Episode:5 三つのお願い part.4

 ラーメンのほかに追加で餃子を注文し、週刊漫画雑誌を眺め、結構な時間をかけて昼食を終えた後、喬松はそこから西に向かった先にある中古ショップで時間を潰すことにした。

 まずはゲーム売り場。続いて漫画コーナー。古着、それにプラモデルもチェック。さらには、さも当たり前のように堂々と成人向けコーナーにも足を踏み入れた。

 とはいえこの日、喬松の心を惹いたものはなかった。あったとしてもそれは予算オーバーで、なおかつ持ち帰る方法に苦慮するものばかりだった。


 それからM市街地南部へと移動した喬松が訪れたのは、ゲームセンターやボウリング、カラオケにダーツ、屋内スポーツ等がひとつになった総合娯楽施設。

 彼が入ったのは一階にあるゲームフロア。別に何か目当てのゲームがあるわけではなかった。ただ何となく、賑やかな環境でだらだらと時間を潰していたかった。

 缶のコーラを自販機で買い、喬松はベンチに座り込んだ。高校入学以来、何度もリードギター担当の男子と協力プレイしていた、オンライン対戦型ロボットアクションゲームの付近。とはいえこの日は、プレイしたりはしない。炭酸を呷りながら、他のプレイヤーの様子を眺めるだけだ。

 大画面のモニターに映る機体の動きを追いながら、自分だったらこう立ち回るのになぁと何度も思ったが、口や態度には出さなかった。とりあえず楽しそうにプレイしている若者たちに水を差すなど、こちらが惨めに見えてしまう行為だ。


 二戦目が終わり、三戦目の機体選択が終わったあたりで、ふと、喬松は思い出した。そういえばつい先月師走に、バンドメンバー六人でこのゲームコーナーに来たことを。

 キーボード担当のリーダーは、いわゆる音ゲーが大好き。いつもは規律と常識、それにメンバー内の和を重んじる性格ながら、その日にリニューアルされた筐体を見るや、真っ先に単独行動を始めてしまった。

 ゲームセンターという環境に全く馴染みのない、ベース担当の優等生。試しに喬松がオンライン対戦型のクイズゲームを勧めてみると、いきなりトーナメント一位を取るという戦果を上げた。二ゲーム目は優等生と同じ長椅子に、さも彼女のようなノリでリズムギター担当が着席。一見、初々しく甘酸っぱい雰囲気ながら、私たちに干渉することは許さないと言わんばかりの圧を放っていた。

 他メンバーもそれぞれ、別々のゲームで遊んだ。親睦を深めるという名目でリードギター担当が招集した催しのくせに、合流時間以外、まるで統率が取れていない行動。それでも、なぜかこの日は不思議と充実した気になれた記憶がある。


 そんな思い出に蓋をするように、スマホのポータルサイトを開いてみると、とあるニュースが喬松の目に飛び込んできた。

 それは、ある動画配信者が殺害され、金銭を奪われたという事件。被害者は、豊富な資金力にモノを言わせて、無関係の人間を相手に嫌がらせ半分で幾つもの訴訟を起こすことで知られた人物。そのため、怨恨の線で捜査を進められているという。

 喬松が高校に入学してから、この国では月イチのペースで、こうした謎の強盗殺人事件が発生している。そのすべてで犯人が未だに捕まっておらず、ネットの一部では怪しげな陰謀論が囁かれてもいる。

 そういえばヴォーカル担当がこの被害者、いや一連の被害者全員のことを死ぬほど嫌っていたのを、喬松は思い出した。当然ながら彼女はこれらの事件とは無関係だろうが、まるで人間デスノートだなと冗談を呟きたくなった。


 …………あ~。一体オレはさっきから何を思い出しているんだろう。喬松はひとり苦笑した。

 もう終わった、清算したことのはずだ。バンドなんて、もう自分の居場所ではないというのに。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 アクセスのよい郊外の住宅街に、真新しい一軒家を構える喬松慧希の家は、セレブという程ではないが、他の家庭と比べても恵まれたものだった。

 父は大手インフラ企業のエリート技師。母はM市内の法律事務所に所属する弁護士。さらに母方の実家は元・会社役員の資産家でもあった。

 小さい頃からゲーム機器や玩具はかなりの頻度で買ってもらえたし、年に一度は首都近郊へ家族旅行もできた。


 喬松少年は、両親を愛していた。それは物質的な恩恵からだけではなく、精神的な信頼に由来するものだった。

 弁護士という多忙な業務の中でも、母は可能な限り家庭の時間を大事にしていた。参観日や学校行事には必ず来てくれたし、およそ月イチで手作りのコロッケを揚げてくれることが、喬松少年にとって何よりのごちそうだった。

 そんな母が、子供みたいなパパよねと笑って評した父は、仕事熱心な一方で大の特撮好き。喬松少年が五歳の頃、首都圏の大型商業施設で開催される大規模ヒーローショーに連れて行ってもらったとき、彼はそこで当時の戦隊ヒーローのレッドと握手してもらい、さらにその様子がCMに採用された。その件で当の本人より父親の方が大喜びで、職場中に自慢して回ったりもした。

