ」

「死ぬかもね。でも、私は死んでも強くならなきゃいけないの」

「死んだらおしまいだぜ」

「強くなれなきゃ、いずれおしまいなのよ」

 そしてサロメはドリンクを飲んだ。悲劇の王女が毒酒をあおるように、天を仰いでソレを一滴残らず流し込むと、空の瓶を捨てた。それを拾ったハネがラベルを読むと『上忍 半蔵』とあった。

「なんともないのか」

「今のところ・・・来たかも」

 サロメの顔が緊張を帯びる。突然、彼女の体が黒い衣装に包まれてゆく。セーラー服を着ていたはずだが、瞬く間にメタルな質感の黒装束となる。黒のタイトなボディスーツとパンツを着込み、頭部も黒く包まれて、目元から鼻の中ほどあたりが開かれている。それは布を巻いた頭巾と違い一体成型された感じで、脱ぐときどうするのだと思う。うなじのあたりの隙間から、サロメのロングヘアがサラサラとこぼれている。

「どうなってんだ。セーラー服は」

「つけているのはわかるけど、ここにはない、妙な感じよ」

 靴も、スニーカーを履いていたのがブーツになっている。

「不思議だよな。スカートとか、どげなっちょる」

 じろじろ下半身に目をやるハネに、サロメの蹴りがとんだ。

「いちいち痛いな。なにしやがる」

「イヤらしいんだよ」

「俺は純粋な好奇心から、この不思議な現象を観察してただけだろうが」

「フン」

 鼻であしらうサロメは、新たな感覚を覚えて背中に手をやる。何かが背中にあった。つかんでゆっくり引き抜く。その細身には似合わぬほどの大刀である。そして一般的な刀剣のイメージと異なるメカニカルな形状で刃物の鋭さとは違うが、強烈に武器としての雰囲気を醸している。

「なんだよ、ソレ」

 ハネも目を瞠る。

 十数メートル離れたところに、人の背丈ほどの自然石があった。オブジェとして置かれていて、景観の中でそれなりの存在感を放っていたが、サロメの目には無用の長物。近づいて刀を振りかぶる。そして一颯。そこに起こったのは太刀風とは違う、空間の歪みのようなゴツイまでの波動。ゴトン、重量物の落ちる音がして、石は斜めに断ち切られて、一抱えもある片割れが、艶やかな断面を見せて転がっていた。

「スゲー」

 目の当たりにした威力に興奮したハネは、

「俺もサイバーになって、ヨシキの仇を討ってやるぜ」

 ケースに残っていたもう一本の瓶を取り出して、一気に飲み干した。飲んだ後で、ふと見た瓶のラベルには、『下忍 佐助』とあった。

「なんか、鉛を飲んだみたいな感じ」

 顔をしかめたハネだったが、次には全身を痙攣が襲って倒れた。

「おふくろ悪い、先、逝きそうだわ」

 白目を剝いて気を失ったハネに、サロメは舌打ちして刀を背中の鞘に収めた。初めての動作なのに、よどみなくしてのける。そして鞘に収まった刀は、鞘ごとサロメの背中から消えた。

 少し迷ってから、サロメはハネを背負った。こんな細身の少女が、自分よりも上背のある男子生徒を簡単に背負えるわけもないが、サロメは苦も無くしてのけた。フィジカルサイバーになると、コスチュームを装備するだけでなく、肉体的にも強化されるようだね。

 ハネを背負ったサロメは走り出したが、とても人を背負っているとは思えぬ、常人の域を超えた速度であった。

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