第7話




意識の奥底。

人間の脳とは違う別の器官。

臨核の奥へと、長峡仁衛の意識は沈み込む。


臨核の中。

長峡仁衛は目を覚ます。

多重の鎖が、天と地を繋ぎ止めているかの様な空間。

地面には棺桶が幾多にも並び、天からは干乾びた亡者が手を伸ばしている。

千切れた鎖には、幾多の武器が絡まって、宙を揺れる。


長峡仁衛は、此処は何処であるのか、不思議そうに周囲を探る。

そして、自らの体が、幼くなっている事に気が付いた。


『ここは…』


不思議そうな表情をする長峡仁衛。

そんな時、長峡仁衛の前に、湯気の様なものが通り過ぎる。

長峡仁衛は、視線を上にあげると、其処には、白無垢を着込んだ白色の女性が歩いていた。

髪の毛を結い上げ、瞳は瞑り、眉毛と睫毛が綿毛の様に白い、女性が、長峡仁衛の方に顔を向ける。

目は開く事無く、その女性は長峡仁衛に感づいている様子で話し掛ける。


『貴方でしたか』


『…え?誰?』


長峡仁衛はその様に口にする。

見知らぬ女性が其処に居るが、しかし、恐怖も、不快感も無い。

何処か、懐かしいと言った感情が浮かんでいる。


『私は、貴方の■■…』


『え…なんだって?』


彼女の言葉に耳を疑う。

正体を口にしたと同時に耳元でノイズが走った。

それによって声が聞こえなかった。

再び、彼女に聞こうとしたのだが。


『…いえ、止しておきましょう』


何か言おうとして、彼女は口を紡ぐ。

その表情は困惑していた。

まるで罰を受けた罪人の様な顔だった。

しかし、その目から受ける印象は慈愛だ。

長狭仁衛と言う存在を愛おしそうに見つめている。

彼女は長峡仁衛の方に近づいて、恐る恐る手を伸ばすと…掌で彼の頭を撫でた。


『…っ、あぁ…大きくなりましたね』


優しく、長峡仁衛を撫でる彼女は、堪能した末に手を離す。

そして、遥か遠方の方に顔を向ける。


『此処に来たと言う事は、貴方に、渡しておくべきものがある、と言う事です』


『ここ、此処って…何処?』


長峡仁衛は周囲を見渡す。

現実、ではない事は確かだ、この空間は。

何よりも、青年として成長した長峡仁衛が幼少期のままの姿である事は可笑しかった。


『此処は、あの世とこの世の境目…臨死の末の場…別にして言えば、貴方の臨核の中と言いましょうか』


彼女は話を続ける。


『気に喰わない、貴方を忌む存在が、力を封印していたみたいですが…自らの手で、その封印を解いた…本来ならば、その時に力は元に戻っていた…けれど、死に掛けていたので、この場所に来てしまったのでしょうね』