 一方で、息子が考え無しに悪いことをしてしまった時は、大好きな特撮作品のキャラクターを引き合いに出しながら、分かりやすい言葉でじっくり諭す父親でもあった。


 そんな両親が、自宅で過ごす時間が急激に減ってしまったのは、喬松が中学校に進学してしばらく経ってからのことだった。

 三人で晩の食卓を囲むのは月に一回あるかどうか。貴重な機会に交わされる会話も事務的なものばかりで、大して盛り上がることがなくなった。さらに数か月が経つと、メッセージアプリのスケジュール共有機能により、そもそも面と向かって会話する必要も無くなってしまった。日々の夕食も千円札に変わってしまった。サッカー部の遠征も、前もって交通費を準備した上で、近所の同級生の家に乗せていってもらうようお願いすることが多くなった。

 当然、両親が喬松に関心を示す機会はなくなった。何かぽっかりと穴が開いた気分をどうにかしようと、喬松はある日、父さんも母さんも何故帰りが遅いのかと聞いてみた。するとどちらも、仕事が忙しい、それだけを口にした。

 確かに二人とも働き盛りの年代だ。相応の役職に就き、相応に忙しくなったのだろう。息子が中学生になり、あまり手がかからなくなったことも大きな理由だろう。それでも授業料や学校納入金は遅滞なく納めていたし、必要な書類の提出も欠かしたことはない。触れ合いは皆無だが、機能不全という程でもなかった。

 それに、喬松にとってもこれは悪い話ではなかった。毎月、何割か貯金しようと思ってしまうほどの高額な小遣いも渡してくれているし、その使い道も心配されていない。それに、授業の欠課時数が増え始めたことが通知表に書かれても、定期試験の席次以上のことをツッコまれることもなくなった。

 余計な干渉がオミットされた、まるでギャルゲーやえっちなゲームの主人公のような家庭環境だ。実に最高だ。学生としての最低限の責務は果たしつつ、惰眠を貪り、金で買えるフィクションの享楽に耽りながら、喬松は自分の立場をそう考えることにした。

 だから、嫌な感情も自分の中だけで整理できた。例えば、社交ダンス部で嫌な思いをさせられ、結局退部したことを両親に話しても、あまり心配されなかったこと。それに、友達とバンドを始めたことを両親に話しても、『いくら必要だ?』と問われるだけで、大して関心を示されなかったこと。それらも全部、仕方ないねと諦められた。


 両親があまり家で過ごさない理由、それは仕事だけではないのだろう。息子として、それは何となく察していた。おそらく何処かで遊び歩いているのだろう。父も母も酒に弱く普段は飲まないが、それならそれで遊び方はいくらでもある。

 もしかしたら、不倫している、外で愛人を作っている可能性も頭を過った。だが、心配すればするだけ、自分が傷付いてしまいそうな気がした。だから、その可能性については考えないようにした。

 ————決定的な証拠を、目の当たりにしてしまうまでは。


 一月中旬の土曜日。何となく市内をサイクリングしていた喬松は、異なる時間、異なる場所で、最悪なモノを見てしまった。

 噂好きのクラスメイトから教えられた、悪い噂のある資産家の屋敷。そこに、母親の車が駐車してあるのを見てしまった。

 シンプルなデザインの外套と目深に被った防止で目立たないように振舞う父親が、知らない女と並んでラブホテルに入っていくのを見てしまった。

 自分の親が性的に不品行な行為に手を出しているかもしれない…………これまでずっと、意図して考えないようにしていた可能性。その確たる証拠を、しかも同じ日に二つも、まざまざと見せ付けられてしまった。

 ひたすらに気持ち悪かった。とにかくまずは両親に、ひどく幻滅した。絶望した。だけれども、喬松は両親を憎み切れなかった。幼い頃の日々がフラッシュバックされてしまうのだ。両親を否定してしまえば、あの頃の幸せだった日々も、自分さえも否定してしまいそうだったから。

 そうなると当然、感情の矛先は両親の相手方に向かってしまう。結婚して家族を持っているなんて知りませんでした、そんな法律学上の『善意』の人間なんて、そうそういない。両親の責任を追及するにせよ、相手側に責任が全く無いワケがない。

 ましてや、これらの外的存在が両親を変えた可能性だってある。そう考えると怒りが込み上げてきて仕方がない。とにかく、相手側にせめて何か一発、叩き付けてやらねば気が済まない。そうすれば当の両親もまた『無様なまでに恥をかく』し、その行動も改まる、はずだ。

 いてもたってもいられなかった。すぐに何とかして、結果を出したかった。余計な場所に飛び火しないように色々と清算する必要はあるが、両親を何とかするためなら、何を捨ててもかまわないと思えた。大事にしていたことを敢えて捨て去れば、今よりも状況はずっとマシになると思えた。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 気が付けば、時刻は四時二十分。そろそろ場所を移動し、もうひとつの目的地で待機せねばならない。中身を飲み干した空き缶を、喬松はゴミ箱に放り込んだ。

 とにかく、言うべきことははっきりと言うのだ。次の相手は個人。午前中の件のように、接近しなければ分からない実態があるとは考えにくい。人の親に手を出すことに正当な理由など、あるはずもないのだから。

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