第9話



長峡仁衛の前に現れる畏霊。

それは、髪の長い女性の様な畏霊だ。

四つん這いになりながら移動して、長峡仁衛の方に目を向ける。

充血した瞳が、長峡仁衛を睨んでいた。


「怖ッ」


長峡仁衛は手で口元を抑える。

畏霊や、厭穢と呼ばれる存在には、瘴気と呼ばれる力を持つ。

これは、人類に対して精神的攻撃であり、瘴気を受けると恐慌状態となる。

恐れを抱き、恐れ過ぎて肉体が痙攣する事もあるし、嘔吐してしまう事もある。

最悪、精神を崩壊してしまう事もあるが、熟練の祓ヰ師であれば、精神耐性が付いている為に瘴気の影響は受け難いと言われている。


また、瘴気を喰らっても影響を受けない状態が存在する。

それは最初から精神が壊れているものであり、既に壊れているものを壊す事は不可能だ。


ゴキブリの様に、長峡仁衛の方へと迫る畏霊。

長峡仁衛が命令をするよりも早く、落ち武者の畏霊が間に入って攻撃を行う。

刃が削がれた刀では、斬撃では無く打撃となる。

四つん這いになっている畏霊は、長い髪の毛を操る。

落ち武者の刀や腕を絡めて、攻撃を制限する。


「(行動不能か)」


長峡仁衛はそう思った。

いや、まだ、手はある。

長峡仁衛は走り出すと、念の為にと持参した士柄武物、ナイフ型の無銘を引き抜き、髪の長い畏霊へと接近して、刃物を振るう。


「あいつ馬鹿だな…」


辰喰ロロは、長峡仁衛を見ながら紫煙を吐く。


「今、じんさんに馬鹿と言いましたか?」


近くに居た銀鏡小冬が反応して辰喰ロロの方に顔を向ける。


「封印出来る術式、まあ、まがりなりにも式神遣いなのに、自分が接近してどうするんだよ、普通は後方支援が鉄則だろ、普通は」


辰喰ロロは、ある程度、戦闘知識を蓄えている。

だから、長峡仁衛の行動は、自殺行為に等しいと、そう言っていた。

確かに、式神を使う以上、役割としては操縦者とラジコンの様なものだ。

ラジコンを動かす事が出来るのは操縦者が居るお蔭。

ラジコンが壊れても操縦者は活動出来るが、その逆は成り得ない。

操縦者があってラジコンは自在に動く事が出来るのだから。


「それは、普通の式神遣いであれば、の話です」


長峡仁衛は起用に刃物を使って切り裂くが、髪の毛が増量して、彼も身動きが取れなくなる。


「あーあ、危ないな、あれ以上は無理だ」


辰喰ロロが、長峡仁衛の救助に向かおうとしたが、銀鏡小冬が止める。


「まだ、じんさんが戦っています。ご覧ください、あの状況でも、前へ、前へと、接近しています」


だからなんだと言うのか。

辰喰ロロが助けに入ろうとした時。

長峡仁衛の手が、髪の毛を操る畏霊の体に触れる。


「すぅー…はぁーッ」


息を吸い、息を吐く。

地面を強く踏み締める。

力の衝撃が脚部に伝わる。

伝達される衝撃を、筋肉の移動を利用して増幅。

脚部、太腿、腰へと通り、腹筋、肩部、二の腕を通り、前腕、手首、指先へと衝撃が増幅され、指先から、衝撃が畏霊の方へと放たれる。


「(『発勁』)」


ぜん』と呼ばれる技術が存在する。

あらゆる達人が、技術を極めた末、世界の知識に匹敵する技量として発揮する。

神胤から発生する術式とは異なる、教授すれば誰でも扱える異能の技。

その内の一つ、『発勁』は、自身が発生した衝撃を肉体を加速装置として使用し、倍化させて放つ打撃の極み。


長峡仁衛は『発勁』を取得している。

基本的に接近戦となる場合は、この『発勁』を利用するが、得物を持つ相手には不利である為に、その場合は士柄武物を使用する。


「元々、じんさんは術式を持たずとも強いお方です、尤も、接近しなければ使えぬので、対人用にしかあまり使いませんが」


衝撃を受ける畏霊。

その直後、落ち武者が畏霊の首を思い切り突き刺した。


「(祓ってはいない…このまま、俺の式神所持数を調べるとするか)」


長峡仁衛は、その髪の毛の畏霊に触れようとした時。

近くに居た落ち武者の畏霊が髪の毛の畏霊に咬み付いた。

髪を食い千切り、皮膚を歯で裂き、髑髏の顎関節が動いて飲み込む。

霊体と化す畏霊を無理矢理喰い続け、そして跡形も無く消え、落ち武者の畏霊の力が、目に見えて上昇していた。


