第5話


長峡仁衛は一人部屋の中で小説を読む。

途中、部屋の外を眺めて、赤い雨が早く終わる事を考えていた。


「…(小冬は今、何をしているんだろうな)」


長峡仁衛はその様に彼女の顔を思い浮かべる。

銀世界を体現した銀色に輝く髪を持つ、一人の少女。

機械的な表情ではあるが、長峡仁衛に対してだけは、慈愛を感じる微笑みを浮かべてくれる、長峡仁衛にとって、一番、長く共にした家族だ。


そんな彼女に、何も言わずに去る事を心苦しく思いながら、彼はただ、雨を見詰めていた。

そうして、時間を潰していた時だった。長峡仁衛は扉の前に気配を感じて顔をそちらに向ける。


「長峡、メシの時間だ」


ノックをして部屋の中に入る辰喰ロロ。

長峡仁衛の顔を見詰めると、何やらじろじろと彼の体を舐め回す様に見つめている。


「…なんだよ」


長峡仁衛は、彼女の視線を受けてその様に言った。

すると、辰喰ロロはいや、と一言添えて、続けて言う。


「一人、物思いにふけっているから、もしかしたら、そういう時間かな、と思ってな。いや、別にそうじゃなくて安心した。もしそうだったら…まあ、反応に困るからな」


「はあ?」


彼女の淀み切った言い方に首を傾げる長峡仁衛。

彼女が一体、何を言おうとしていたのか、探る様に聞く。


「お前は、俺が何をしていると思ったんだ?」


「そりゃぁ、な…お前、曲がりなりにも、私は女なワケだが」


自らの胸元に手を添える。

彼女の、丸まった胸元に指先が埋まった。


「精神は達観していると自負しているが、それでも、お前が言わせようとしていると思うと、小癪だなと思ってしまう、それでも、お前は、私にそれを言わせるのか?」


「…お前が最初に言った事だろ?なんで、俺が追い詰められている様になってんだよ」


長峡仁衛は、辰喰ロロのおかしな言い草に多少の苛立ちの様なものを覚えていた。


「まあ、それもそうか…じゃあ言うが、お前さん。自慰をしてたんじゃないんだろうな?」


「…あぁ、そういう事か、お前」


長峡仁衛は納得した。

そして、途端に反抗心は途絶えた。

聞くんじゃなかったとすら思った。


「言っておくが、別にこれは、俺とお前が体を交える様な導入と言うワケじゃないからな。メイドと言っても夜のご奉仕とかしないからな、どちらかと言えばバトラーって感じだからな、私は」


