第2話ブラックノヴァ

 そこがいつからそう呼ばれているのかハッキリしないが、少なくとも二千百年以前の東京にキクモリ公園なんて地名は無い。東京は核ミサイルの攻撃を受け、それからまた、第一次極東紛争、第二次極東紛争とかあって、途方もない破壊の涙に幾度も襲われて、都市は崩壊して、数えきれないほどの犠牲者を出した。かって世界トップクラスの繫栄を誇った大都市は壊滅の瀬戸際に追い込まれた。それがニュー東京の名のもとに本格的な復興の歩みを始めたのが二千百六十年代。それも、しかし遅々としたもので、何十年経っても、荒廃の跡を拭いきれていない。都市の形も変わり、地名も、二十二世紀以前の東京人にはチンプンカンプンである。ニュー東京と名を改めた東京は、かっての繫栄の十分の一もないありさまで、それでも依然として日本の首都であった。首都の凋落した日本は、三流国となって世界から見放されたと言えばさにあらず。以前にも増して世界から注目されている。だが、注目の焦点、そして日本経済の中心は東京ではなく、大きく北にズレている。世界は北海道に熱い、いや、虎視眈々、もしくは戦々恐々の視線を送り、北海道、そして東北地方は二十一世紀の日本人には考えられないこどの繫栄を遂げていた。なぜ東京が壊滅、凋落して北が繫栄したか、事は二十一世紀も終わりに近い、ある年に始まる。

 ハワイの天文台が、天王星の軌道圏に巨大な隕石を発見した。しかし、それだけのスケールの隕石ならとっくに発見されているはずなのに、そいつは突然現れた。しかも地球に向かっている。世界中の天文台の望遠鏡、そしてハップル宇宙望遠鏡など、宇宙に向けられている人類の全ての眼がソイツに集中した。そしてわかったことは、ソイツが間違いなく地球に衝突するということと、標高千メートルクラスの山一個分ぐらいの大きさがあるらしいということだ。学者たちが、こんなのが落ちてきたら大変だと想定していた、隕石衝突の最悪のケースの百倍超である。大変なんてものではない。まさに人類消滅の危機。世界中は大混乱となり。民衆からは核ミサイルで破壊しろという声が、ヒステリックに湧き上がった。しかし、いざという時、敵国攻撃するために用意している核ミサイルで、宇宙から降ってくる超巨大隕石を迎撃するなんてプロジェクトが、そんな短期間でできるわけもなく、人類は迫りくる絶滅の危機に対して、ほぼほぼ打つ手なしであった。

 局面が変ったのは衝突予測日の一日前である。隕石が軌道を修正して、また二十パーセント減速したとも伝えられた。天然自然の物理の法則に従って、地球に衝突してくる隕石にはあり得ないことである。絶滅の危機からの一縷の望みが、やがてある種の狂信に変わり、人々は空を仰いだ。そして降臨の地に選ばれた北海道。青空を割り、宇宙が一雫落ちてきたのである。

 天空より降りてきたのは、SF映画に出てくるような巨大宇宙戦艦ではなく、宇宙空間を切り取ってきたような、超巨大で不定形な闇の塊。広大無辺の宇宙空間より滴り落ちる、ほんの一滴。まるで夜が青空を呑み込むかのように一帯の空を覆い尽くして、徐々に降下してくる。人々は逃げまどい、人間よりも異変を察知することの早い動物たちは、鳥も獣も何時間も前から、原野を大移動していたのである。

 白昼の陽の中の夜色のゼリーのごとく、それは不定形に、とばりの降りるがごとく降下して、まるで実体のないもののように、なんの衝撃もなく着地した。ただ、その周囲の広い範囲の、人や動物や石や枯れ木や、地に根を張らない様々なものが宙に浮いた。無重力状態のようにフワフワと空中を漂い、四五分してゆっくりと着地してケガ人もなかった。そして気づけば、漆黒の要塞が大地に君臨していたのである。

