第三話『赤い紙』

——時は、大東亜戦争末期。


 日用品や食料品など、生活に欠かせないものの多くに、配給制度が適用されるようになった。切符がないと衣類が買えない、という点にはまだ耐えられた。しかし、米や味噌などの食料が、家族の人数に応じたわずかな割り当て分しか手に入らなかったのは、育ち盛りの私の体に酷く応えた。そしてそれは私だけに言えたことではなく、周りも皆、食糧不足で腹を空かせていた。そんなことになるのも、日本が戦争で劣勢に立たされていたからだった。日本軍が太平洋の島々で次々と『転進』したと訳のわからない言葉を使って報じられる大本営発表だいほんえいはっぴょうは、嘘と欺瞞ぎまんとに満ち溢れていたのだ。勘のいいガキだった私は、当時もそのことにはっきりと気づいていたのだが、公の場で本音を言えば、大変なことになっただろう。あの時、あんなことを、こんなことを言ってしまっていたら、憲兵がやってきてなぶり殺しにされていただろう、という場面が何度もあったと記憶している。


 そしてある晩、ついにが来てしまったのだ。


 一九四五年七月七日。

 七月にしては妙に涼しい夜だった。

 時刻は、午後二十一時過ぎだったと記憶している。


 キコキコ、という金属同士が擦れて、甲高い鳴き声となって闇夜に響いていた。


 地が、ジャリジャリとうめくのも聞こえた。

 

 それは、配達員の駆る、自転車の音だった。


 そろそろ皆が布団に入っていてもおかしくない時間帯に、それは突然やってくるのだ。


 ドンドンドン、と、いつもよりも大きな音を立てて、玄関の戸が叩かれる。


 私はもう、その時点では、全てを悟っていた。


 隣の部屋から私の部屋に、忍び歩きでやってきた母も、茫然自失としていた。


 もちろん、出るのは嫌だった。


 だが、ここで出るのを渋ったら、後からどんな仕打ちを受けるかわからない。


 それに、今玄関の戸を叩いている配達員、もとい『死の運び屋』は、己が体が骨と皮とに成り果ててでも、そうすることをやめないだろう。


 私は意を決して、出ることにした。


 戸を、そっと引き開ける。


「どうも。靑木あおき……みのるさんでお閒違いありませんね?」

 配達員は、赤い紙に書かれた字と、私の顔とを交互に見て、食い気味にそう言った。

「はい」

 そう返事した瞬間、私の魂は抜けていたと思う。

「召集令狀を持ってまいりました! おめでとうございます!!」

 配達員が、なぜか、笑顔なのが、気味悪かった。

 その顔は今でも私の脳裏に焼き付いている。

 私は無言で、赤紙を受け取ると、

「ありがとうございます! お國のために!! 行ってまいります!!!」

 配達員が引くくらいの、近所の皆が飛び起きるくらいの、からげんきの大声で、そう、言い放った。

 私は、そうするしかなかった。

 配達員は事務的に会釈すると、きびすを返し自転車にまたが

で大きく膨らんだ包みを持って、再び妙な音を立てながら、次の配達先へと向かうのだった。


 自室に戻ると、母は赤い手巾ハンカチで、止まらない涙を拭っていた。私は、母の血の涙が、その布切れを赤く染めたのだろう、と思った。


〈第四話『青と赤の連続階調』に続く〉

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