「何の話だよ…悪いけど、俺にはその気はない」


そう言って長峡仁衛は溜息を吐く。

なんとも可笑しなメイドであった。


「ほら、来いよ、メシの時間だぞ」


そう言って、辰喰ロロが長峡仁衛を連れ出した。

食堂へと向かう。

広い部屋。

長いテーブルに、既に黄金ヶ丘クインが座っていた。


「何やら疲れた顔をしていますね。長旅でしたし、気力でも削がれましたか?」


彼女の言葉に、長峡仁衛はあいまいな返事をする。


「あぁ…あの、お前の所のメイド」


「…ロロが何か粗相でも?」


粗相。

そう言われて長峡仁衛は首を横に振る。


「粗相と言うか…少し、遠慮が無いと言うか」


「ロロ、貴方、仁衛さんに何を言ったの?」


何を言ったと言われた辰喰ロロは両手を挙げて知らんぷりをする。


「まあ、長峡が私の口から言わせたいって言うのなら、お嬢様の前でも言うけどよ?」


「…いや、やめてくれ。なんだか俺が睨まれそうな気がする」


「?」


黄金ヶ丘クインは自分が何か仲間外れになっているような感覚を覚える。

しかし、長峡仁衛に問い詰めるも口を硬く閉ざして黙秘を行い、辰喰ロロに語り掛けるものらりくらりと躱される。


「ほら、料理」


そう言って、長峡仁衛と黄金ヶ丘クインの前に料理を置いた。

なんとも分厚いステーキだった。肉の絨毯にはバターが溶けていた。


「豪勢だな」


「一応は、貴方の歓迎を兼ねてますので」


そう言った。

人から招かれていると思うと、少しだけ嬉しく思う長峡仁衛。


「それじゃあ、頂くか」


長峡仁衛が手を合わせて食べようとした時。

辰喰ロロは厨房の奥へと引っ込もうとする。


「辰喰、お前は一緒に食べないのか?」


「ん?私か?」


自分の胸に手を添えて彼女は聞く。

そして鼻で笑った。その際に、彼女の鮫の様な牙が見えた。


「従士がご主人と同席なんてするワケないだろ?…まあ、それ以上に、食べてる暇なんて無いからな」


辰喰ロロの言っている意味が、長峡仁衛には理解出来ないで居た。

黄金ヶ丘クインは、自らの口元をナプキンで拭いている。

400g程ありそうな一枚のステーキが鉄板の上から消失していた。


「ふぅ…ロロ、おかわりを」


「了解しました」


「え?…えぇ?!」


長峡仁衛は鉄板を二度見する。

既に其処にはステーキが無い。

食べたのだ。黄金ヶ丘クインが、一瞬で400g程のステーキを平らげた。


「ちょ、お前、食べるの早いな」


「そうですか?…まあ、普通だと思いますけど…あと、ロロ」


厨房に居る辰喰ロロに向けて、黄金ヶ丘クインは続けて言う。


「少し足りませんでしたわ。もう少し増やしてちょうだい」


「(400gが足りない?)」


そう言いながら黄金ヶ丘クインは、皿に置かれたパンをちぎって食べていた。

可愛らしい姿から、彼女は大食いの素質があったらしい。


食事を終える。

そして、満腹になった長峡仁衛は部屋に戻る。

再び読書を初めて、時間を潰していた時だった。


ノックする音が聞こえて来る。

辰喰ロロが長峡仁衛の部屋に訪れる。


「就寝時間だ。もう寝ろよな」


長峡仁衛は時計を確認する。

時計は『11』の針を差していた。

深夜11時頃が、黄金ヶ丘家が定めた眠りの時間であるらしい。


「あの、風呂とかは」


そう聞くと、辰喰ロロは少し考える素振りをした。


「悪いが今日は駄目だ。明日にしろ」


と、そう言った。


長峡仁衛は疑問に思ったが、それが黄金ヶ丘クインが定めた時間であるならば仕方がないと渋々了承する。


「クインに、おやすみと言って置いてくれ」


「あぁ、分かった」


そう言って、辰喰ロロは長峡仁衛の部屋から出る。

ベッドと戻って長峡仁衛は目を瞑る。

暗い部屋の中。

降り注ぐ雨の音が屋根を伝って音を奏でていた。

部屋に飾られた時計の歯車が鳴る。

静寂であるはずなのに雑音の合唱が響く。

次第に長峡仁衛は夢の中へと誘われる。

現実世界の辛さを忘れて夢の中へと逃げ込むように。


『だいじょうぶです、じんさん』


長峡仁衛の夢の中は幼い頃の記憶がある長峡仁衛と銀鏡小冬が二人。

銀鏡小冬は長峡仁衛の頭を抱えるように抱いて優しく撫でた。

この近くに『赫雨』が発生していて長峡仁衛と銀鏡小冬はその現象の被害に遭っていた。

長峡仁衛はそこで畏霊の怖さを知った。

出来る事ならば…二度と会いたくないと思える程に。

そんな泣きじゃくる長峡仁衛を慰める銀鏡小冬の姿に。

長峡仁衛は気がつく。

彼女の手が震えていたことに。

いくら達観していたとしても。

