フィジカルサイバー忍者アーツ
七突兵
第1話ハネとサロメ
二十一世紀も末ごろのある年の春。その日、北海道は全域快晴であった。都市部からも離れた北の原野には雲一つなく、ようやく長い冬を終えた北の大地は、陽光に緑は輝き、吹き渡る風も爽やかであった。しかしこの日、鳥や獣が異様に騒いだ。彼らこそ暖かさを取り戻した大地で、春の喜びを謳歌したいはずなのに、一時、日を遮るほどに飛び立つ鳥のせわしげに空を渡り、群れをなして野山を走る獣は、なにかに追い立てられているかのようであった。
「北のミサイルでも飛んで来るのか」
初めての光景に、そんなことを口走る者もいたが、しかしこの日降ってきたのはそんなものではない。もっと、遥かにとんでもないものであった。
「二十三世紀って、俺なにしてるかな」
校舎の屋上で、スーパーの半額おにぎりを食べながら、少年はふとそんなことを考えた。屋上であぐらをかいておにぎりを食うが、ルックスは悪くない。校舎の屋上からは、荒廃と復興のモザイクのようなニュー東京の街並みが見渡せた。
二十三世紀になっても二十代半ばだが、結構しょぼくれているかもと思った。俺のアタマじゃどうせ大した職に就けないだろうし、ブラック企業でこき使われて過労死寸前ってか、死んでいるかも。暗澹たる未来予想図に形のよい顔に憂愁をたなびかせる。
彼は名を黒塚夜羽と言う。子供にヨハネと名付けるぐらいだから、親は熱心なクリスチャンかと思えばさにあらず、現世ご利益の妙なまじないを真に受けるぐらいで、他に大した信仰もない。夜羽という名も、名前も決めずに出生届を出しにいって、役人に新生児の名を聞かれて、その場の思いつきで付けたに過ぎない。もっともあのおふくろであれば、サタンとかサンタとかつけなかっただけでも上出来と言えよう。
夜羽は現在高校三年生。来年は進学か就職だが夜羽は就職組で、正直これ以上の進学は家の経済がもたない。成績優秀なら無償で大学に行ける制度もあるが、先ほどの未来予想図でも自認していたように、そちらは惨憺たるありさまなのだ。
「ハネちゃん、メシ済んだかい」
声をかけてきたのはクラスメートのヨシキだ。顔見知りで、夜羽をヨハネと呼ぶ者はいない。ハネが通り名で、担任もハネで済ます。
屋上では他にもあちこちでメシを食っている。食堂で給食もあるがそちらは給食費がかかる。昔は給食費がタダなんて時代もあったみたいだが、今じゃ政府もすっかりせちがらくなった。弁当を食う連中はあまり集まって食べない。弁当には家庭の経済事情が色濃く反映されるので、そこは互いに気を使うのだ。ハネの弁当はこのところスーパーの半額おにぎりである。元風俗嬢で、今はキャバ嬢しているおふくろが、半額おにぎりを、もっと安く手に入れるツテを得たのであろう。イモばっか食ってるヤツもいるが、そいつの家は、イモの安定供給のルートを確保したってことだろう。
「まあね。で、なにか用」
「五組の井村ミユキって知ってる」
「知らんけど」
ハネは二組だし、クラスメートも三割名前うろ覚えだ。
「父親が弁当工場の課長でさ、ちょっと可愛いぜ」
「・・・・」
その言い方で想像はつく。
「で、その井村ミユキがさ、ハネちゃんが付き合ってくれたらシャケ弁くれるってよ」
「おまえにかよ」
「ハネちゃんには、シャケ二切れの特別バージョンさ」
「遠慮しとくぜ。シャケったって代替肉だろ」
「ハァ、ハネちゃん、泳いでたシャケ食ったことあるの」
「いや、ないけど」
多分一生ないとハネは思った。
「シャケ弁で、気のない女の子とつきあう気分でもないのさ」
「まったく、もったいないぜ。ハネちゃんなら、彼女の一人二人作るぐらい造作もないだろうに」
「一人二人って、二股はイカンだろう」