 外壁の高さ十五メートル。外周はなんと五十キロにも及ぶ超巨大構造物は、不時着した宇宙船というよりは要塞であった。日本政府は、すぐさま宇宙からやって来た超巨大構造物の周囲を立入禁止区域として、警察や自衛隊を配して、一般人の接近を禁じた。しかし、あまりにも巨大で広範囲だったので、すぐには十分な人員を配置出来ず、警備の届いていないところでは、一般人や報道人が自由に超巨大構造物に触れられた。中にはハンマーで叩いたり、ドリルで穴を開けようとする者もいた。更には人を遠ざけて、ダイナマイトで爆破を試みる者もいたが、いずれの場合も傷一つつけられなかった。更にはショベルカーで外壁の下を掘る者もいた。驚くべきことに、五メートル掘り下げてもまだ外壁が続いていて、宇宙からやって来た超巨大構造物は、一瞬にして地中深くに、その礎を据えたようであった。これらの様子は居合わせた人々に撮影されてSNSに上げられたが、いまでは貴重な映像資料である。やがて大量に動員された警察や自衛隊、それに米軍も加わった厳重な警備によって一般人の接近は遮断された。超巨大構造物はブラックノヴァと名付けられたが、日米政府はブラックノヴァの周囲を高さ十メートル、基底部の厚さ一メートルの強化コンクリートの壁で囲った。外周五十キロのブラックノヴァの、二百メートル外側をこんな物で囲おうというのだから、とんでもない大工事である。日米政府はこれを十年で完成させた。延々と高く頑丈な壁の続く様は、トランプの国境の壁もかくや思わせる壮観で、以来百年近く、一般の人間が直にブラックノヴァを見ることなど不可能となっている。

 ブラックノヴァが降臨した当初、世界中の人々は、やがて宇宙人が姿を現すものと思っていた。人類以外の知的生命体をついに目にできると、何日も中継のテレビ画面にかじりついていた。しかし、何日、何十日と世界中の人々がかたずを飲んでその時を待つも、宇宙人はいっこうに現れず、百年近く経った現在まで、その存在は謎のままなのである。

 やがて、ブラックノヴァの一部に塀が築かれた。全体を囲うのは十年がかりの壁の完成を待つしかなく、塀は日米政府の関係者が、ブラックノヴァに入るのを隠すためではないかという憶測がなされた。やがて、ブラックノヴァ周辺の立入禁止区域内に、日米政府の運営する研究施設が建設された。そして警備を担当する自衛隊と米軍の基地。職員たちの住む団地、ブラックノヴァが降りる前は家一軒見当たらなかった原野が、にわかに建設ラッシュとなった。

 一連の動きを見ていた各国は、日米政府が何らかの形でブラックノヴァと意志の疎通があるのではと疑った。実はこの年に国連では、ブラックノヴァを人類前半の財産として、あらゆる国家による独占を許さないという決議案が提出されていた。この決議案は日本とアメリカ以外の全ての国が賛成票を投じた。しかし、日本の反対はともかく、伝家の宝刀、アメリカの拒否権によって潰された。

 日米政府は憶測を否定したが、新たに建設した発電所によって、シラを切るのが難しくなった。降臨から二年後、ブラックノヴァから三キロの場所に発電所が建設された。北海道全域、全世帯の電力をまかなうほどの大出力だが、原子力でもなければ化石燃料を使うのでもなく、むろん再生可能エネルギーなどはあり得ない。実はこの発電所、非公開の内部に発電設備などはなく、地下に通したケーブルでブラックノヴァから供給される電力を、既存の送電網に流すだけの設備だった。このことを追及されて、日米政府は全世界を敵に回すつもりもなく、研究施設への各国の研究者たちの受け入れを承諾した。

 北海道総合研究所。世界を刺激したくないという意図から、先端などという言葉は使わず、敢えて平凡な名称のこの研究所は、ブラックノヴァから提供された機器やデータを、分析解析して理論を究明し、製造方法を研究して実用化を図る施設で、平凡な名称とは裏腹の超最先端というか、異次元の最先端で、まさに世界の度肝を抜く内容だった。そして各国の研究者たちが入る前に、米国はそれまでのデータを持ち去り、他国に対する大きなアドバンテージを得た。そして数年後、米国の軍産複合企業より出たのが、反重力モーターである。フィールドモーターという名称の、このメイドインUSAの動力機は世界に衝撃を与え、とりわけアメリカの対抗軸の立ち位置を取る、中国とロシアを震撼させた。その二年後に登場した、フィールドモーター搭載の戦闘機、F01ライトニングイーグルによって、フィールドモーターの脅威は、より先鋭苛烈なる武力となって具現化した。

 F01ライトニングイーグル。Fはファイターであり、0は新次元を意味する。別次元のハイテクによる最初の戦士という訳だが、コイツが荒唐無稽のSFヒーローの愛機顔負けの性能なのだ。最高速度はマッハ7、しかも空中に静止浮遊も出来る。他機を凌駕する抜群の運動性に、粒子バルカン砲に、小型高威力のハイパーミサイルの武装は、一機で艦隊全滅させられるぐらいの火力である。さらに驚くべきは連続航行時間である。百時間を超え、連続航続距離は八十万キロに達する。つまりアメリカ国内の基地から、地球のどの地域にも作戦行動を起こせる。もはや空母不要の、従来の防空システムでは打つ手なしの化け物である。ヨーロッパのある国の空将は、三十機あれば世界征服できると言ったが、アメリカは既に十六機保有していて、ゆくゆくは百機体制に持ってゆくつもりである。