「食べましたね」


銀鏡小冬が言う。

辰喰ロロも頷いた。


「あぁ、食べたな」


長峡仁衛は、隻眼となって情報を確認する。


「(総量が増加した…畏霊の発する瘴気も、増加しているな…)」


長峡仁衛は辰喰ロロに話し掛ける。


「辰喰、封印している畏霊ってどのくらいある?」


淡い灰色の髪の毛を揺らしながら、辰喰ロロは長狭仁衛の顔を見て言う。


「あ?…あぁ、確か霊庫には実験用もあるし、沢山あるけど?」


霊庫は、祓ヰ師が畏霊を保管する封印倉庫だ。

この封印倉庫を持つ家系は、上位の術師家系しかないとされている。

辰喰ロロは、その出入りと持ち出し権利を黄金ヶ丘クインから頂いている。

その証拠として、首に掛けられた古鍵を長峡仁衛に見せた。


「俺の術式、畏霊を強化する事が出来るタイプかも知れない」


長峡仁衛はそう言うと、何故長峡仁衛が畏霊を欲しているのか理解した。


「へぇ、そりゃレアだな。共食いによる霊体の強化か」


辰喰ロロはレアと言った。

通常、式神として調伏する存在は調伏した時の瞬間が規定となる。

それ以上もそれ以下にもならない様に力を温存する。

これは術師の使役出来る能力の限界を上回らせない為だ。

一定以上の力を所持するとパワーバランスが発生する。

そうなると式神は暴走し、再び畏霊として人を襲う様になる。


しかし、中には能力値の上昇、強化が前提となる式神術式も存在する。

その場合は条件を付け加え、少数の所持、顕現時間の指定などが付け加えられてしまう。

長峡仁衛の術式は、畏霊を強化する事が出来る術式であるらしい。


「ちょっと待ってろ、霊庫から10ダース分持ってきてやる」


そう言った。

銀鏡小冬を置いて、辰喰ロロは車を操作して黄金ヶ丘邸へと急いだ。


銀鏡小冬は、長峡仁衛の怪我が無いか確認をしていた。

擦り傷があったので、絆創膏を使って傷口に貼り付けた。


「持って来たぞ」


バッグの中に入れた木箱を長峡仁衛の前に置く。


「凄いな…よくもこんなに」


沢山持ってきたな、と長狭仁衛は言った。

流石に此処迄多いとは予想していなかった様子であり、辰喰ロロは肩を叩きながら軽く体を逸らせた。

メイド服に、彼女の体の輪郭が浮き上がった。


「勿論低級の畏霊だ、数百体くらい居るし、お嬢様もこの位は使っても良いと言っていた」


と、そう言った。

長峡仁衛は黄金ヶ丘クインに、改めて感謝をすると、早速、所持畏霊の強化を行う事にする。

木箱から畏霊を顕現させ、長峡仁衛と落ち武者の畏霊による戦闘を行う。


三十体程必死になって倒し、畏霊が吸収した所で、変化が起きる。

髑髏の顔面に、次第に皮膚が生え出した。

その体に纏う襤褸の衣服は、幕末の志士が如き格好となり、頭部には笠が被られている。


「進化した…」


長峡仁衛は、隻眼となり落ち武者の畏霊の情報を読み取る。


「…『剣禪士豪』」


新たな名を持つ畏霊。

刃毀れを起こした刀は血に濡れ錆と化したが、刃が復活している。


総量三十七。

食べた畏霊の数程強化された新たな畏霊・『剣禪士豪』。


「とりあえずは強化は此処までにして…今度こそ、俺の式神所持数を調べるとするか」


長峡仁衛は、残りの木箱を開封して、畏霊の封印調伏をする事にした。


「これは…凄いな」


低級の畏霊を取り込み、その合計数は全部で六十七体。

それが長峡仁衛が封印調伏した畏霊の総数だ。


「…こんな力が、俺にはあるのか…」


長峡仁衛は自分で自分が恐ろしいと思った。

これ程の数を封印調伏しておきながらも、まだ余裕を感じる。いや、むしろ肉体に対してなんら影響を持たない。

封印調伏した畏霊は、長峡仁衛の肉体…臨核へと蓄積される。

そして、膨大な量であればある程に、畏霊から発生する純度の高い瘴気…呪いを身に受けやすい。

呪いを受ければ、精神を蝕み、日々、聞こえない声が聞こえたり、亡者の声が四六時中付き纏う事となるのだが。

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