第4話



長峡仁衛を部屋に送り込んだ末に、黄金ヶ丘クインの元へと向かう辰喰ロロ。

廊下を歩いて、彼女の部屋の前に行くと、軽いノックを二回程する。


「ロロ、良いわ、入って来て」


そう言われて部屋の中に入る辰喰ロロ。

黄金ヶ丘クインは椅子に座っていて、机に敷かれたノートをシャーペンを使って何かを記載している。

少しだけ、表情が柔らかな彼女は、ご機嫌な様子だった。

今にでも鼻歌なんてしてしまいそうな程に、彼女は上機嫌。

辰喰ロロですらも、彼女の態度には露骨だと思ってしまう程に変わっていた。


「お嬢様、何かご用ですか?」


流石に主人の前では敬語を使う辰喰ロロ。

彼女に言われて、黄金ヶ丘クインはペンを止める。


「本日の夕飯、少し贅沢に行きましょうか」


と、そう言った。

辰喰ロロは、彼女が何故そんな事を言うのか、なんとなく察していた。

頭を下げて、彼女の要求に答える様に頷く。


「承知しました。お嬢様」


そう言った。

黄金ヶ丘クインは、ペンを走らせる。

ノートには、長峡仁衛に質問した内容を、一言一句間違えない様に書き記していた。


「…仁衛さんは、色々と雑食らしいですが、男性が好きな料理が好みであるとか」


辰喰ロロは理解している。

黄金ヶ丘クインが、一目見た時から、長峡仁衛が本人であると言う事を。

それでも彼女が質問をしたのは、過去の長峡仁衛との齟齬をすり合わせる為だ。

彼女の中には、昔の長峡仁衛しか居ない。新しく、やって来た長峡仁衛を更新する為に、質問をしただけに過ぎない。


「そりゃあ、全問正解な筈さ」


彼女が行った質問は、全ては長峡仁衛であるかどうか証明する為のものではなかった。

質問はただの質問。

長峡仁衛を知る為の、質問に過ぎないのだから。


「(けど…流石に最後の質問は、私欲が過ぎる)」


辰喰ロロは、最後の質問を思い浮かべる。

彼女が長峡仁衛に投げかけた言葉。

そして、彼女が長峡仁衛との記憶に捏造した言葉。


「(婚約したなんて、よくもまあ、出過ぎた嘘を吐くもんだ…お嬢様らしくもない。色々と必死なのかね)」


辰喰ロロは、彼女の部屋で立ち尽くす。

それを見掛けて黄金ヶ丘クインは少しだけ眉を顰めた。


「何をしているの?もう話は終わったわ。早く、貴方の仕事をしてちょうだい」


キツめな口調。

辰喰ロロはただ頷いてそれに遵守する。

部屋から出ていく彼女を尻目に、黄金ヶ丘クインは、ノートを広げて悦に浸る。

また、この屋敷に、長峡仁衛がやって来た。

それが、彼女にとっては嬉しくてたまらない事だった。


「(あの時は…呼び止める事も、繋ぎ止める事も出来ませんでしたけど…)」


ノートを抱き締める。

それが、長峡仁衛であるかの様に。


「(今は違う…今度こそ、何処にもいかない様に)」


目を細めて、熱を帯びた視線を、其処には居ない長峡仁衛に向ける。


「…兄様にいさま


昔の呼び方を思い出して。

黄金ヶ丘クインは、長峡仁衛をその様に呼んだ。


長峡仁衛は部屋に入ってベッドに腰掛ける。


「(あいつら、今は何をしてるんだろうな)」


長峡仁衛は目を瞑って考える。

大切な友人。

家族とも呼べる人達。

そして、長峡仁衛を慕ってくれた、銀鏡小冬の事を考える。


「(長は、小冬を悪い様にはしないと言っていたけど…あいつが、他の人間の言う事を聞く筈がないしな)」


長峡仁衛は、的確な事を思い浮かべる。

銀鏡小冬は、長峡仁衛を息子として慕っている。

彼女は、自分自身は長峡仁衛の母であると認識しているのだ。

そんな彼女にとって、他の人間などどうでもいい。

彼の慕う友人たちにはそれなりの友好関係を見せてはいるが。

長峡仁衛を迫害し、忌避している霊山一族に対しては無関心でしかない。


「(多分、俺の後を追って来るとは思うけど…霊山一族がそれに応えてくれるかどうか…)」


心配する事はその点であった。

けれど、長峡仁衛にはどうする事も出来ない。

何故ならば、それを調べようにも、霊山一族からは周辺に来ない様に禁止令を出されているし、何よりも、彼は携帯電話と言った連絡手段を持ち合わせては居なかった。


「(流石に、封印をする気は無いと思うけど…心配だな)」


長峡仁衛はその様に思っていた。

彼女は、長峡仁衛にとって大切な家族。

その家族が危険な目に遭ってないか、考えていた。

そんな心配をしながらも、長峡仁衛は空を眺める。