まだ子供である彼女にとって畏霊は恐怖の対象であった。

久しく、忘れていた、あの時の無力。

昔とは違い、長峡仁衛には、畏霊と立ち向かえるだけの力がある。

そして、あの時の感情は、一般人も覚えている事だ。

自分とは違い、無能故に、永遠に恐怖に怯え、死を想定してしまう事に。


「…っ」


浅い眠りであったのか長峡仁衛は目を覚ました。

時計を確認する。

深夜の12時頃。

窓から外を見てみれば、未だに『赫雨』が降り注いでいる。

こうして悠々と眠っている間にも外に出て襲われている人がいるかもしれないと長峡仁衛は思った。


「…今更、眠れねぇしな」


黄金ヶ丘クインの家訓を破ってしまうかもしれない。

だけど長峡仁衛は、自らのバッグから道具を取り出した。

それは刃物だ。


士柄武物しがらぶぶつ


祓ヰ師が誕生するより前に存在した武具。

武芸者や数奇者が長年愛用し続けた武器に使用者の意志が憑いた代物。

神胤を通すと、使用者の渇望を叶える様に武具に特性が発現した。

武具は闘覇によって洗練されていき、神胤が通る洞孔を開拓する。

殆どの武具は長年の使役で崩れ壊れていく。

しかし士柄武物と成す武具は硬く強く鋭くなる。

また、士柄武物の呼び方は様々であり「宝刀」「妖刀」「業物」「珍宝」など呼ばれる事もあった。


長峡仁衛の持つそれは、なんの力も持たないナイフ『無銘』である。

それでも、畏霊を祓うくらいの力は宿していた。


それを持って長峡仁衛は外に出ることにした。

窓を開けて外に出る。

ちょうど窓の下が屋根になっていて、長峡仁衛は屋根から下り、中庭へと飛ぶ。


家訓を破ってしまう事に少々負い目を感じるが、周囲を一周したらすぐに戻ろうと思っていた。

あくまでもこれは御自身の自己満足を満たすためのものに過ぎない。

長峡仁衛は裸足のまま歩いて門から外へと出る。


「うっ…冷てぇ…」


傘を差していない長峡仁衛ではあるが赫雨による副作用が殆ど無いに等しい。

既に赫雨による影響は、祓ヰ師には通用しないものとなっている。

人間に対する害を持つ赫雨は、元々は畏霊から発生する瘴気の気体化だ。

人間が極限の恐怖を覚えると、人体に影響を及ぼす事に似ている。

頭皮に雨が当たると、髪が抜けやすくなるのは、当たった部分に極限の恐怖を覚える為だ。

だが、祓ヰ師は畏霊に対する恐怖を克服している。

必然的に、低級以下の雨の効能は、効く事が無かった。


雨の中を裸足で歩く指先に感じる冷たい感触。

均等の位置に並ぶ街灯が道路を照らしている。

時間帯も関係するが、赫雨の中を歩く人間は誰もいない。

正しく独壇場。

長峡仁衛のためだけに用意されたスポットライトの様だ。

雨に当たりながら長峡仁衛が周囲を散策する。


長峡仁衛は、周囲を散策して、ふと、人影を見た。

何か、長峡仁衛が、知っている様な姿であり、雨の中、目を凝らして見ると。

其処には、銀鏡小冬の姿が確かに見て取れた。


「(まさか、…本当に来たのか、小冬)」


長峡仁衛は嬉しく思い、銀鏡小冬の姿を追う。

そして、裸足なので、走ると足が痛い。

なので、銀鏡小冬に止まって貰おうと声を上げようとした時。


「がっ」


曲がり角。

長峡仁衛にとっての死角。

彼の頭部を強く殴る金属。

長峡仁衛は強い衝撃と共に血を噴き出す。


歯を食い縛ると共に、自分を殴って来た相手を確認する。


其処には、刃毀れをした刀を持つ、髑髏の頭を持つ剣士紛いが立っている。

畏霊である。

長峡仁衛は、頭を殴られて、血を流していた。

そして、畏霊よりも、銀鏡小冬の方に目を向ける。


「小冬」


畏霊よりも、銀鏡小冬の方にしか目がいかなかった。

銀鏡小冬が、長峡仁衛に気が付いて、近づいて来る。

長峡仁衛は、銀鏡小冬が来るので、其処で初めて畏霊の存在を脅威と思った。


「駄目だ、小冬、来るな、畏霊…が…?」


人影が露わになる。

銀鏡小冬だと思っていた女性は、髪の長い、水死体の様な女性に変わっていた。

彼女もまた、畏霊だった。長峡仁衛はまんまと騙されたのだ。


銀鏡小冬が此処には居ない。

その事実に落胆し、しかし、安堵の息を漏らす。

そして最後に、長峡仁衛の脳裏には怒りが滾り出した。


「はは…騙されちゃったよ」


長峡仁衛は畏霊の方に顔を向けて、青筋を浮かべながら鞘から刃物を抜く。


「じゃあ、怒っちゃおうかなーァ!」


そう言って、刃物を逆手持ちにする長峡仁衛。

キレた長峡仁衛は、畏霊二人を相手に立ち向かう。

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