ハネは意識していないが、ハネが掛け値なしのイケメンなのは衆目の一致するところである。目鼻立ちは整っているし、身長は百八十ある。ルックス抜群の目もと涼しいイケメンで、両親に感謝なのだが、父親はどこの誰とも知れないので、感謝の伝えようもない。
「ヨシキ君よ、キミ、シャケ弁食ったり女子とつきあう以外、なにも考えたことないの。たとえば将来のこととかさ」
「らしくないね。どうしたの」
「いや、俺たちも半年したら卒業だろ。なんか、やるせなくなってね」
「ハネちゃんもウツかよ。なるヤツ多いけど、俺はガゼルに乗る。それで大願成就さ」
ヨシキは大の二輪好きだ。免許無いのにあちこちツーリングしたって聞かされたし、スマホの写真も見せてもらった。程度の良さそうな不良グループでヨシキには合っていそうだった。そしてガゼルは大手二輪四輪メーカー凡田テックの中型バイク。四十馬力で最高速度二百三十キロ。フル充電で二千キロ走行可のスグレモノだ。
「俺たちクラスが入れるところったら、大概ブラック。こき使われる日々だろうけど、ガゼルに乗ったらどんなストレスもへっちゃらって気がするんだ」
「ヨシキくん、見かけによらず考えてるね。だけど買えるの」
「誰にも言うなよ。もう六百円貯めてんだ」
「スゴイ。俺なんて、今までで一番多く持ってたの、四百円だぜ。それだって、溜めてた学費おふくろおふくろから預かってただけで、学校に着いたら、すぐに先生に渡したけどね。で、ガゼルっていくらするの」
「一万二千五百円だよ」
「結構するね」
「月給取になったらすぐに貯まるさ。それに、免許も取らなきゃだしね。そんなことより、今日の放課後空いてる」
「シャケ弁デートならノーだぜ」
「違うよ。キクモリ公園にバンドが来るんだ。一緒に観に行かないか」
「なんてバンドだよ」
「ええと、パープルユングって新人だよ」
ヨシキはスマホをいじって調べた。
「行きたいけど、テロがなぁ」
「そんなの気にしてたら、どこへも行けないぜ」
「こないだも、大勢死んでるんだぜ」
「警視庁だって黙っちゃいないし、そうそう続きはしないさ」
「警視庁、サイバー捕まえたって聞かないけど」
「そのうち捕まえるさ。なあ、つきあえよ」
ヨシキの誘いに心を決めかねていたハネの視線が、屋上の手すりにもたれている女子生徒に止まった。
「あんな子いたか」
黒髪の風になびくセーラー服の彼女は、手すりにもたれ、見るともなしに景色を眺めながら、カロリーメイトを食べていた。
「四組の紅河サロメだよ。前の学期の前半に転校してきたから、もう三四ヶ月はいるぜ」
「同じ学年」
「中学生ぐらいに見えるけれど、同い年だぜ。幼顔の美形だから、一部の連中はよだれタラタラだったけど、あの子は止しとけよ」
「なんでだよ」
「親父さんが、ヤバい系の人だったんだ」
「ヤバいって」
「ヤクザさ」
「だったってえのは」
「殺されたんだよ。しかも家に首が投げ込まれたってえから、いわくつきも半端じゃない。群がっていた男たちも一斉に引いたのさ。けどコレって一頃持ち切りのウワサだったけど、知らないなんて、ハネちゃんの情報うといのも半端ないね」
カロリーメイトを食べ終えて、空箱を潰して振り返った紅河サロメと視線が合い、サロメは薄笑いを返した。確かに幼顔の美少女で、ロリコン野郎にはたまらんだろうが、ハネはさっきの薄笑いに、大人びた打算の透けて見えた気がして、
——クソ好かんアマ——
それが第一印象だった。まさかその、クソ好かん少女とともに、数時間後に大きく運命が変わることになるとは、神ならぬハネに知る由もなかった。
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