空は曇っていた。

此方に来る前までは、晴れていたが、空模様は相変わらず気分屋であるらしい。


「雨か…」


その言葉は、雨が降る為に憂鬱になっているから零れた言葉では無い。

祓ヰ師としてならば、その『雨』はとても危険なものだった。


彼の予想通り、雨が降り出す。

しかし、透明な色合いではない。

この世界の雨には二種類ある。

まずは通常の雨。

人間には影響のない、普通の雨だ。


そしてもう一つ、この世界には別の雨がある。

部屋に備え付けられたテレビを確認する。


天気予報しているお天気アナウンサーが、血液の様なデフォルメをした水滴のイラストを県内のイラストに張り付けた。


『今週は局部的に『赤雨せきう』が続く事になります。外出は控えて下さい』


とそう言った。

赤雨。

それが、この世界に溢れる異常。

2010年頃に生まれたこの現象は、表向きは人間に対する有毒な成分が含まれているものとして、交通規制や外出禁止など、様々な対策をされていた。

現在ではその様な事も無く、精々、雨に打たれれば皮膚に異変を齎し、頭部に当たれば髪の毛が抜ける程度の酸性を持つと言う事が確認されている。

この雨が降る以上は、殆どの人間は外に出てはならない、と共通認識になっていた。


しかし、それは表向きの言い訳でしかない。

祓ヰ師にとって、この雨は別の意味合いを持ち合わせていた。

同じ様に空を見据える黄金ヶ丘クイン。

窓の外からは雨が降り出していて、その色合いを見るや否やすぐさま嫌悪感現れる表情へと変えた。


「『赫雨てらしう』ですか」


そう呟くと共に彼女は部屋から出ていく。

廊下を歩いていると、パーカーフードで頭を覆う、長峡仁衛の姿を捉えた。


「に…仁衛さん、何方へ行かれるのですか?」


その様に聞くと、長峡仁衛は外の方に視線を向ける。


「あぁ…少し、外の様子を見ようと思ってさ」


長峡仁衛の言葉は嘘偽りなど無い。

この周辺に、何か異変が起きて無いか調べようとしていたらしい。

だが、黄金ヶ丘クインは、彼の言葉に対して首を左右に振る。


「仁衛さん。一応聞いておきますが、外に出て、何をするつもりで?」


長峡仁衛は、彼女の少しキツめな口調に対して言葉を飲み込む。

しかし、此処で気圧されるわけにはいかない。


「俺達祓ヰ師にとって、『赫雨』がどれほど危険なものか、分かっているだろ?一般人が巻き込まれない様に、周辺を探索しようと」


「そんな事、しなくても良いです」


黄金ヶ丘クインは長峡仁衛の提案を却下する。


「赫雨、それは、世界が作り上げた人間を殺す為の現象。人の恐怖を受信して、赤い雨が恐怖を体現化させる…畏霊を作り上げる」


祓ヰ師の起源は、元を辿れば陰陽師に属する。

陰陽師、太極を統べるもの、と言う意味合いから陰陽と言う名を冠する者。

そして、陰陽師の役割は、太極、つまりは世界との対話を行う事だ。

千年以上前から続く陰陽師の歴史、世界と対話をする事で、様々な技能技術を引き出しては人々に力を与え続けて来た。

しかし…世界はある日、人類が今後、世界に対する脅威に値する存在となると演算した。

そして、世界は陰陽師との対話を一方的に打ち切り、人類を殺戮し、世界を救おうと様々な現象を引き起こした。

それが、災害と言う自然界から発生するものがあれば、自然の恨みを蓄積し、世界の膿として生まれる厭穢けがれ…そして、人間の負の感情を集める事で、人間に対して脅威的な生物を生み出す、畏霊などが挙げられる。


基本的に、畏霊は、複数の人間の感情から生まれる。

だが、この赫雨は、人間の深層心理を受信し、恐怖を読み取って具現化するのだ。


この赫雨による畏霊の出現率が上昇し、現在では咒界連盟に登録された祓ヰ師が足りない、人員不足と言う事態が発生しつつあった。


赫雨は、祓ヰ師にとっては畏霊と遭遇する確率の高い自然現象。


「…仁衛さん。貴方は、祓ヰ師ではありません。それに、貴方の身柄は私が買ったのです。勝手な真似は謹んで下さい…ロロ」


辰喰ロロを呼ぶ。

長峡仁衛を、部屋に戻せと命令して、辰喰ロロはそれを遵守する。


「…危ない事は承知だ、けど」


「何も聞きたくありません、英雄願望な台詞など、聞く耳すら持たない」


言い捨てて、長峡仁衛を部屋に押し戻した。

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