そう言って。

目を開く事無く、彼女は長峡仁衛を抱き締める。


『こうして、話せて良かった。貴方の力は、あの人によって強化されたもの…恐らくは、貴方こそが、『封緘術式』の使い手として相応しい存在となるでしょう』


封緘術式。

霊山一族の宿す術式。

それが、長峡仁衛の手に渡ると、言っている。


『力が…俺は、術式を?』


『えぇ…しかし、驕ってはいけません、強い力は、身を滅ぼす事に繋がってしまいます。そうならぬ様に、…自分で自分を律しなさい、もしくは』


遠く、空を見上げる女性。

長峡仁衛に、もう一つの道を告げる。


『愛する人の為に、誰かの為に、力を奮うのです…それが、私の言いたかった事』


その言葉に、長峡仁衛は、なんとなく頷いた。


『…なんだか、分からないけど。俺は、力が手に入るのなら…大切な家族の為に使うよ』


その言葉を聞いた彼女は、微笑んだ。


『それで良いのです…さあ、仁衛。もう戻りなさい、貴方を待つ人の所へ』


それを最後に。

長峡仁衛の意識は遠くなる。

ぐるぐると、視界が巡り、そして目を開くと。

其処は、医療室だった。


長峡仁衛の隣には、銀鏡小冬が居る。

彼女の掌が、ずっと長峡仁衛の手を握っていた。


「(…小冬、やっぱり、本物だな)」


長峡仁衛はそう思って、銀鏡小冬の手を強く握り締める。


「(やっぱり、離れられないな…身近な家族が居るだけで、俺は幸せだ。けど…億劫なのは、蘭の爺さんだな)」


あららぎ

霊山一族の全権力を握る、霊山一族の長。

あれは、銀鏡小冬を酷く気に入っている。

だとすれば、此処に彼女が居るだけでも、目くじらを立てているかも知れない。


「…あ、小冬。そんな姿勢で、苦しくないか?」


椅子に座り、ベッドに頭を乗せて眠る銀鏡小冬を心配して、長峡仁衛は体を起こす。

そして、ふと頭痛の様なものを感じると、瞼の裏が熱くなる。


「痛ッ」


長峡仁衛は、器用に片目だけを瞑る。

すると、彼の瞼の裏に、何か文字の様なものが浮かんできた。


「なんだ…これ」


長峡仁衛は、瞼の裏に記載された情報を読む。

『落ち武者の畏霊』と、彼の脳裏にはそう解読された。


「…ッ」


頭痛の様な響きがする。

長峡仁衛は、激しい眩暈と共に、吐気を催す。

息を呑んで、必死になって体調不良を抑えた時。

ふと、女性の様な声が、頭の裏に響いた。


『それは、封緘術式、分類は「あじゃら」―――』


脳裏で、誰かが説明をしている。

それを、長峡仁衛は感じ取り、それが、自らの力であると認識する。


「封緘術式・戯…」


長峡仁衛は、手を翳す。

長峡仁衛の神胤が消耗されていき…そして、電子機器のホログラムの様に、電子の残滓が纏う様に、ベッドの隣に長峡仁衛が倒したであろう落ち武者が出現していた。


「ッ?!」


長峡仁衛は驚く。

畏霊が出現して、銀鏡小冬を守ろうとベッドから跳ね上がる。


「――…ん、じ、んさん?」


銀鏡小冬は眼を擦り長峡仁衛の方を見る。

長峡仁衛は、体中が痺れの様な感覚を覚えながらも拳を構えた。

畏霊と相対しようとしたが、しかし、何処か様子がおかしい。


「なんだ?…攻撃してこない?」


その落ち武者の畏霊は、長峡仁衛の前に立つだけで、何もして来ない。

それどころか、長峡仁衛に対して、何か命令を待っているかのようだった。


「…一旦、下がれ」


長峡仁衛がそう言うと、落ち武者の畏霊は、静かに後退する。

それを見た長峡仁衛は、既に、その畏霊が調伏状態にある事を理解した。


封緘術式。

畏霊を封印する事を目的とした術式。

あらゆる式神媒介の術式はこの封緘術式から派生したとされる始祖。

封緘する事で、条件を付け加える事で、その畏霊を操る事が出来る、調伏状態による式神操作が可能となる。


長峡仁衛は、あの時の戦闘で、この封緘術式を開花させたのだ。


銀鏡小冬は、長峡仁衛の方を向いている。


「じんさん…もしかして、術式が、開花されたのですか?」


銀鏡小冬の言葉に、長峡仁衛はゆっくりと頭を縦に振る。


「あ、あぁ…どうやら、術式が開花、したみたいだ…はは、嘘みたいだ」


長峡仁衛は笑う。

感情が何処か曖昧で途惑っているが、しかし、内心は大喜びである筈だ。

長峡仁衛は、本来ならば術師として認められなかった。

祓ヰ師にはなれないとされていたのだ。

術式が無いものは祓ヰ師に非ず。

故に、長峡仁衛は勘当を受けて追放されてしまった。


しかし、どういったワケか。

追放された直後に、術式を開花させたのだ。

長峡仁衛は嬉しいと思うが、やはり複雑ではある。

銀鏡小冬の方に顔を向ける。

彼女は、少し残念そうな表情をしていた。


「おいおい…俺、祓ヰ師になれるんだぞ?…そんな顔しないでくれよ、喜ぼうぜ?」


とは言うが、それでも、銀鏡小冬は笑う事が出来ない。


「術師になられた…じんさんが望んでいたものになれた…それは嬉しい事です…けれど、母は、素直に喜べません…祓ヰ師になると言う事は、重い任務を、危険な仕事をしなければならないと言う事です…母は、じんさんを、その様な危険な場所には、向かわせたくないと思っています」


それが、母親としての役目を買う銀鏡小冬にとっての素直な感想だった。

愛する者を、笑顔で戦場に送り出すのは、それは正しい事なのか、銀鏡小冬は、少なくとも、それは正しい事ではないと思っている。


「…大丈夫だよ、俺、強くなるんだ。そうしたら、死なない、そうしたら、みんなを、守れるから…お前も、俺の大切な家族を、守れるんだ」


「それでも…じんさんが傷つくワケには、行かないでしょう、私は…やはり喜べません」


悲しい表情をする銀鏡小冬。

丁度、この騒ぎを聞きつけた黄金ヶ丘クインと辰喰ロロが医療室に入って来る。


「何事ですか…っ、畏霊!?」


「下がって下さいお嬢様、長峡、お前らも離れろ」


辰喰ロロが戦闘態勢に入った所で、長峡仁衛が慌てて止める。


「待て待てッ!ちょっと待ってくれ、この畏霊は違うんだ!」


長峡仁衛の言葉に、黄金ヶ丘クインは辰喰ロロに命令する。


「ロロ、少し待ちなさい…仁衛さん。違うとは一体なんですの?」


長峡仁衛の話を伺う黄金ヶ丘クイン。

長峡仁衛は、この落ち武者の畏霊が、自らの術式で封印し、調伏した存在である事を言った。

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