 世界は理解した。ブラックノヴァはサンタクロースであり、交易相手ではないことを。そもそもあんな超巨大構造物を、大した衝撃もなく着地させる超テクノロジーを持つ存在が、わざわざ交易してまで欲しがる物が、この地域にあるのかということである。その意図はわからないが、ブラックノヴァは与えるだけのもの、サンタクロースの橇がたまたま北海道に不時着したのである。ただそのプレゼントは、世界の軍事経済のバランスをひっくり返すほどに強烈な代物だということだ。

 各国は米国政府の独占に怒ったが、非難は日本に集中した。ブラックノヴァという人類全体の財産を預かりながら、唯々諾々として米国に利益を供与し続けている。しかも日本政府は、ブラックノヴァへのアクセス手段を保有しながら、アクセス全般について米政府の承認を得るという二国間協定を締結していたので、米国の優位は容易に縮まらない状況であった。

 日本政府にブラックノヴァをまかせていては、やがて米国による世界征服を実現させてしまうと考えた国々に、ブラックノヴァを奪い取るための日本攻撃、北海道占領の機運が高まった。そして考えを同じく(つまりは米国に対する不信と日本政府に対する憤りを共有)する数か国が有志連合を結成した。NATO非NATOの枠を超えた軍事同盟で、それほどにも、ブラックノヴァの存在は世界の軍事状況を激変させていたのである。大規模多重核攻撃で首都を殲滅させたのち、北海道に上陸作戦を敢行すべく、太平洋に大規模艦隊を展開させた。核ミサイルは、主に潜水艦とミサイル駆逐艦から発射された。世界トップクラスの繫栄を誇った大都市は、第二次世界大戦以後初の、そして凄惨なる広島長崎百倍の、阿鼻叫喚もあげさせぬと言わんばかりの超強烈な核攻撃に壊滅的打撃を被った。攻撃を東京に集中したのは、首都を一日のうちに灰塵に帰しめて、日本政府の抵抗の意志を削ぐためである。上陸作戦を敢行するはずの北海道を攻撃しなかったのは、北海道に在日米軍の主力を移していたアメリカへの配慮であり、アメリカとはことを構えず、交渉で決着を得たいという意図があった。

 しかし、有志連合の想定外(いや、もしかしたら程度には考えていたが、なにが起こるか予測できないので、対応策の立てようもなく、想定から外しておいた)のことに、東京が攻撃を受けるとブラックノヴァが、その力を発動させた。後日、日本政府は、それはブラックノヴァの独自の判断であり、日本政府がブラックノヴァに要請したり、なんらかの操作によるものではないと主張した。しかし、なにせ相手がブラックノヴァなので、真相の確かめようもないのだ。

東京が核攻撃を受けると、ブラックノヴァから三機の飛翔体が現れた。真っ黒でゴツゴツしたフォルムのそれは、さながら闇の巣より羽ばたいた三匹の黒龍。反重力を使っているのであろう、翼もなければジェットエンジンを噴かすでもなく、ブラックノヴァの上空二百メートルぐらいの高さまで、エレベーターの昇ような速度で上昇して数秒後、一瞬に積乱雲を突き破って飛び去った。この時の速度は推定マッハ⒑である。

 龍の一体は東京に核攻撃を行った有志連合の、もっとも大きな軍事力を持つ国の、首都に次ぐ第二の都市の上空に現れた。防空システムが作動して、何百発とミサイルが発射されて、数十機の戦闘機が迎撃すべく発進した。しかしミサイルは、命中するもまったくダメージを与えられず、戦闘機は、龍を照準に入れる前に、龍からのビーム攻撃でことごとく撃墜された。そして黒死の龍は、眼下の二百万都市に対して、とてつもない熱線を放射した。何キロにもわたって延びる超高温の熱線は、瞬時に鉄を溶かし、鉄筋コンクリートのビルが砂塵と砕けるほどである。一時間も経たずして大都市は焦土と化し、百万人以上が炭化させられたのである。もう一体の龍は、日本に侵攻すべく待機していた、二個師団の兵員二万人と、戦車などの車両数百台を焼き払った。あとの一体は太平洋に展開していた艦隊を襲い、一隻残らず沈めたのである。      有志連合は日本との和平条約を締結したのち、解散となった。互いに百万人以上の犠牲者を出して、戦争の痛ましさは骨身に沁みたはずだが、第一次極東紛争のあとも、第二次極東紛争、第三次極東紛争と、極東の地は長期にわたり戦乱に巻き込まれる。  そして人類は反重力モーター、龍と、ブラックノヴァの驚異の科学技術を目の当たりにしてきたが、ブラックノヴァは更なる驚嘆すべき贈り物を、用意していたのである。

 

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